第16話 さよならはジャスミンとともに

 むせ返る血の臭い、そして死の気配。イーリアの変わり果てた姿に、ティベリス達は硬直してしまう。そのなかでサーラだけが素早かった。イーリアの元へ駆け寄ると、回復魔法を発動させた。



「サーラ、どうなの、治せそう?」


「いえ、これはもう……」



 サーラが放つ神々しい光が、イーリアの身体を優しく包み込む。それでイーリアは、かすかに反応を示したが、サーラの表情は険しい。



「こうして、魔法をかけ続ければ、死を免れる事ができます。しかし、それもいつまで保つか……」


「いつまでって、具体的には?」


「半日、いえ、日没までならどうにか」


「そんな……」



 空はすでに赤みがかっている。別れを済ませるには、あまりにも短すぎた。



「おばあちゃん! 嫌だよ、死なないで!」



 セフィラが駆け寄り、ベッドのそばで泣き崩れた。育ての親だ。時には反発して、憎まれ口を叩く事はあっても、彼女にとってたった1人の家族だ。声が裂けそうなほどに泣きじゃくった。


 しかし、そんな彼女の頭を押しのけようと、白い腕が伸びた。枯れ枝のように細く、弱々しく震えているが、意志の力だけは強く感じられた。


 イーリアが自らの手で、セフィラを遠ざけようとしたのだ。



「おばあちゃん。どうして……」


「か、課題の、軟膏……。それを早く、アタシが生きてるうちに」


「このまま、そばに居ちゃダメなの……?」


「アンタが、1人前になった姿を、みせておくれ。とにかく、早く」



 気丈な言葉に、ティベリスですら胸を打たれて、目頭が熱くなる。


 セフィラにはなおさら突き刺さった。自分の涙を袖で乱暴にぬぐうと、調合部屋へと駆け込んだ。


 残されたティベリス達は、ただそっと、立ち尽くすばかりになる。



「サーラ。おばあさんは、待てるかな?」


「分かりません。あとはイーリアさんの気力次第としか言えません」


「だったら祈ろう。女神ルシアーナに、心の底から祈ろうよ」



 ティベリスは両手を組むと、静かに目を閉じた。そして祈る。天に昇ろうとする老婆イーリアの願いを、涙を流しながら期待に応えようとするセフィラを、どちらも救い給えと。


 その間、隣室は騒がしくなる。鍋の落ちる音、床につまづく音と、セフィラの怒号がひっきりなしに聞こえる。それはそれでソワソワとさせられるが、心配は要らなかった。



「やった、出来たーーッ!」



 その言葉とともにセフィラは駆け戻ってきた。その手には陶器のビンがあり、中には純白の薬剤でつまっていた。滑らかなクリーム状で、ささいな動作で柔らかくゆれた。



「出来たっスよ、おばあちゃん! ソフィアの軟膏!」



 その言葉で、イーリアの顔が静かに倒れた。そして、うつろな瞳が、薬を見ようとする。



「うん、うん。よくやったよセフィラ。これでアンタも、一人前さ……」



 イーリアの震える指が、軟膏にふれた。それをセフィラの手の甲につけてやる。すると、青あざがスウッと消えた。絵の具を塗り替えでもしたように、あっさりと。



「さぁ、セフィラ。首の魔印を消しとくれ。それで、すべておしまいさ」


「いやだ」


「セフィラ、なにを言うんだい」


「いやだ、絶対消さない!」



 セフィラは、自分の首を空いた手でおおいながら、あらん限りの声で叫んだ。



「これはおばあちゃんがアタシにくれた、大切な思い出なんだ! 頼まれたって消してやるもんか! このままずっと、ずうっと残しておいて、墓場まで持ってってやるんだ!」


「セフィラ……ここでワガママ言うのかい」


「だったら生きてよ! アタシはまだまだ子供で未熟者で、出来損ないだよ! だからお願い、死なないで……!」


「しかたない子……」



 セフィラはイーリアの身体に抱きついた。軟膏が、重たい音とともに地面を転がる。それを聞いてもセフィラは、イーリアから離れようとしなかった。



「おぼえてるかい、セフィ。ジャスミンの花だ。アンタの首に描いたのと、同じ花」


「えっ。これ、何かあったっけ?」


「もうどれだけ前だろう。アンタは夜中にとつぜん居なくなったんだ。アタシは必死にさがしたよ。そしたら、泥だらけになって、ヒョッコリ帰ってきたのさ。人の気も知らないでさ」


