第22話 地下室の秘め事
テゴメスはまだ、ティベリスたちの視線に気付かない。山のように積み上がった衣服に頬ずりをして、それから顔におしつけ、息を吸った。胸がいっぱいになるまで、鼻から強く強く息を吸い込み、そして恍惚とした顔で吐き出す。
「うっふっふ! たまらん、たまらんぞ! 未熟な娘の香りは、なぜこうも甘美なのだろう!」
ティベリスは唖然とした。甘美と聞こえたが何かの間違いだと信じたい。室内はカビの臭いに加え、不潔そうな悪臭まで感じられた。好き好んで味わうものかと、顔をしかめてしまう。
「サーラ。あいつは何をしてんの……?」
「婦女子の使用済み下着を堪能しているようです」
「なんでそんなものを。汚いでしょ」
「はい。汚らわしい行為であると断言します」
「ええと、とにかく踏み込もう!」
ティベリスはパーテーションの陰から飛び出した。
「テゴメス司教! お前の、その、良く分からない悪事もそれまでだ!」
なんとも端切れの悪いセリフだが、相手に声は届いた。テゴメスの丸い頭が振り向く。その口に、使い古された下着をくわえている。
「誰かと思えば……。あれほど入るなと申し付けたのに、もう忘れたのですか?」
「そんな話はどうでもいい。町の人に散々迷惑をかけた事、しっかり償ってもらうからな!」
「迷惑ですって? クックック、いったい何のことやら」
テゴメスは口にくわえた下着を手に取り、鼻に押し付けた。そしてまたもや深く息を吸い込み、酔いしれたツラで息を吐いた。
「私の善行は目の当たりにしたでしょう。貧乏人に食事を与え、寝床に風呂に衣服まで与えた。望めば生業資金も貸す。対価として、脱ぎたてのおパンテュを受け取ったにすぎない。それの何が罪だと言うのです?」
「うっ……。それは、その……」
「ティベリス様。カレンナ達に与えた理不尽な処罰を与えた件について」
「そうだ! 作業所の女囚たちはどうだ? 何も悪いことをしていないのに、強制労働させられたり、町から逃げるハメになったり!」
「そのことですか。わっはっは」
テゴメスは朗らかに笑っては、別の下着を手に取った。そして鼻先で匂いを楽しみ、布地に舌をはわせた。
「連中は異端者です。教会に属する者は、不信心者や異端者を見つけだし、再教育する義務があります」
「カレンナや他の女囚たちは、身に覚えがないと言っていたぞ」
「カレンナ……。あぁ、あの未亡人ですか。歳を食った未亡人のくせに、なかなかの色香でしたね。ぜひとも彼女のおパンテュをコレクションに加えたかったのですが」
テゴメスが顔を歪めて微笑った。それは、見るものに寒気を与えるほど、邪悪なものだった。
「神の代弁者たる私の誘いを断りました。これはまさに、女神ルシアーナに唾吐く行為と言えます。だから矯正が必要なのですよ」
「結局、お前が好き勝手やりたいだけじゃないか!」
ティベリスは聖剣の布を取り払った。そして鞘から勢いよく引き抜き、剣を構えた。
「好きなほうを選べ、改心してみんなを解放するか、それとも切り刻まれるかを!」
「それは、エビルスレイヤー!? なぜアナタがそれを?」
「僕はお尋ね者のティベリスだ。訳あって女の子の姿をしてるけど……」
「なんと、なんと……。つまりは、男の娘だったという事ですか!」
「え? は?」
「素晴らしい、なんという奇跡か! この精悍で未成熟な男の娘のおパンテュは、ぜひとも欲しい!」
「いやいやいや! 何を言って――」
「脱ぎたてを寄こせぇーー!」
「うわぁ! こっちに来るな!」
体格の割に機敏な動きを見せたテゴメス。その巨体はまたたくまに眼前へと迫った。
しかし、そこでサーラがテゴメスの身体を投げ飛ばした。窮地は去った。去ったどころか、太った身体はボールのように部屋の隅へ転がされていった。
「ティベリス様になんという無礼。ひかえなさい。おパンテュも、豚司教に奪われるくらいなら、私が頂戴したいくらいです」
「サーラ……。今のは冗談だよね?」
「すみません。口が滑りました」
「求めてないよね? 欲しがってないよね? そうだよね?」
「ティベリス様、それよりも今は豚司教をこらしめましょう」
「う、うん。ごめんね、その通りだ!」
ティベリスは改めて聖剣を構えた。一方でテゴメスはというと、またもや薄笑いを浮かべていた。そして、ゆらりと、静かに立ち上がった。
老いた司教の放つ気配が凄まじい。ティベリスは迂闊に飛びかかれないと、直感から立ち止まる。それはサーラも同じで、両手に魔力を宿しつつ、成り行きを注視した。
「グッフッフ。女神の代弁者たる私に歯向かうとは、実に不遜、まぎれもない異端者……」
「もう逃げられないぞ。アンタにはこれから迷惑かけた事を謝ってもらうからな」
「逃げられない? グフッ。逃げる必要が無いのだよ」
このとき、司教の手のひらが妖しく煌めいた。すると突然、壁から無数の腕が飛び出し、ティベリスの両手足をつかんだ。
「なんだこれ!? 壁から手が!」
「ここは教会だ。何百もの死体が埋められている。こうして『再利用』することは難しくないのだよ」
「アンタって人は、死者の冒涜まで!」
