第21話 テゴメス司教

 霧のたちこめる朝。昨夜の騒ぎは、眠気と身体にしっかりと残されていた。



「おはようセフィラ、僕の身体が戻らないんだけど」


「あれ? マックス君は戻ったのに、不思議っスねぇ〜〜」


「元に戻す薬を頼みたい――」


「ないっスね、そんな便利アイテムは」


「少しくらいは悪びれた顔をしてよ」



 すっかり美少女と化したティベリスを、なめるような視線が向けられた。主にオーレインから。



「なぁ英雄、そして親友、オレっちの一生のお願いをきいてくれ!」


「なんだいオーレイン。急にあらたまって」


「やましい気持ちは一切ない。ないんだが頼む! アンタのおっぱいを直で吸わせ――ゲフゥ!」


「痴れ者のオーレイン。もう1日眠りこけて頭を冷やしなさい」



 オーレインはサーラの痛烈な一撃により、泡を吹いて倒れた。次の目覚めはいつになるやら。ティベリスはただ、苦笑いを浮かべるばかりだ。



「はいはい皆さんお待たせっス。朝飯できたんで、どうぞ〜〜」



 朝食は軽めにスープのみ。塩味と肉の旨味がちょうど良い。それはセフィラの錬金術で作られたのだが、謎肉と謎野菜が具材だった。錬金釜に放り込んだものも、廃材にロープにと、とても食えるものでなかった。


 それがこうして、いっぱしのスープとなっている事が、驚くと同時に怖くもある。



「さて、そろそろ昨晩の出来事についてお教えください。私やオーレインは何も聞いておりません」


「分かったよサーラ。でもオーレインは、あの様子じゃ聞けないと思うけどね」



 ティベリスは昨晩の出来事を語った。裸祭りはおおよそ濁して、テゴメス司教の噂について、事細かに説明した。


 するとサーラは、微笑みを浮かべながらも、握りこぶしを震わせた。



「女神ルシアーナの名を借りておいて、悪行三昧とは……許せん。骨も残さず焼き尽くしてやろうか……!」


「待ってサーラ。まだ証拠がないんだよ。全てはそれを見つけてからにしよう!」


「フシュウ〜〜フシュウぅぅ。良い、でしょう。今は、どうにか、こらえてみせますフシュ〜〜」


「大丈夫かな、これで……」


「それにしてもティンコ兄ちゃん。証拠を集めるってどうすんのさ?」



 マックスの疑問も当然だ。これまでに黒い疑惑が多く集まったものの、物的証拠はひとつもない。司教と争うには、まだ知らないことが多すぎた。



「僕が教会に偵察してくるよ。うまくいけば尻尾が掴めるかも」


「えっ? ティベリスさん、正気っスか? いきなり本拠に殴り込みかけるだなんて、無謀そのものっスけども」


「もちろん、いきなり暴れたりしないよ。今は女の姿だから、向こうも油断するんじゃないかな」



 話は決まった。教会に偵察するのはティベリスとサーラの2名。サーラは居残りの予定だったのだが、廃屋の隅っこでさめざめと泣き倒すので、仕方なく同行させた。



「革の鎧は脱いで、聖剣は布でグルグル巻きにして目立たないようにと。それじゃあ行くよ、サーラ」

 

「はい、準備万端です。腕がなります」


「何度も言うようだけど、勝手に暴れないで。あと暴言吐いたりするのもダメだよ」


「善処します」



 不安を覚えつつも、町の教会へと向かう。テルコーデ教会。女神ルシアーナを祀(まつ)る寺院で、比較的新しい。新旧の建物が入り交じる町中において、それなりに目立つ施設だった。



「扉は空いてる。参拝してる人も多いね」


「好都合です。通りすがりだと装って潜入しましょう」



 教会の中に入ると、ローブ姿の僧侶が会釈とともに受け入れてくれた。黒ぐろとした髪の、若い男だった。


 正面は長い通路で、そこに人が列を為して並んでいた。女性ばかりだが、少しだけ男の姿も混じっている。左右の窓から差し込む日差しは明るく、神聖ささえ感じられたが、ティベリスは顔を曇らせた。



