ガールズバンド、スリーピース、名前はまだない

あば あばば

ガールズバンド、スリーピース、名前はまだない

 都内某所、とある静かな喫茶店にて。

 三人の女がそれぞれしかめっ面でテーブルを囲んでいた。


「なんとかガールズがいいよ」

「古くない? もっと捻ってさ……文章とか、詩みたいなのあるじゃない」

「ああいうのカッコつけ感ない?」

「日本人が英語の名前つけるのもカッコつけだと思うけど」


 議論を重ねながら、探るようにお互いの目を見ては反応を伺う二人。それぞれの椅子にはギターとベースの楽器ケースが立てかけられ、彼らがバンドを組む仲間同士であることは誰が見ても容易く想像がついただろう。もっとも今、彼ら三人の他に客はいないのだが。

 そんな二人を、都子みやこ……通称「にゃー子」はドラムスティックの入ったナイロンの細長いバッグを弄びながら、無関心な目で眺めていた。


「にゃー子さんはどう思う?」


 急に話を振られて、都子は目をしばたかせた。

 正直なところ興味はない。都子は暇な時間を埋めるためだけにバンドに加わったのだ。大学の食堂で知り合った美玲という女に誘われてロックバンドなるものに付き合ってはいるが、ドラムどころか楽器に触るのも小学生のリコーダー以来。音楽に対して情熱も理想もない。バンドの名前なぞにこだわりがあるはずもない。


「……んー。かわいいのがいいかにゃ」

「そ、そっか……」


 何を言うにも「にゃ」と語尾を付けるのは、都子の子供の頃からの癖だ。本人は記憶がないが、母親によれば幼児の時に見ていたアニメの影響らしい。

 小学校に上がる際、親に恥ずかしいと言われて矯正したのだが、小学三年生の時にうっかり教室で口に出してしまい、男子たちに「にゃー子」とあだ名をつけられ揶揄されることになった。普通は懲りて二度と口にすまいと思うところを、都子は逆に開き直って、日頃から堂々とその語尾を付けて話すようにした。教師の前だろうと、初対面の大人相手だろうと、全くお構いなしに。

 結果、「にゃー子」という呼び名は侮蔑ではなく彼女の勇気や反骨心、あるいは図太い神経を讃える尊称となったのだった。


「かわいいのかぁ……プリティなんとか……プリティ……」

「魔法少女アニメの曲でもやる気?」

「……そんなになんでも文句つけなくていいじゃん」


 二人の険悪な空気を感じて、都子は長い溜息をついた。

 練習のたびにこの調子だ。こんなのが毎週続くようなら、さっさと辞めた方がいいか。ドラムを叩くのは案外ストレス解消になったけれど、別に叩くだけなら他人と一緒である必要もない。


「私は真剣に考えたいだけ。バンドの名前は人が最初に見るものなんだから。少しでも売れたいなら失敗できない」


 冷めた顔でそう言うのがベーシストの美玲。都子と同じ大学の二年生だ。

 話し方は淡々として常識人に見えるが、食堂で隣りに座っただけの都子を突然バンドに誘った変人でもある。


「だったら、具体的な名前もっと出してよ! さっきからあたしの案に文句言うばっかで……」


 感情的に言い返すのは、ギター&ボーカルの香凜。顔とファッションはいかにもロックやってそうな雰囲気で、名前の通り凛としている。しかし都子の見るところ、この三人の中で一番気が小さく押しが弱いのは彼女だ。


 言い争いが続く中、都子は唐突にガタっと大きく音を立てて立ち上がった。

 自然と二人は黙り込み、同時に都子を見た。


「……トイレにゃ」

「あ……行ってらっしゃい」


 香凜の弱々しい声に送られながら、喫茶店の外に出る都子。

 本当はトイレに行く気などなかった。ただ言い争いから一旦離れて外の空気を吸いたかっただけ。語尾に引っ張られたわけではないが、都子は猫のように、他者に縛られることを毛嫌いする性質たちだった。他人の争いに巻き込まれるのも、面白くもないことに時間を使わされるのもうんざりする。

