第3話
彼が居なくなった後、私は遂に耐えられなくなって吹き出してしまったの。
「ふふふ。ああ、おかしい。なんて滑稽なのかしら」
「アリエス! 可哀想に……!」
「あらお父様、私は悲しみのあまり変になった訳ではありませんわ。ね、ジャン」
私の専任執事は乱れた黒髪を整え、ぴしりと立って言った。
「はいお嬢様、既に婚約解消と慰謝料請求の準備はいつでも出来るように執事長と準備済みです」
「随分手際が良いな」
「ロナルド様の裏切りはずっと前からわかっておりましたので」
お父様は一度引っ込めた猛獣のような目の光を再び甦らせ、その目でジャンを見る。
「全てお前の計画通りというわけか、ジャン。まさか浮気相手の男爵令嬢とやらも、お前の手配ではあるまいな……?」
「いいえ。繰り返しになりますが、
「……そうか。ワシは前世からの縁なんてものは気にくわないのだがな。それでアンリエッタ妃殿下は亡くなられたのだから。大事なのは現世だろう」
「お言葉ですがウエイバー伯爵」
ジャンの口調がガラリと変わる。今までの使用人のものから、丁寧ではあるけれどお父様と立場はそう変わらない貴族階級のものに。
「大事なのは現世と仰るのでしたら、貴方のお父上が前のベイルート伯に恩があったから、という理由でアリエス嬢をあの男などと婚約させたのがそもそもの間違いでは?」
お父様は目を丸くしたあと、豪快に笑った。
「わはははは! これは一本取られた。確かにそうだな。大事なのは今のアリエスが幸せかどうかだ」
「きっと幸せにして見せますよ。では約束通り、僕はこれで消えます。また日を改めてお伺い致します」
「ああ、ジャン。またな」
ジャンは私とお父様に丁寧な礼をしたあと去っていく。私はその背中を見て二年前突然彼が現れた時の事を思い出す。ジャンは名門と名高いデズモンド侯爵家の紹介状を持ってきてこう言ったのだ。
「僕はまだ13歳ですが、使用人としての仕事をほぼ完璧に身に付けています。アリエスお嬢様をお守りする仕事をどうかお与えください」
そこから私に傷がつかないように守る約束で、少年執事として側にいた。
この二年間、厳しい淑女教育の数々を教え込まれたのも、全てジャンが手配した優秀な教師によってのもの。あんまり厳しいから、なんでそんな事をしなければならないの? って泣き言を言ったら彼はこう言ったの。
「アリエスお嬢様、貴女は同年代の令嬢の手本となるのです。『ロナルド・ベイルート伯爵令息には勿体無い、もっと他に良い相手が居るだろうに』と言われる程に」
彼はこうも言った。
「私は前世で貴女をお守りする役目でしたが、最後まではそれを全うできなかった。今世こそそれを果たしたいのです」
それがどうして厳しい教育や、身持ちを固くする事に繋がるのかは最初はわからなかった。でも最近になってジャンの言うことがやっと理解できたの。私が淑女らしく振る舞っている間にロナルド様がルビィ様とベタベタしているのを見た人たちは、私にとても同情してくれたのよ。
令嬢達は味方になってくれて色んな事を教えてくれたわ。慰謝料請求の段階でロナルド様がしらばっくれようとしても証人は沢山いるでしょうね。
令息達の中にはロナルド様にやんわりと警告をしてくれた人もいるみたい。でも恋に溺れたロナルド様は聞き入れなかった……それもかなり呆れた返答が返ってきたようで「あれじゃあベイルート伯爵家も近い内に傾くぞ」なんて噂が密かに流れているみたいよ。
まあそんなわけで、表向きは品行方正で、ロナルド様の話を他の人から聞くたびに困り顔をしていた私は周りから「アリエス様には全く非がないのに、とても可哀想だ」と思われているの。実際はジャンから、ロナルド様とルビィ様は前世からの縁で繋がっていて、そう遠くない内に浮気をするだろうって聞かされていたから大したショックも無かったんだけどね。
つまり、私の心も、貴族令嬢としての評判も傷つくことは無く。ジャンが私を守ると言った約束は見事果たされたって事なのよ。
◆
ベイルート伯爵家との話し合いは上手くまとまって、慰謝料も支払われ、私に非はないときちんと証明されたわ。そしてその話は瞬く間に拡がっていき、私の元には新しい縁談が幾つも届いた。
でも既に別格の求婚者が居ると知った他の家は、皆諦めたようだけれど。申し込みの早さも、身分の高さもデズモンド侯爵家のジャスティン様が一番だった。
彼は幼少期から超天才だと言われていて、僅か13歳で侯爵家の人間として覚えるべき領地経営などを全て身につけているという噂を聞いたことはあったけれど、社交界に全く出てこないから、お姿を見たことは無かった。
一歳年下のジャスティン様のお姿は、私より少し背の高い、まだ少年のあどけなさの残る美しい顔。使用人の仕事と、密かに武力の鍛練をしていたお陰でぴしりと美しい姿勢が特徴。
「……ズルいわ。13歳で全てを身につけた天才って、単に前世の知識がばっちりあるだけじゃない」
「ははは。まあ25年前と今じゃ違うこともありますからね。きちんと学びましたよ。それこそ僕の先生はアリエス嬢につけた教師よりも厳しかったんですから」
「えっ、あれよりも?」
「僕には時間がありませんでしたからね。グズグズしていたら貴女と彼が本当に結婚してしまうところだった」
ジャスティン様が微笑むと黄金色の髪の毛が揺れた。あの黒髪はカツラだったのかしら、それとも染めていたのかしら。
「だから前世を思い出した10歳の時から死に物狂いで勉強したんですよ。それで全てを学び終えた13歳からは、暫く好きにさせて貰うと両親に猶予を貰った」
「使用人としての仕事の勉強までして?」
「ええ。デズモンド侯爵家の力で無理やり貴女をベイルート伯爵家から奪い取るのでは、貴女も醜聞に巻き込まれてしまいますし。それに……」
彼は一瞬寂しそうな顔をした。
「貴女と彼は一応前世では夫婦でしたからね。僕が前世に気づいた時には既に貴女と彼は婚約済みだったし、今世こそ貴女がた二人が幸せになる未来もあり得るとは思っていたのです」
「はあ……」
私は大きくため息をついて、呆れた顔をした。淑女のマナーとしては微妙だけれど、ジャン改め、ジャスティン様と二人きりなら少しは許されるから。
「私は前世なんて全く見えないけれど、本当なのね?」
「信じなくて良いですよ。誰かに知られたら騒ぎになってしまうかもしれませんからね」
ジャスティン様は笑いながらそう言って、私の手を取り軽い口づけを落として呟いた。
「愛しています。僕のアンリエッタ様」
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