四日目
ロイドは夢を見た。
眼前ではどこか見覚えのある少年が泣き叫んでいて、彼の手は自分の服の裾を掴み自分の手は彼の頭を撫でている。突如視界が切り替わると、自分もよく知っている宿舎の白い壁が映る。壁を見ながら呆けていると部屋の扉が開かれ、白衣を着た人物と重武装の人物が立っていた。「嫌だ嫌だ」と泣き叫ぶが、彼らは聞く耳を持たず、腰が抜けて立てない自分の身体を無理やり抱えて部屋の外へと連れ出す。また視界が切り替わり、次に描画された景色は無影灯の光で塗りつぶされたものだった。仰向けで手術台に固定された自分の周りには幾人もの人物が立っている。しかしそのいずれも表情をうかがい知ることはできない。
ロイドはこの瞬間、これを夢だと認識することに成功する。自らの身体が只今から毀損されるという、目の前の光景に対する恐怖が、この夢を明晰夢として変質させたのである。
「何だお前ら、やめろ!」
通常の明晰夢ならばここから夢主の特権を使い如何様にもできたであろうが、彼の意識が宿る肉体は相変わらず無力なままであった。そしてよく見ればその身体は女のものであった。
「自分じゃない、誰だ! 人違いじゃないのか! 痛い痛い痛い麻酔しろぉ!」
果たしてこの痛みを感じているのがロイドの意識なのかこの女なのかは不明だが、口からは様々なうめき声がこぼれ出ていく。息も絶え絶えになっていると、奇妙な色をしたうごめく臓器が自分もしくは彼女の腹に運ばれ、数十秒後には閉腹していた。景色が切り替わり、自分は縫合痕を見るために服をまくりあげている。その痛々しい痕に手を触れようとすると、何かが聞こえた。
「???????????????????????????????」
ロイドはその自意識を保てなくなるほどの衝撃を受ける。まるで言語とは呼べない叫びが頭の中で反響する。他の意識に自分を塗りつぶされてしまうような、言い方を変えれば身体の端から徐々に食いつぶされていくような感覚であった。謎の手術とはまるで別の性質の、『自分が自分でなくなる』根源的恐怖が思考を支配した。
「俺は誰だ俺は誰だ俺は誰だ俺は私は自分は俺は俺は自分は私は……」
数千年、あるいは数秒、または数年、ロイドは自問自答を続け、ついに自分の主体を取り戻すことに成功した。四肢の感覚は繋がらない一方で、ブラックアウトしていた視界は徐々に光を取り戻していき、眼前に一つの像を結んだ。
「マコーミック……?」
「おはよう、エフ。いや、最後くらいは……。フランと呼んだほうかいいか。今日が最後の日だな」
「おいマコーミック、俺今どうなってるんだ?」
「……そうだね、ケニー」
「結局ここに何年も居たが……君はその少女の見た目から一切変わらなかったな」
「俺の声が届いていない……?」
「私だってこんな身体になりたくてなったわけじゃ……うぅ……」
「あぁごめん。もう二度と言わないよ。だってもう居なくなるし……最後まで気の利いたジョークも言えなかったな」
「行かないでケニー! もうあなたに会えなくなるなんて私、死んだほうがマシよ!」
「おいおいそんな事言うなよ……。そうだな、またどうにかしてここに戻ってくるから、その時まで待っていられるか?」
「本当? 嬉しい、私嬉しいわ! それでそれで、いつくらいに戻ってきてくれるの? 来年? それとも再来年かしら?」
「君の時間間隔を俺の時間間隔に直せばそれは一週間とかそこらだろうな……。そんなに早くは戻れないと思う。でも絶対戻って来るからさ!」
「そう……。じゃあ私からプレゼント。絶対戻ってくるように」
「いいのか? ありがとう……これは、目? 誰の?」
「私のもの」
「目か……うん、ありがたく頂戴するよ」
「おいマコーミック、お前気がおかしくなったのか! なんてもの食べてるんだ! まるで俺の目を食わせてるみたいだ。おえー」
「お味はどう?」