 戻った時にまだ喧嘩しているようなら、そのまま声を掛けずに帰ろう。連絡先も消して、二度と会わない。そう決めて、都子は寂れた商店街をふらふらと歩き出した。


 バンドの練習はいつも小さな個人経営の練習スタジオで行っている。チェーン店のもっと繁盛しているスタジオもあるというが、香凜が店長と知り合いで安く済むからと言ってそこを使うのだ。おかげで毎度、繁華街から少し離れた駅で降りなければならない。練習後の打ち合わせも、流行らない上に店内にトイレもない喫茶店でダラダラすることになる。

 都子はため息をついて、二十年前から商品を入れ替えていないような小さな玩具屋に入った。煙草でも吸えれば吸って時間を潰したところだが、生憎ニコチンは体に合わずまともに吸えたことがない。


「いらっしゃい」


 店の奥で老婆がぽつりと言う。

 都子はにこっと笑って会釈した。おばあちゃん子だったので、高齢者にはつい愛想よくしたくなる。といって、店に入ったのは結局冷やかしなのだけれど。


 都子は店内をゆっくり歩いて、並んだ古い玩具をぼんやり眺めた。きっともう誰にも買われない玩具たち。埃を被った、そんなものにばかりつい目が行く。

 香凛や美玲たちとバンドをやってみようと決めたのも、そんな気持ちだったかもしれない。音楽に詳しくなくても、バンドで売れるなんてのがどれだけ遠い夢かは知っている。ましてド素人の自分をスカウトするぐらいだからよほどメンバーが集まらないのだろう。そんな世界の隅っこで、おそらく売れないバンドをするであろう彼女たちに、哀れみ混じりの、気まぐれな興味が湧いたのだ。


「何か欲しいもの、あるの?」


 いつの間にか近くにいた老婆の声に、一瞬ぎょっとする都子。


「いえ……見てるだけで。ごめんにゃさい」

「あー、そう。まぁいいよ、好きなだけいてよ」


 少し落胆した様子を見せつつも、老婆は笑ってひょこひょこと戻っていった。

 せっかくだから何か安いのでも買っていこうか、という突飛な考えが頭をよぎる。そういう時、都子はなるべく衝動に逆らわないようにしていた。


 猫の語尾を一生続けようと決める前から、都子はつまらない人生が怖かった。

 退屈を感じると、慕っていた祖母が亡くなる前の数週間、病室で呪いのように「退屈だ、何もない」と、か細く呟いていた声を思い出す。あるいは主婦としてずっと家にいた母が空虚な瞳でじっとテレビを見つめる時の、死んだ時間の恐ろしさを。

 都子は退屈から逃れようとして、猫のように好奇心のまま色々飛びついた。高校では部活に生徒会にバイトにと掛け持ちして。大学に入ってからは授業をサボって旅に出たり、変な男と付き合ったり……今回みたいに、おかしな女たちとバンドを始めたり。

 そして、飽きたらさっさと放り出す。それが自分の心を上手く付き合う秘訣だった。飽きっぽいと罵られても、ストレスを抱えたまま同じ退屈の中に留まることに比べればずっといい。


 だから、退屈だと感じたならバンドもさっさと辞める。最初からそのつもりだった。

 ……なのに何故か、今日までズルズルと数ヶ月も彼女たちと毎週末を過ごしている。そもそも人の喧嘩なんて近くにいるだけで不快で避けたがる都子がそれを我慢してきたというだけで、すでに十分彼女らしくない。そんな自分の心の不明瞭さが気に食わない。

 色褪せたパッケージの玩具をひとつひとつ眺めて、ため息をつく。わからないのは自分の心だけではない。あの二人も何を考えているのか。毎週のようにいがみ合ってまで、何故このバンドにこだわるのだろう? さっさとお互いを諦めて、別のバンドでも組めばいいのに。

