第20話 性癖のトビラ

 浴場はどこを見ても女、女、女だらけ。天井から降りしきるぬるま湯で、汚れを落とす最中だった。湯の出どころは天井に張り巡らされた配管から。そんな最中では、裸体を隠す者などいない。純然たるモロ出しボロン状態だった。


 そこへ、マックスの母親に腕を引かれたティベリスは、裸の園に力づくで招かれてしまう。純朴青年に直視できる光景ではない。顔を天井に向けて、さらに両目を手でおおうばかりだ。



「ごめんなさい、僕みたいなもんが、ほんとごめんなさい……!」


「あの、マックスの事を何かご存知なのですよね? ぜひともお話しを」


「あの子なら、先にこの建物へ――」



 ティベリスは薄目になって辺りを見回した。すると浴場の隅に倒れ込む子供を見た。見覚えのある姿に、ティベリスは思わず駆け寄った。



「あぁっマックス! しっかりするんだ、マーーックス!」


「あわわわ、あびゃびゃあ、裸まつりぃ〜〜。ブルンブルンだねぇ〜〜っとくらぁ」


「ダメだ、戻ってこい! そっちに行ったら帰ってこれないぞ!」



 ティベリスはたまらずセフィラを呼んだ。すると、裸の園から見慣れた顔がヒョッコリ出た。幸いなことに、彼女は衣服を着ており、袖まくりの姿をしていた。



「あぁ、すんませんっス。女囚と勘違いされて雑用を押し付けられてたんスよ」


「細かいことは良いから、マックスが大変なんだ! このままだと別の人になっちゃう!」


「うわヤバッ。性癖の扉をこじあけてる最中じゃないスか。でもご安心を。こんなこともあろうかと――」


「こんなこともあろうかと!?」


「持ってきたんスよ、デデン! 泡和石鹸(あわわせっけん)〜〜!」



 セフィラは小さなボールを取り出すと、部屋の真ん中に投げ込んだ。するとボールは、ぬるま湯に反応して膨大な泡を吹き出した。さらに、泡は自我でもあるかのように、女性たちを押しつつもうとした。


 際どい絵面だ。しかし、その豊かな泡は彼女たちの胴体をくまなく、そして優しく包んでくれた。まるで、毛刈り前の羊のようだ。



「ありがとうセフィラ……一時はどうなるかと」


「お安いご用っス。あとはマックス君が回復したら安心っスね」


「あの、その女の子が、マックスなんですか? 私の息子の……?」



 母親がいぶかしむと、マックスは正気を取り戻した。そして、半年ぶりの再会に、瞳に涙があふれだす。



「母ちゃん、オイラだよ!」


「あ、あぁ……やっぱりお前なのかい?」



 駆け寄るマックス。抱き合う母と子。しかしタイミングはよろしくない。潤沢な泡にはばまれて、お互いの肌が触れ合うことはなかった。マックスも周りと同じく、子羊のような風貌になった。



「母ちゃん。潜入するのに、薬で女の子になったんだ。すげぇだろ?」


「すごいけど、それは元に戻るのよね?」


「えっ? そりゃそうだろ。なぁセフィラ姉ちゃん?」


「あぁ、うんうん。もちろんっスよ。明日には戻るんじゃないかなぁ〜〜?」



 セフィラは壁の方に目を向けていた。品質に対する自信の現れだった。


 それはさておき用件だ。ティベリスはマックスの母親から事情を聞くことにした。彼女はカレンナと名乗った。



「おっしゃるとおり、私は異端者として捕らえられました。まともな裁判もなく、その日の内にここへ送られました」


「異端者について何か覚えは?」


「ありません。強いて言えば、司教テゴメス様のお誘いを断ったことでしょうか」


「誘いって、どんなものだった?」


「よく分かりません。聖典について教えてやるとか、神の御業について語り合おうとか、そのような事を。私は3人の育児で忙しいので、丁重にお断りしました」


「そうなんだ。他に心当たりは?」


「特にありません。多忙ながらも、平々凡々とした日々でした」



 カレンナがそこまで語ると、別の女性が声を荒げた。



「あの豚坊主め。女ぐせの悪さは相変わらずだな!」


「ええと、アナタは何か知ってるの?」


「アタシは教会に仕事で通ってたんだよ、卸業者でね。信徒たちが噂してるのを何度も聞いたもんさ。毎晩のように女を連れ込んでるって、大人から子供まで何でもありの、ケダモノだってね」


「それは……事実なら酷い話だけど」



 すると、何人かがおずおずと手を挙げた。モコモコとした泡から伸びた手だ。



「あの、私、テゴメス様に覆いかぶされた事が……。その場は逃げたんですが、何日かして捕まってしまいました」


「アタイも聞いたことあるよぉ。美人で評判のお隣さんが言い寄られて大変だって。結局、一家そろってモモトフまで夜逃げしたらしいよ」


「噂なら私も聞いたことがあって――」


「待って待って、アタシが聞いたやつはすんごいヤバイよ?」



 被害を語る言葉は途切れなかった。それは体験談であったり、目撃情報だったり、人づてに聞いた噂と、信憑性もそれぞれだった。しかし、瞬間的にここまでの情報が集まったのだ。テゴメス司教が無実とは思えない。