「奥にテゴメス司教がいるね。説法でもしてるのかな」



 通路の奥でも扉は解放されていた。テゴメスは祭壇の前に立ち、一人ひとりに声をかけているようだ。背後の壁で大きなステンドグラスが、鮮やかな輝きを放っている。しかし、やはり神聖さは感じられず、むしろ毒々しいとまで思えた。



「列が進んでいきます。回転率は早いようです」


「そうだね。できるだけ話を盗み聞きしよう。お行儀悪いけども」



 列が進むうちに司教の姿も大きく見える。そして、話す内容までうっすらと聞き取れるようになった。



「テゴメス様。約束の50ディナをお持ちしました」


「ご婦人。確かに受け取りました。またお困りの事があれば遠慮なくどうぞ。いつでも力になりましょう」



 妙齢の女性、初老の男、老婆。一言ふたことと会話を交わすと、彼らは列からはけて退室していった。


 たまに金銭のやり取りがあるようだが、必ずではなかった。額面も小銭ばかりで、不審とまでは言えない。


 やがて、若い姉妹が司教と対話した。歳の頃はどちらも14、5くらいで、身なりは質素、というより悪い。すそだけでなく、そでもボロボロだった。



「お嬢さんがた、教会の助けが必要かね?」


「はい、そうです。食べるものもないんです」


「よろしい。案内させるので、彼のあとに」



 テゴメスは静かに片手を伸ばした。指し示す方には若い僧侶がおり、彼が貧しい姉妹を別室へと連れて行った。扉の閉まる音が、不思議と不穏に響いた。


 なぜだろう、ティベリスは少しいぶかしく思う。考え込むうち、いよいよ彼らの番である。眼前には、豚呼ばわりされたテゴメス司教。確かに大きく太った体つきだった。



「さて、お嬢さんがた。テルコーデ教会に何用ですかな?」



 テゴメスは目を細めながらティベリス達を見た。微笑みのようだが、肌にひりつくものが感じられる。ともかく不快な視線だと思った。



「おや、聞こえませんでしたか? 我が教会に何用ですかな?」


「あっ、ごめんなさい。用と聞かれても、そのう……」


「言いにくいこと、つまりは困窮されているのではないですか?」


「あっ、そ、そうなんです! 今朝も食べるものがなくて、腐った木の板とかロープを口にするくらい大変で、そのぉ……」



 ティベリスの言葉に目を丸くしたテゴメスは、両手を大きく振るって嘆いた。驚いた表情に本心は見えたが、その後の仕草は、作り物のようだった。



「あぁ、それはなんと凄惨な。すぐに温かな食事と、替えの衣服なども用意しましょう。必要であれば、当座の生活資金も」


「えっ、はい。ありがとうございます……?」



 ティベリス達は、先程の姉妹と同じく、隣室へと連れて行かれた。その部屋も特に不審なものはない。花を活けた質素な花瓶と、小さな油絵が飾られただけで、禍々しさはどこにもない。


 やがて僧侶が深々と頭をさげ、静かに告げた。



「テゴメス様より施しの用意があります。お食事、入浴、衣服、宿泊、ほかには生活資金の貸付がございますが」


「ええと、どうしようサーラ?」


「このさい全てをもらいましょうか」


「欲張りセットはやめとこう?!」



 ティベリスの反応に、僧侶は小さく笑った。



「ご遠慮なく。テゴメス様は、貧しき人々の暮らしに胸を痛めておいでです。あなた方の苦痛が少しでも和らぐのであれば、幸いというものです」


「ええと、じゃあ、お願いします……」



 肩透かしを食らったティベリスは、すっかり調子を狂わされた。


 まずは食事。無難に黒糖のパンとバター、腸詰め肉のスープが出された。味も悪くない。パンが硬いことを除けば、上等な食事だと思えた。


 続いては入浴だ。やわらかなタオルと、新品のローブが手渡された。



「浴室はこちらです。お望みであれば、新しいローブは差し上げます。古い方のお召し物と交換、という形になりますが」


「いや、今回はいいかな。今の服はまだ着れるし」


「わかりました。いつでも構いませんので、交換を望まれる場合はお申し付けください」



 浴室に入る直前、2人組の少女とすれ違った。ティベリスたちより前に連れて行かれた2人だ。姉妹はどちらも上機嫌で、湯上がりの肌に真新しいローブを身に着けていた。浮かべる表情も、じつに安堵しきったものだった。