 都子には人に執着する気持ちがわからなかった。出会いも別れも、どうしようもないこと。あきらめは早いほどいい。そんな風に生きてきた。でも――


「あの。これ、ください」


 古びた、安い玩具を老婆の前に差し出す。老婆は少し驚いた顔をしつつ、値札を見てカタカタと古いレジスターに値段を打ち込む。


「はい。千八百円ね」

「え……あ、はい」


 思ったより倍くらい高い。ぼったくられた気分になりつつ、都子は財布から札を取り出した。

 何をやっているのか。何がしたいのか。わからないけれど、今は直感に従おう。ずっとそうしてきたし、今までの経験上、その方が退屈しないのだから。



 玩具の箱を両手で抱えて、都子は喫茶店へ戻った。

 これだけ待たせた上に土産を持って戻ったのでは、トイレに行ったのが嘘だということはすぐに気づかれるだろう。しかし、大学教授や警察の事情聴取にさえ語尾の「にゃ」を崩さなかった人間が、その程度で恥を感じるはずもない。そう自分に言い聞かせる。奇怪な語尾は、勇気を出すためのまじないでもあった。私は只者ではない。私は自由なのだ。


 都子は堂々と扉を開け、チリンと鳴る鈴を聞く。二人とも自分を待たずに帰ったかもしれない、と一瞬思う。だが内心予想していた通り、二人はまだ同じテーブルに座って言い合っていた。

 声を掛けようとして――ふと、都子は違和感を抱いた。


 香凜は相変わらず、弱気な癖に大きな声で思いついたバンド名を挙げている。だが、都子と三人でいる時とは何かが違う。

 ……そう、目線だ。香凜は決して美玲の顔を真っ直ぐ見ようとしなかった。いつもの口喧嘩では、噛みつきそうなほど顔を近づけて喋るのに。今は彼女の顔を見るのが怖いかのように彼女の目線と向き合うのを避けていた。

 対する美玲の様子もおかしい。コーヒーカップはとうに空っぽなのに、何度も落ち着かなげに持ち上げて、顔を隠すように傾けてはその陰からチラチラと顔を覗き込む。いつもの余裕ぶった冷静な姿とは違う。まるで人見知りの子供だ。

 間に入る都子がいないせいで、お互いに距離感が掴めないのだろうかとも思った。だがそれにしては二人とも変わらず遠慮なく口喧嘩をしている。いつまで続くのかと思うほど。まるでそれが、楽しいことであるかのように。


「……あ」


 答えに辿り着いた瞬間、都子は声を出していた。どうしてこの二人が飽きもせず言い争っていられるのか。どうして自分が、彼女たちの言い争いに耐えてこられたのか。それはつまり……喧嘩のように見えても、これは『喧嘩』ではないのだ。

