第11話 じつは喧嘩を高く買いまして……

「これはこれは上田三尉。」

 涼太が少し熱くなっている瞬間、少しねちっこい声がした。

 見ると一人の戦闘機乗りがこっちに向ってる。

「あ、あの…。」

 ひなたちゃんの様子から察するに成程此奴か、機体滑らしに気付かなかった間抜けは。

「いやまあこれはご愁傷様。といっても死にかけたのは此方ですが。」

 そういう割に顔に緊迫感がない。怒りが沸々と沸いたが、不思議と冷静だった。が、腹の奥に煮えたぎる何かはまたこれとは本質的には別なものの気がした。

「ここは一つ、お詫びとして…」

 ひなたちゃんは体を小動物の様に小さくビクンとさせた。

 ここから何を言うのかが手に取るように分かる、目線の先を追わずとも。然らば先手必勝。

「貴様、所属は?」と言った。

 するとそいつは分かりやすくも唇を一瞬への字に曲げた。

「何故下級者の命令口調に応える義務があるというのか?」

 確かに肩の階級章を見ると二等空尉であった。ここは一つ道化を演じよう。

 ざっと敬礼し「これはこれは失礼いたしました。機軸のズレに気付かなかった≪≪二等空尉殿≫≫」。

 因みに二次大戦前の帝国海軍では「~大尉殿」と対立することの多かった帝国陸軍の様に上官に「殿」をつけて呼ぶということは「命令に従いこそすれど、お前のことは指揮官としては信用しない。」という事を意味し、上官に対する最大級の侮辱の一つであった。

 そして航空自衛隊はGHQによる断絶こそあれど、部分的には帝国海軍航空隊の伝統を受け継ぐ組織である。

 涼太の思惑通り、その二尉は声を荒らげ「貴様ッ!今何と言ったッ!」と涼太の胸座を掴んだ。心の中で下衆が、と悪態を突いた。

「いや、だってその二尉の階級章をつけていながらそんな初歩的なミスを犯すなんてなぁ。これじゃあ俺も来期は二等空尉か~。」

「貴様……、許さぬ…。」

「あっそ、じゃあブラックボックス開示請求をするわ。そういえば不正行為を通報したら最大十万円の協力金が貰えるんだっけ。」

 その刹那、その二尉が拳を振り上げた。が、

「ストップ。」

 とその拳を誰か掴んだ。光惺だった。

「光惺、いいとこだったのに。」「馬鹿か。」

 そこで警務隊が駆けつけてきた。そうしてその二尉は連行されていった。


 その後、直ぐに懲戒委員会が開かれた。そしてその二尉の乗機のブラックボックスの音声が解析され、着陸誘導中にひなたちゃんに業務に支障が出るほどに言い寄っていたことが判明した。そして機軸ずらしも故意で行ったものとして重大インシデント認定され、停職二か月かつ営倉入りかつ飛行免許停止半年が決定した。


「涼太、今回はひなたを守ってくれてありがとう。」と普段仏頂面で有名な光惺の珍しい深々としたお辞儀を見せられた。まあ気分は悪くなかった。

「涼太先輩、また有り難うございます。」とひなたちゃんまでもお辞儀をした。

「ひなたちゃんは悪くないから別にいいよ二人とも。」

 そう言って光惺に奢ってもらったちょっと良い缶珈琲を飲む。

「二人とももう帰っていいよ。疲れただろうし。」

 そう言って二人を帰らせた。

 奢ってもらったブラック珈琲は自分でもわからない自分の腹の底の何かから抽出したような味がした。


 すべてが終わった時にはもう既にエンケラドゥス標準時間で夜になっていた。そして親父と二人暮らししている官舎に戻り、本来今日する筈だった晶と美由貴さんを迎えるための荷物の整理をせずにそのまま布団で泥のように眠ってしまった。

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