「おのれ……目に余る蛮行の数々、もう許せません。ティベリス様を解放しなさい! さもなくば焼き殺してしまいますよ」
サーラは右手をかかげて、手のひらに魔力を集中させた。急速に集まる幻素が旋風を生み出し、狭い室内に風が吹き荒れた。
しかしテゴメス司教はうろたえない。再び手のひらを妖しくきらめかせた。サーラもティベリスの隣で同じ様に、両手足を拘束されてしまう。
「何のマネかと思えば、くだらないですね。テゴメス司教、あなたの考えはよく分かりました。お望み通り焼き殺して差し上げましょ……ッ!?」
サーラが獄炎魔法を放とうとした瞬間、さらに壁から腕が生えた。それはサーラの脇腹めがけて伸び、彼女の身体をなぞっては、せわしなく動いた。
するとサーラは顔を紅潮させては暴れ出し、手のひらに満ちた魔力を巻き散らしてしまう。
「あっ、あはっ! あははは! やめな、やめなさいーーッヒッヒッヒ!」
「良い姿だよ精霊の娘。歳の頃はいささかババアだが、見た目は悪くない。あとでそなたもジックリ可愛がってやろう。だが今は――」
テゴメスの舐めるような視線がティベリスに向く。その瞳はおぞましく、腹の底から震えが走った。
「覚悟はよいかな、麗しの君よ。ここで脱ぎたての、お、お、おぱん、おパンテュをいただく事にしよう」
「やめろ! 近寄るな、あっち行け!」
「グフフフ、よきよき。やはり女子はこうでなくては。差し出された物より、こうして無理やり剥ぎ取った物の方が、心からたぎるのだよ!」
「ヒッ……やめろーーッ!!」
テゴメスの汚い手がティベリスの衣服へ伸びる。身をよじって避けるも、逃げ場はない。ただ単に、変質者を喜ばせるだけだった。
「ほれほれ、どうした。このままでは大事な大事なお召し物が盗られてしまうなぁ? ほれ、ほれ?」
「こいつ、こんな酷いやつなのに、どうして魔族化しないんだ!?」
「うむ? 感化のことか? そんな事が起こり得る訳もない。町は結界で守られているし、私には女神の加護がある。魔族の魂なんぞ寄り付くことすらないわ」
「こんなヤツが野放しになるなんて……なんて理不尽な!」
「さぁお喋りもここまでだ。そろそろ堪能させて居ただこう。この二次性徴まっただなかの、未熟な身体の香りをぉぉ……ぉぉお?」
テゴメスの手が不意に止まった。そして、ティベリスの視線も、おもむろに角度が変わる。テゴメスを正面から睨んでいたはずが、いつしか見下ろす形になっている。
ティベリスはあらためて自分の身体を見渡した。厚くたくましい胸板、鍛え上げられた腕に足。今この瞬間に女体化の効果が切れたのだ。
「やっとだ! こんな土壇場で薬の効果がきれた!」
「なんだ、急に体つきがオスのものに……。って、くっせぇーー! 汚い! 臭い! 何が男の娘だ、ただのクソオスではないか馬鹿者!」
「なんだよその言い草は! アンタだって同じ男だろ!?」
「あぁぁぁ臭い臭い汚い! よくも騙しおってからに!!!」
テゴメスは半狂乱になって室内を転がると、やがて衣服の山にたどりついた。そしておもむろに、下着を手にとっては、口の中に放り込んだ。そしてがむしゃらになってアゴを動かす。噛んでも噛んでも噛み切れる事はないのだが、力任せに咀嚼(そしゃく)し続けた。
その頃になると、拘束する腕も消えた。魔法が自ずと解けたのだ。
「ふぅ、ひどい目にあった。形勢逆転かな」
「ティベリス様、この無礼で品性の欠片もない豚男を、どのように処しましょうか?」
「まずは縛り上げて、余罪もあらいざらい――!?」
ティベリスは異様な気配に身構えた。サーラも同じく察知しており、暗い天井の方を睨む。
そこには、確かに魔族の気配が感じられた。
「そんな。さっきテゴメスは、感化なんてしないと豪語してたのに!」
「おそらくは、常軌を逸した振る舞いが原因でしょう。結界すら無効化させるほどに、強烈で劣悪な感情を抱いたせいかと」
「そこまで酷いとは、目も当てられないよ……!」
このときテゴメスは、事態が逼迫していることに気付かない。ひたすら、手当たり次第に、汚れた衣服を口に詰め込んでいる。
「ぐふっ、ぐふふ。おパンテュおいちい! おパンテュぺろぺろレロレロ!」
「不適切極まる言動を確認しました。これより感化が始まります」
「おぱっ、おっぱおパンテュ、おパンパンーーッ!」
テゴメスは叫ぶとともに、辺りに突風を浴びせた。残った衣服が舞い飛び、パーテーションも叩きつけられたように倒れた。
魔族化したテゴメスに、以前の名残はない。猛々しいオオカミのツラ、引き締まった身体に豊かな体毛を生やす。これが司教だと言っても、誰一人として信じないだろう。
「ティベリス様、これは厄介ですね。魔族化したことで、激しい戦闘を強いられました」
「そんな事無いよ。人間相手だとやりにくいけど、魔族相手なら遠慮はいらない」
ティベリスは聖剣を力強く構えた。
「行くぞ! アンタの罪を、僕がここで裁いてやる!」
もはや司教を斬る事に迷いなど無かった。
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