「あぁ……そんなこともあった、かも?」


「それから散々に叱ってやったけど、アンタは悪びれもせず言うんだ。『キレイな花が咲いてたからあげるね』って。ジャスミンの花束だ。アタシはもう、怒る気なんて失せちまったよ」


「う〜〜ん。うっすら覚えてる。なんか恥ずかしいっスね」


「だからね、セフィの首にジャスミンの図柄を刻んだのは、そういう理由さ。人間ってのは、嫌なことだけじゃなく、嬉しいこともキッチリ覚えてるもんだね」



 ここでイーリアは、窓の外を見た。広大な湖が赤く染まり、美しく輝いていた。



「はぁ、本当に良いのかねぇ。アタシみたいな罪人が、こんな幸せな気分を味わうだなんて。あんまりにも贅沢で、皆に申し訳ない……」



 そこで、イーリアの顔がカクリと落ちた。瞳も、1点を見つめたままで、動かなくなる。



「おばあちゃん……?」



 セフィラが呼びかける。反応は何もない。サーラも力なく首を横に振った。



「お別れです。あとは女神ルシアーナの導くままに」



 辺りは悲しみにつつまれた。セフィラはのどがかれるまで泣き続けた。今度は奇跡などおきない。死者をよびもどす手段を、彼らは持ち合わせていなかった。


 しばらくして、涙がおさまった頃。サーラがそっとセフィラに告げた。



「差し支えなければ、こちらをどうぞ」


「これって……。ありがとうっス」



 サーラが手渡したのは、白く小さな花の咲き乱れるジャスミンの花束だった。それをどうするのか、聞くまでもなかった。


 サーラはイーリアの胸元に、そっと花束を添えた。



「よく覚えてるもんスよ。あんなの10年以上昔の話で、アタシはすっかり忘れてたけど」


「きっと、おはあさんにとって特別な思い出だったんじゃないかな。セフィラは愛されてたんだよ」


「はい。色々と悩まされたけど、厳しい人だったけど。とっても優しかったな……」



 セフィラの脳裏に、幼き頃の記憶がよみがえった。それは美しい思い出に満ちあふれていた。毎日が楽しく、新鮮で、なんの不安も無かった。


 そんな毎日を終わらせたのはイーリアだ。自分が死んだあとも、セフィラ1人で生きていけるよう、厳しく育てると決めた。心を鬼にしたのだ。たとえ反感を買おうとも構わず、セフィラのためを想って。



「色々あったんスよ。色々と……」



 セフィラはそう呟くと、口を閉じた。心の奥深くで、死者と対話しているようだった。



「ティベリス様。我々は一度退散すべきです。今は2人きりにさせてあげましょう」


「そうだね。セフィラ、ゆっくりして。僕たちは外で寝るから」


「ところで、ティベリスの旦那よ。外に知らねぇオッサンが転がされてんだが? しかも、がんじがらめで」


「その人は賞金首だよ。5千ディナとか言ってたような」


「5千!? だったら有名人じゃねぇか!」



 そうして家から離れたティベリス達は、木々の生い茂る森の中で夜を明かした。天気の良い、月明かりが輝く夜だった。キレイだと思っても、どこか寂しさがつきまとい、なかなか寝付けなかった。