 そうして、井戸端会議にも似た糾弾が続けられると、不意に扉が開いた。出入り口から顔をのぞかせた監視役が、荒々しい声で怒鳴った。



「いつまでグズグズしてる――って、なんだその泡は! 遊んでないで早く洗え、バカども! 罰として晩飯は抜きだ、反省しろっ!」



 扉がけたたましい音とともに閉まった。女囚たちは、水を打ったように静まり返ってしまう。



「あ〜〜あ、怒られた。晩ごはんナシだってさ」


「構いやしねぇよ。豚司教の罪をぶちまけてやったんだ。ハラヘリでも胸は一杯だよ」



 女囚たちは泡を洗い落とすと、脱衣所に戻っていった。カレンナも立ち去ろうとする前に、ティベリスの元へ歩み寄った。



「どうか、息子たちをお願いします。我が子さえ無事ならば、私は囚われの身でも構いません」



 ティベリスの両手を強く握りしめ、そして、去っていった。風呂場には、すでに女囚の姿は無い。



「行っちゃったね。強い人だった」


「リーダー、これからどうします? ここから逃げるのは当然として、その後っスけど」


「いったん、サーラに報告しよう。それからは証拠集めかな。テゴメス司教の悪事を証明する、決定的な証拠をね」


「つうことは、やっちまうんスね? あの豚を」


「事実なら絶対に許せないよ。自分の権力を悪用して、多くの人を苦しめるだなんて……!」



 ティベリスの瞳に怒りの色が差す。その迫力に、マックスとセフィラは、一時だけ声をつまらせてしまった。



「オッケーっスよ。でもその前に、ちょいと野暮用を片してもいいっスか?」


「構わないけど、何かあるの?」


「ええ、ちょっとね〜〜」



 セフィラは軽快な足取りで立ち去っていった。そして、大勢の女囚が残る脱衣所を通り過ぎ、出入り口を開けた。


 そこには、さきほど怒鳴り込んだ監視の男がただずんでいた。



「あっ、お兄さん〜〜。いつもいつもご苦労さまっス」


「何だその態度は。愛想を振りまいても飯抜きは確定だぞ。まぁあれだ、もしお前が今晩ケツを差し出すと言うのなら、パンの1つも恵んでやろう。グッヘッへ」


「あぁ、やっぱそういう感じなんスね〜〜。こりゃ遠慮いらないっスわ、クソ野郎が」



 セフィラは胸元から瓶を1つ取り出し、薬液を男の顔にかけた。神経毒だ。すると男はたちまち泡を吹いて倒れ、意識を手放した。


 それでもセフィラの攻勢は終わらない。男のズボンを半脱ぎにすると、尻にカラ瓶を突き刺した。そこまでやって成敗完了だった。



「おっし、一丁アガリ。仕事中にケツ遊びして失神と。これは懲罰物の失態じゃないスかねぇ?」



 鮮やかすぎる手並みを、女囚たちは拍手でたたえた。中には飛び跳ねてまで感激する者までいた。


 唯一、ティベリスだけは苦笑いを浮かべた。



「セフィラ。気持ちは分かるけど目立ちすぎたよ。これから逃げ戻ろうって時に」


「すんませんっス。そんじゃ早いとこオサラバしましょ」


「ねぇ。どうして抱っこの姿勢になるのかな?」


「塀を飛び越えるんスよね。頼りにしてるっスよ」 


「やっぱり僕が担ぐのか……」



 ティベリスは、戻りも2人同時に抱えることになった。左肩にのぼせ気味のマックスを、右肩にはここぞとばかりに密着するセフィラを担ぐ。


 そうして、みょうに密度の濃い潜入を終えた一行は、廃屋へと帰ってきた。


 しかし、そこも別の意味で修羅場だった。



「はぁ、ただいま。なんだかぐったり疲れたよ……」


「うっ、うえぇっ。私は、ずっと置いてけぼりで、仲間はずれで、うぇぇーーん」


「なかないの、サーラねえちゃ。いいこだよ、いいこ」


「ういっく。出会った当初は、何度も出し入れしたというのに、もう私なんて必要ないんだ〜〜ういっく」



 サーラは酒を、瓶のラッパ飲みで飲んでいた。白い肌は、茹で上がったタコのように真っ赤だ。 ちなみにオーレインはというと、部屋の隅で気持ち良さげに高いびきで、深く寝入っていた。


 しばらくティベリス達が、入口そばでただずんでいると、サーラがようやく気づいた。



「あら、おかえりなさい……って女の子? おや、おやや、さすがに飲み過ぎでしょうか?」


「飲み過ぎには違いないけど、目の錯覚じゃない。セフィラの薬で本当に女の子になったんだ」


「女の子……。これはこれで、アリですね。ういっく」


「なんかダメそう。酔いが覚めるまで報告はやめとこうかな」


「いえいけます、サーラやれます! 女の子同士でも工夫次第でどうとでも! ういっ」


「やっぱりダメじゃないか……」



 ダルがらみを繰り返すサーラを適当にあしらい、この日は眠ることに。廃屋でマックスたちも含めて並んで横になった。


 アリアは大勢で眠ることに大興奮で、 ライアンは姉と化したマックスに不安を覚えて落ち着かない。その隣には、酒臭い身体をティベリスに擦り寄せるサーラに、負けじと反対側から身を寄せるセフィラ。


 眠れる状況には程遠い。ティベリスは瞳を閉じながら明日を思う。


(テゴメス司教。その首は明日まで預けておくよ……)


 そんな八つ当たりめいた想いを胸に、夜はゆるやかに更けていく。

 

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