「では、私は表におります。何かご不都合ありましたら、お気軽に」



 僧侶は頭を下げつつ、入口をそっと閉じた。脱衣所と浴室は無人だ。どちらも石造りで、すこし狭苦しいが、掃除は行き届いていた。



「これは湯浴みをしないと不審がられるね。だからここはひとつ……」


「裸の付き合いですね。もちろんお受けします。女の子どうし、ヌルッと楽しみましょう」


「別々で入るに決まってるでしょ! まず僕が入るから、出てくるまで待ってて!」



 ティベリスは衣服を脱いで、荷物とともに棚におくと、浴室にはいった。5歩分の洗い場と、同じ広さの湯船がある。手桶で湯をすくい、頭から浴びた。心地よい温度だ。


 湯船に浸かっていると、心がほどけてくる。そして次第に、感謝の念すら湧き上がってきた。



「もしかして、司教さんは良い人? じゃあ悪い噂はいったい……」



 訳が分からなくなる前に、湯からあがった。そして脱衣所にもどって、着慣れた衣服に袖を通した。



「サーラ、もういいよ。つぎは君の番だ」


「ふむ、爆乳という程ではないですが、そこそこのサイズ感。リンゴよりいささか大きいか……」


「どこ見てんの! 早く入ってきなさい!」



 サーラは衣服を着たままで風呂場に入ると、頭から湯を浴びた。2度、3度とそれを繰り返しただけで、脱衣場に戻ってきた。



「ただいま帰りました。悪くない湯加減でした」


「豪快というか。今のは入浴とは言えないね」



 サーラは濡れた髪をタオルで拭いた。服も水浸しなのだが、彼女の服装はそもそも濡れ透け水着セットだ。乾かす事などできず、タオルでぬぐうフリをするだけである。



「ではお二方には、部屋まで案内いたします。日数に制限はありませんが、部屋数には限りがあります。いつまでも許可する、という訳にはまいりませんので、ご了承おきを」


 

 僧侶のあとを着いて、教会の2階へ昇った。そこは居住スペースとのことで、通路沿いにいくつかの扉があった。


 ティベリスたちに用意されたのは2人部屋で、簡素なベッドが2台あるだけの質素なものだった。他に家具は何一つ無い。イスの一脚さえもないのだが、雨風がしのげるだけでも上等だと言えた。


 案内の僧侶を見送って、2人だけになると、ティベリスはベッドに飛び込んだ。背中に当たる木の感触は固く、毛布も少しだけカビ臭いのだが、大して気にならなかった。



「サーラ、僕はよく分からなくなってきた。本当にテゴメス司教は悪人なのかな?」


「何とも言えません。本当の善人か、それとも悪事を偽善で隠しているか。様子を見るべきでしょう」


「そうだよね。証拠をつかみに来たんだもんね」



 部屋を貸し与えられたが、外出も自由だった。朝昼晩の食事が必要かだけは、僧侶に申告する必要がある。ルールはそれくらいだった。


 ティベリス達は、町の散歩をすると告げて、教会を後にした。向かう先は廃屋の拠点である。仲間たちには、教会で寝泊まりする事を告げた。その言葉で大いに驚いた一同だが、反論は聞かれない。


 それからティベリス達は、再び教会へと戻った。今も不穏な気配は感じられない。



「下働きの僧侶も親切だね。まじめに働いてるよ」



 彼らは勤勉だった。庭の草取りや清掃、参拝客の相手と、誰もが休まず働いていた。


 今も二階通路で僧侶とすれ違う。彼はカゴを携えながら階段を降りていった。中身は衣類で、宿泊者が使用したものだった。



「誰も嫌な顔ひとつしないで働いてる……。本当に悪人なのかな?」



 やがて夜を迎えた。食堂に呼ばれると、まず香ばしい匂いが出迎えた。食事は豪勢で、大きな羊肉も出た。食堂に顔を並べた少女たちは、舌なめずりしてまで料理に食らいついた。

 