 その声で都子の存在に気づいた二人は、ホッとしたような、それでいてどこか残念そうな顔でこちらを見た。おかげで都子も自分の答えに確信が持てた。


「おかえり、にゃー子さん! 長かったね。ていうかそれ何?」

「お土産。そのへんの玩具屋で買ったにゃ」


 都子はテーブルの上に玩具の古い箱を置いた。箱には歯をむき出しにした、派手な緑色のワニの写真が印刷されている。美玲が怪訝な顔をしつつも、物珍しそうに箱を眺める。


「あー、ワニのやつ? 懐かし。なんで?」

「たまには音楽以外の交流が必要かと思ってにゃ。っていうか、二人のしょうもない喧嘩聞くの飽きたから」


 さっきまで遠慮して言えなかった言葉が、するりと口から出た。言われた二人もさすがに堂々巡りの議論をしていた自覚があったのか、ばつの悪い顔で互いを見た。


「ごめん。あたしたち、変にこだわりあってさ」

「……妥協するの苦手だから」


 そんな二人を交互に見て、都子はカマを掛けてみることにした。純粋な好奇心と衝動。それと、少しばかりの善意。


「バンド名、ワニワニバンドとかでいいんじゃないかにゃ?」

「そんな名前だったらさすがに辞めるよ、私」


 冷たく言う美玲。苦笑しつつも、譲らない態度。いつもの都子なら無関心に受け流していただろう。誰かと正面切って議論するなんて疲れるだけだから。

 だが、今は都子も退くつもりはなかった。


「あーしの勘だと、どんな名前でも美玲は辞めないと思うにゃ」

「……どうして」

「好きだから」


 美玲の表情が一瞬こわばるのを確かめてから、都子は倒置法で先を続けた。


「このバンドが」

「…………」


 美玲は眉を寄せながら何か言いたげに口を開き、それから無言で口を閉じた。きょとんとした顔の香凜に目をやって、にやにやと笑みを浮かべる都子。


「なんか、あーしも好きになってきたにゃー。このバンド」

「どういう意味?」

「そのまんまの意味だにゃ」


 美玲の警戒するような問いかけを、肩をすくめて受け流す。

 その横では、香凛がさっさと箱を開けてワニの玩具を無邪気にひっくり返していじっていた。


「電池いらないの? これ」

「ちょっと! 店の中でやろうとしないで。迷惑でしょ、まったく……」


 子供を叱る母親のように、美玲が玩具を取り上げる。その様子を見て、都子は急に居心地の良さを感じた。

 要領のいい子供だった都子は、親から叱られた経験があまりない。代わりにいつも叱られている兄の姿を、こんな風に笑って眺めていたものだ。別に人が苦しむのを見たかったわけじゃない。本当は兄も母もお互いを好きだとわかっていたから、その甘咬みのようなじゃれ合いを見ると安心できたのだ。

 叱られた方の香凛は、顔つきに似合わぬしゅんとした表情でうつむいていた。


「ごめん、どんな玩具か知らなくて。うち、こういうの買ってもらえなかったからさ」

「……場所変えよ。名前も結局決まってないし。二人、うち来る? ここから近いし」


 美玲がそう言って香凛の顔を見る。

 何気ない問いかけだったが、彼女が二人を家に誘うのは初めてだった。冷めた顔をしていても、内心かなり勇気を出したに違いない。声がわずかに上ずっていた。


「え、いいの? あ……いや、別にあたしはいいけど」


 そっけなく言ったつもりなのだろうが、香凛の顔はあからさまに狼狽していた。

 都子は見ていて思わず吹き出してしまいそうだった。わかってみれば、なんとわかりやすい二人か。思えばこのバンドを始めた時からずっと……この二人は両片思いのまま、お互いの気持ちを探っていたのだ。自分の節穴ぶりが恥ずかしくなる。面白い玩具は目の前に転がっていたというのに。


「あーしはやめとくにゃ。二人で遊んで」

「えっ、でもこれにゃー子さんの玩具じゃん」

「あげる。二人にプレゼントにゃ」


 けらけら笑って、都子は立ち上がる。


「遊ぶんじゃなくて、バンド名決めるんでしょ。本当に来ないの?」


 美玲の探るような目。おそらく都子に来てほしいと思っている。誘ってはみたものの、自分の部屋で二人きりになるとは想定していなかったのだろう。つまり、ビビっている。


「んにゃ。バンド名、思いついたらメールする。今度はちゃんと考えとくにゃ」

「今までちゃんと考えてなかったんだ……」


 香凛のツッコむ声を聞きながら、ひらひらと手を振って、都子は喫茶店を出た。


 それから五分も経たないうちにメールの着信があった。


<バンド辞めないよね?>


 香凛からだった。二人きりにしてあげた都子の親切を誤解したに違いない。

 だが、都子がずっと辞めるかどうか迷っていたのも事実で、それを見抜かれていたのは少し嬉しい驚きだった。いつも自分のことで精一杯な顔をしている癖に、都子の様子にもちゃんと気を配っていたとは。


<辞めて欲しくなかったら、さっさとくっつけ(ΦωΦ)ニャー


 ふざけ半分、焚き付け半分でそんな文面を返してみた。

 香凜の返事が途絶えたので、同じ文面を美玲にも送る。こちらは即座に返事を返してきた。


<ありがと。来週奢る>


 飲み込みの早さに思わず吹き出しそうになる。

 入れ替わりに、香凜から五分遅れの返事が届く。


<気づいてたんだ……ううっ。がんばってみるけど、それはそれとして、にゃー子さんと一緒にバンド続けたいから。ドラムすごい上達早いし、一緒にやるの楽しいし。これ本気だから、あたしがフラれてもお願いね!>


「……フラれるわけねーにゃ」


 都子は一人呟いてから、スマートフォンを仕舞って歩き出した。

 今頃向こうはどんな空気だろう。それを想像すると、先に帰ったのが少し惜しく感じる。別れが惜しい、という気持ちの新鮮さと心地よさ。やはり、直感が正しかった。


「んー……なんとかキャッツ? キャット・なんとか……猫……」


 自分贔屓なバンド名の案をぶつぶつと口に出しながら、都子はドラムスティックをひょいと放り上げた。


(おわり)

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