三日目
終業後、マコーミックは結局一度も姿を見せることがなかった。朝までは普通の態度だったから、自分たちの会話をどこかで聞いていたとしか考えられなかった。ロイドは夜通しの見張りを敢行したせいで、赴任三日目にして寝坊をしてしまい、気がつくと始業時間から一時間も過ぎていた。もちろん、起こしてくれる同僚はいない。
「クソっ。なんだよこれ」
悪態をつけるほど脳が覚醒したのは鉄扉をくぐった瞬間だった。
「あら、ひどい顔と言葉ね。昨日の件で?」
「そうだ。しかしヤツは帰ってこなかった。本当に何も知らないのか?」
「ええ。私はその同僚さんの顔を見たことないから断言はできないけど、昔、彼がここから去るときは普通の人間と変わりなかったはずよ」
「……結局あいつが本物であれ偽物であれ、とっ捕まえて話を聞かないといけない。今すぐにでもこの部屋を飛び出したい気分だ」
「いいわよ、別に」
「それはありがたい……なんで拗ねてるんだ」
「拗ねてないわよ」
「フィオナも気になるだろ。面白いかどうかはわからんが、楽しみにしておいてくれ」
ロイドはさっさと部屋を出ていった。
「……まったく、男ってどうしてみんなああなのかしら」
ロイドはマコーミックが勤務しているはずの研究室へと向かった。自身の勤務場所とは違い、人通りもそこそこで扉も他で使われているものと何ら変わりはないものだった。ロイドは右手を強く握り、怪しまれないように軽くノックをした。
「もしもし、少しよろしいでしょうか」
「はーい」
「おはようございます。こちらにマコーミックという研究員がいるはずなのですが……」
「ええ。マコーミックならいますよ。呼んできたほうがいいかしら?」
「お願いします」
研究室の女性は奥に下がっていったが、すぐ戻ってきた。
「ごめんなさい。彼今ちょうど手が離せなくて、二十分後なら大丈夫だって」
「わかりました。それではそこのトイレの前で待つとお伝え願いますか」
「了解したわ」
きっかり二十分後、マコーミックはトイレ前に現れた。その顔はいつもと変わらないし、挙動も不自然な点はなかった。
「なぁマコーミック」
「なんだ、こんなところに呼び出して」
「本名を教えてくれないか」
「……は? そんなことで?」
「いいから教えてくれ」
「ケネス・マコーミックだよ。みんなからはケニーと呼ばれていて、マコーミックの綴りはエム、シー、シー……」
「もういいよありがとう……ちなみにだが、昨日、なんで帰ってこなかったんだ?」
「え? 昨日は二人でたらふく肉を食ったじゃないか。お前がどうしても魚は嫌だって言うからわざわざ買いに行ってさ」
ロイドは困惑の色を隠しきれなくなった。対するマコーミックも眉間にシワを寄せている。彼が嘘をついているのか、彼女が嘘をついているのか、はたまた自分の記憶だけが消えてしまっているのか。疑いの対象に自らが入ったともなれば、脳の処理が急速に限界に近づくのも無理はなかった。
「わかった、すまんな仕事中に呼び出して。もういいよ……」
「ロイドお前、大丈夫か? 嫌なことでもあったか? 今夜も肉食うか?」
「いいんだ、少し休めば治るから気にしないでくれ」
ロイドは側頭部をさすりながら勤務場所の鉄扉に向かい歩き出した。マコーミックはその後姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。
この日、ロイドは鉄扉に向かわず、宿舎に直帰した。雇われの身とはいえ、提出するものは週報のみだし、彼を監督する人間も実質的にはいなかったので、成せたことではある。激動の週前半を過ごしていたロイドだったが、ようやくまだ三日しか経っていないことに気付いた。マコーミックとは研修期間も含め一ヶ月ほど、フィオナに至ってはそのまま三日、まともに話すようになったのはつい昨日である。そして、昨日といえば自分の中で存在がすっかり無いらしいものだ。
「嘘をついているのは……誰だ?」
***
「おい、あいつ今日休みか?」
「そんな報告は聞いていないけれど……確かにいないわね」
「そうか……ん? あ、来た。遅刻なら連絡しろよな」
「……」
「どうした?」
「俺、自分が自分じゃなくなりそうで……でも、ひひひ」
「おい、大丈夫か?」
「へへ……俺は大丈夫さ、だってあの方がこの近くにいるんだからな。なぁ、お前も来いよ……。や、やっぱり来るな、来てはいけない! 来るな、来るな、来い、来るな、来い、来い、来い、来るな、来い、来い、来い、来い……」
「支離滅裂だぞこいつ。誰か医者を呼んでくれ!」
「ふふふ。ふふふ。あはは。俺今すっごく楽しいよ。人生で一番楽しい! 」
「うっ、魚クセェ……というか、お前口の中から何か出てるぞ! ん? この部屋の色どうなってんだ、こんな色、いや形だったか? おいみんな! どこにいるんだ!」
「なぁ、お前も行こうや。地上なんかよりずっといい気分になれるぜ……おお、我らがYee-Tho-Rah」
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