 ここでも不審な事は何一つ無い。おだやかで豊かな晩餐だ。やはり悪い噂と重なるものは見当たらない。



「おかしいな……。誘いを断ったカレンナは強制労働。司教に力付くで覆いかぶされた女性もいた。真相はいったい……?」



 ティベリスがぼんやりと食べ進めていると、食堂にテゴメスが現れた。大きな腹を揺らしつつ長テーブルに歩み寄り、にこやかな顔で着席した。



「どうですかな。お食事の方は」


「とっても美味しい! ありがとう司教さま!」



 姉妹の妹が大声で言った。言葉遣いのつたなさを、隣の姉がたしなめている。



「お気に召していただけたようで、何よりです。こでは衣食住がそろっています。借りたお金で技術を学び、生業を得ることも可能です。よく食べよく眠り、よく学ぶことに期待します」


「はい、司教さま!」


「お食事が済んだなら、片付けはこちらでやります。部屋にお戻りを」



 テゴメスがそこまで言うと、にわかに気配を変えた。おだやかな笑みに、油断ならないものが感じられるようになる。



「夜にはあまり出歩かないよう。特に、施錠された部屋には近づかぬよう、ご注意ください。教会運営に関わる重大な作業を行いますので」


「はい、司教さま!」


「良いお返事です。では頼みましたよ」



 近づくなは、近づけの合図だ。


 それからしばらくして、訪れる夜更け。町が寝静まったころを見計らい、ティベリスたちは部屋から抜け出した。忍び足になって件(くだん)の部屋を探す。



「いったいなんだろうね。教会運営に関わるって」


「言葉通りの意味ではないでしょう。知られてマズイものがある、と考えるべきです」


「じゃあ、そこを調べたら答えが分かるね。善人か、それとも悪人か」


「ティベリス様、人が来ます。しばらくここで待機を」



 言葉に従って、階段の踊り場で身を潜めた。すると1階の通路から足音が聞こえた。ランプを手にした僧侶が、辺りを見回しては、やがて遠ざかっていった。



「なるほど。見回りがいるんだね。見つかったら面倒だ」


「周囲の警戒はお任せください。気配の察知は得意ですので」


「頼りにしてる」



 ティベリスは1階に降りると、教会内部をあらためて探索した。礼拝堂は無人。通路も小部屋も無人。鍵は掛けられておらず、食料庫ですら、何の施錠もされていない。



「どこだろう、鍵のかかった部屋は。宝物庫とか、そんな部屋かな?」



 ティベリスたちは教会から出て裏庭に回った。すると、ちょうど見回りと鉢合わせしてしまう。



「おや? こんな夜中に何を――」


「うわぁ! ごめんなさい!!」



 ティベリスは反射的に拳を突き出した。それが僧侶のアゴを打ち抜き、意識を奪い去ってしまった。



「あぁぁやっちゃった! どうしよう、もし無実の人だったら大変な事を!」


「御安心を、ティベリス様。美少女に殴ってもらえる事を褒美とみなす界隈も、この世には存在しますので」


「そんな界隈あるわけないでしょ!」



 ひとまずティベリスは、僧侶を屋内通路のソファに寝かせることで、安静にさせた。こみあげる罪悪感がすさまじい。


 するとそこへ、サーラが一報を届けにやって来た。



「ティベリス様。例の部屋を見つけました。地下のようです」


「地下室……?」



 その部屋は裏庭だけに繋がる、下り階段の先にあった。らせん構造で、地上からは先が見えない。


 一歩一歩、足音を殺して降りていく。するとその先は鉄扉があり、彼らの行く手を阻んだ。



「これが施錠された部屋なのかな。鍵はどこに……」


「お任せください。私には造作もなきこと」



 サーラは半透明になって侵入を試みた。全身がスウッと鉄扉に溶けて、ついには消えた。しばらくして、扉は音も立てずに開いた。


 サーラと再会したティベリスは、声を落として礼を言った。



「助かったよ、余計な手間が省けた」


「ティベリス様。結論から言うと、テゴメスは黒です」


「じゃあ、ここにその証拠が……」


「実際にご覧ください。口に出すのもおぞましい程の悪事が、この地下室で起きています」



 入口すぐに背の高いパーテーションがあり、中の様子は見えない。ティベリスはそっと忍び寄り、物陰から部屋の中を覗き込んだ。


 そこにはテゴメス司教の背中が見えた。彼1人だけだ。ランプだけが照らす暗い室内で、薄気味悪い笑みを浮かべている。


 そして、大きな身体で飛び跳ねて、積み上げた布の山に飛び込んだ。それは薄汚れた衣類。少女たちが使い古した衣服であった。


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