「深海魚みたいだ……はぁーっなんだかいい気分になってきたよ。いつもよりフラン、君が魅力的に見えてくるのもこの目のおかげか」
「そうかもね。ねぇケニー。あなたの夢って何? 不可能なことでも言ってみて」
「そうだな……今となってはもう一度ここに戻ってくること、なような気もするけど……歳は取りたくないかな。いつか成長した君と不釣り合いになってしまうからな」
「まぁケニーったら奥さんがいるのに」
「いいんだ。バレやしない」
ロイドは勤務時間中、ただひたすら二人の蜜月を一人称視点で見せつけられるのかと辟易した。しかも相手はよく知った男だから、頭がおかしくなりそうだと考え、いやすでにおかしくなっているのだと言い聞かせ、そのループを延々と回していた。
目の前の事象に対し不感を貫くことに慣れた頃、世界の像が崩れ始めた。視界にヒビが入り、音は遠くなり、瞬く間に意識は深淵へと沈む。ロイドは「やっと解放された」と恐怖ではなく安堵を覚えるのだった。
目覚めは潜水艦の緊急浮上のように行われた。目覚めの何秒前からか息が止まっていたらしく「ばぁっ」と大げさな声を上げてロイドは目を覚ました。納得感のある現実がロイドを再び安堵させる。視界に映るものはすべて詳細まで描画され、急に世界が変わってしまうことはないという確信が持てる状況であった。
「ちゃんと……ベッドの上か。自分の。今何時だ……昼?」
夢の中で散々な目に遭ったからか、自分が何時間寝ていたのかがさっぱりなロイドであった。
「はぁーそうですかい。俺は一人ぼっちですよっと。もう行くか」
ロイドは身支度を整え、悪びれる様子もなく扉を開けた。
「え? どこ? 何?」
扉の先には、これから見慣れていくはずだった白い廊下ではなく、壁面が緑や青や黒の触手に埋め尽くされた空間であった。非常灯の光が見えるから、かろうじてもとが人工物だと判断できる具合であった。顔だけを突き出して左右を見るも、非常灯の向こう側は深淵の領域となっていた。もちろん人間の存在は感じられず、時たま動く触手の音だけが耳にこびりつくのであった。
***
「長官! 動きがありました」
「あぁ」
「偵察艇からの定期報告無し、こちらからの通信にも応答せず。これは……そういうことでしょうか」
「うむ。彼……ビリー・ロイドだったか。上手くやってくれるといいのだが」
「そうですね。災害の芽を摘むのに何も知らない素人を利用するのはあまりにもリスキーですが、もう取れる方法がこれしかなく……」
「被検体Fの弟の子孫か。言いたくはないが、焼け石に水なような気がするがね」
「おっしゃる通りです。しかし、人間であった頃の被検体Fとの唯一の約束が『弟とその子孫の安全と身分を保証する』でしたからね。まさか昔の研究者や制服組も成功すると思っていなかったのでしょう。人智を超えた力を持ってしまいましたが、理性が残っていて助かりました」
「『約束を反故にしたら全身全霊でお前らを、世界を鏖殺する』、か。しかしあの力の使い方は、鏖殺というよりは、どちらかといえば『世の理を塗り替える』のほうが近いような気もするがね」
「いずれにしても、彼女の理性を保たせるために我々政府が選んだ担当者をねじ込んで──推薦していましたが……はぁ。もし今回のこれで逆上でもされたらもうラグナロクですよ。『よくも愛する我が弟の子孫を利用したな!』って」
「ふん。君はラグナロクが何か知っているのかね。あれは神々同士の戦いだ。最後には人間の時代が訪れるという話もある。しかし今回はどうだ。我々人間の世界が一方的に侵略されるだけだ。その後に再生の時代が訪れないという保証もないがね。しかし、少なくとも総体としての人間は消え失せるだろう」
「はぁ、そうですか。お詳しいのですね」
「君が知らなすぎるんだ。よくそんな知識でここまで上り詰めたな」
「……女神様の思し召しですよ」
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