第25話 じつは忌まわしき記憶が蘇りまして……

 今となっては涼太には自分を産んだ女の記憶など殆どない。というのも、明確な敵となったあの女について考えること自体が不快千万であったのだ。なので自然と考えないようにしているうちに、記憶が脳内で劣化していったのだ。

 だが、かつての涼太は今よりも幼く、様々なものの道理を理解していたわけではなかった。

 最初の頃は急に静かになった家について少しは不思議に思っていた。寂しくないといえば噓になる。一抹の寂しさを感じてはいたが、だからと言って泣き叫んだり変にノスタルジックに黄昏た事などはしていないし、その感情とも上手く付き合ってきたつもりである。

 だが一度だけ我慢できずに親父に離婚した理由を訊いたことがある。

 だが、親父の返答は冷たかった。ただ単に「離婚したんだ。」とだけ言った。

 母親が愛人を作って其の男と一緒になりたかったからなんて、その当時鼻水垂らしたチビガキと言われるような年齢の息子に言えるわけがない。

 だがあの時の親父は一つの誤謬を犯したのは確かだと思う。

 それは「離婚」という言葉に逃げた事だ。

 確かに離婚という言葉は大人たちの間で使うにはその特性は尖ってはいるが便利な言葉だ。聞き手に野次馬根性がない限りは、相手を黙らせることが出来る。そして色々と察するのだろう、「」として。

 だがそれは子供には通用しない。何しろ「大人の事情、ナニソレオイシイノ?」といわんばかりにそれは子供にとっては関係のないものである。そしてただ訳も分からずそれに振り回されるのみ。

 恐らく他の子と比べると比較的早熟だった涼太は、そのことについてある程度子供なりに理解はしていた。なので自分を産んだ女のことを憎み、そして自分を引き取った親父に詮索したのはその一回以外全く無かった。

 今となっても親父にそのことを訊くことは憚られる。俺の子供だと、俺が育てるとそうあの時言い放った親父を責める様な気がして、申し訳ないからだ。

 涼太はこうやって両親の離婚を受け入れた。

 だが晶はどうだろうか?

 自分を無理なく納得させることが出来ているのだろうか?

 美由貴さんを恨んでいなければいいが………。ちと心配になった。

「それにしても晶が実の父親の事を好きだとは意外でした。」

 さりげなく鎌をかけるつもりで美由貴さんに訊いてみた。

「不器用なのも無愛想なのもあの人にそっくりだわ。」

 美由貴さんは少し笑った。

「口調もあの人の影響ね。わざとではないと分かっていても、やっぱり私への当て付けのように感じてしまう時があるわ。あの子に恨まれているんじゃ無いのかって、本当は怖くて……。」

 美由貴さんは苦悶の表情を浮かべる。離婚したこと、父親と引き離されたことを晶が恨んでいるのか、という母親としての後悔の念を未だに背負いこんでいるのだろう。

 「親の勝手でしたことだから」といって、そもそも晶に納得してもらうことを諦めたのかもしれない。

 結局、その咎を甘受して生きていくことにしたようだ。

「涼太くんは離婚したご両親のことを恨んだりした?」

「いいえ、親父には感謝しています。ただ、——」

「ただ?」

「——母親だった人を憎まなかった日は一日もありません。」

「そう……。」

「でも状況は違いますが、俺、ちょっとだけ晶の気持ち、分かる気がします。」

「え?」

「晶はきっと美由貴さんの決断を恨んでいない気がします。あいつも既に自衛官ですし、そこら辺の分別もついて仕方のないことだと思っているのじゃないですかね、何となくではありますけど……。」

 そう言うと美由貴さんは力なく笑い、「そう思いたいわ。」と言った。

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