 翌朝、セフィラととも弔(とむら)った。イーリアの墓は、季節の花々の生い茂る、湖畔の草原地帯にたてた。



「おばあちゃんは、花が好きだったんで。ここが一番良いと思うんスよ」



 セフィラがつぶやくと、優しい風が吹いた。ほほを撫(な)でるようなそよ風で、感謝の言葉が聞こえた気がした。


 それから迎えた昼。旅支度を終えて、別れを告げようとしたティベリスは、セフィラの家に入ったのだが、間もなく出てきた。顔に微笑みを浮かべている。



「どうされました、ティベリス様?」


「セフィラだけど、机につっぷして寝ちゃってるよ。だから書き置きを残しておいた」


「淫乱よさらば」


「そんな事書かないよ。僕たちはもう行くけど、何か困ったことがあったら力になる、みたいな事をね」


「そうですか。ホッとしました。このまま仲間にされるつもりかと」


「僕はお尋ね者だし、気軽に誘えないよ」



 ティベリスは出発を告げた。サーラと、馬をひいたオーレインもその指示に従った。



「さぁてと、迷宮薬とやらが切れてると良いんだがな」



 数日ぶりに再会した馬車の荷車だが、大きな異変はなかった。リスが道具袋から、クルミをひとつチョロまかしたくらいで、勢いよく退散していった。



「そんじゃ行くぞ、お2人さん。旅の再開と行こうや!」



 オーレインがムチを振るうと、馬車はカッポカッポと進みだした。いつぞやのタヌキ岩を通過し、その先へと進む。


 出足は順調そうに見えたのだが、不意に邪魔が入った。



「ちょっと待つっスーーッ!」



 現れたのはセフィラだ。丸々と膨らんだ道具袋を背負いつつ、木の枝から降ってきた。



「セフィラ、起きてたんだ?」


「ひどいっすよティベリスさん! アタシが寝てる間に置いてくなんて薄情じゃないスか! お礼も全然できてないし!」


「いや、少しは悪いかなと思ったよ」


「お願いします、アタシも仲間に加えてください! 今度こそしっかり恩返ししますんで!」


「僕はやめといた方がいいよ。何せお尋ね者だし」


「ティベリスさんが? またまたぁ〜〜。そんなハッタリを真に受けるアタシじゃないっスよ」



 お尋ね者という話は、どれだけ言葉を尽くしても信じてもらえなかった。プロパー・マナーズの件にはじまり、似ても似つかない人相書きを出しても無駄だった。そんなハズはない、あなたは悪人ではないの一点張りだ。



「すなわち、おねしゃす! アタシも、つれてって!」


「どうしようサーラ。この子、めちゃくちゃ頑固だ」


「どれだけ足掻(あが)こうとも拒否します。仲間にはできません」


「うぬぬ。サーラさん、理由を教えてもらっても? こう見えてアタシ、錬金術っていう強スキル持ちなんスけど?」


「ティベリス様にアレコレする未来が見えます。出し入れの既成事実を作ろうと企んでます。正直、フザけんなコロすぞ、と思いました」


「いやいやいや、そんなそんな。手をだすつもりはないっスよ? アタシからは……」


「では怪しげな薬を使うつもりでは? たとえば、惚れ薬のような何かを」


「チッ。カンの鋭いやつ」


「正体見たり。八つ裂きにされたくなければ、即刻立ち去りなさい」


「ふふん。良いのかなぁ、アタシにそんなクチきいて?」



 不敵に微笑んだセフィラは、小瓶を取り出した。そして見せつけるようにして、顔のそばでユラユラと振ってみせた。



「それは、もしや――」


「そうご明察、迷宮薬っスよ! いつの間にやら作れるようになったんス。さすがはアタシ、天才的!」


「よこしなさい。悪用は許しませんよ」


「アーーハッハ! 仲間にしてくんないなら、森の中を永遠にさまよいやがれ!」



 セフィラは薬瓶を地面に叩き割ると、そのままどこかへ姿を消した。



「ティベリス様、追いかけましょう。そして、このフザけた不始末の責任をとらせるのです」


「いやいやいや! どうしてこうなっちゃうかな!?」


「泣き言を言ってる暇はありません。急ぎましょう」



 それから、セフィラとティベリスたちの壮大な追いかけっこが始まった。明日も、その明日も、またその明日も。迷宮薬には期限がある。しかし効果が切れかけるたびに、セフィラが追加でバラまくので、時間による解決は不可能だった。


 結局、10日ほど争ったあげく、サーラが折れた。ついにセフィラの同行を認めたのだ。



「んっふっふ。これからよろしくでっす、ティベリスさん!」


「あぁ、うん。もう好きにして……」



 この足止め騒ぎでもっとと不運だったのは、賞金首のコリゴリーだろう。両手足を縛られた状態で、何日も馬車の中に寝転されていたのだから。


 だが、彼は少しだけ嬉しそうだ。誰かしらがそばにいて、話し声も聞ける事が、たまらなく嬉しかったとか。



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