第9話 センシティブ、推して参る

 リュカがいない。そう言って騒ぐのは中年の女性だった。彼女は肥えたお腹を激しく揺らしつつ、村の中を駆けずり回っていた。



「どうかしたの?」



 ティベリスが声をかけると、女性は飛びつかんばかりに寄ってきた。



「リュカの姿が見えないんだよ。朝メシを食わそうと思ったんだけど、家のどこにもいないんだ」


「かくれんぼ……とかじゃないよね?」


「キッチリさがしたよ。でも、全然見つからないんだ。ベッドも冷たくなってたし。どうしよう、あの子もしかしたら、また森の中に……」


「僕がさがしてくるよ。だから、ここで待ってて」


「頼むよ。どうかリュカを見つけてやっておくれよ」



 女性と別れてから森街道へ向かう。その道すがら、リュカの姿をさがしてみるものの、見かけることはなかった。そうして、もうじき村外れだというところで、サーラがティベリスのそでを引いた。



「リュカというのは、昨日の子供ですよね?」


「そうだよ。ナイフを持ってた女の子。もしかすると、本気で魔獣を倒しにいったかもしれない」


「いえ。捜索対象の気配を見つけました。村長宅にいる模様です」


「そんな事がわかるの!?」


「感情と気配が独特でした。居場所を感知することは、それほど難しくありません」


「恩に着るよ」



 ティベリスたちは村長宅へと駆け戻った。サーラが、本宅ではないと言う。彼女が指をさしたのは大倉庫だった。



「こんなところにいたんだ……」



 薄暗い部屋のなか、リュカはちんまりと座り込んでいた。その正面に、男女の石像がある。腹を押さえて叫ぶ男と、何かに向かって手を伸ばす女の像だ。



「リュカちゃん、村の人がさがしてたよ。朝ご飯に呼んだら、見つからないって」


「いらない」


「いらないって、お腹がすいてないの?」


「パパとママがもとにもどるまで、たべない。いらない」



 強情な子だった。意思の強さが言葉と態度にあらわれており、簡単ではないなと思う。ここから連れ出すだけでも一苦労させられそうだ。



「まいったな。サーラ、説得を頼める?」


「私がですか?」


「こういうとき、同性の方が心を開きやすいと思うんだ。どうかな」


「では失礼して……。リュカ、聞きなさい。アナタの選択はまったくもって非合理的です。食を絶つことと治癒することに、なんら因果関係が無いからです。今、少なくない大人に迷惑をかけているので、ただちに態度を改めて――」


「うん、うん。やっぱナシ。僕がやるね」



 ティベリスは静かに腰をおろした。隣に並ぶリュカの顔は、あたま1つ分ほど低い。



「この像が、君の両親なの?」



 リュカがかすかにうなづいた。



「そっか。パパやママに会いたくなったんだね」



 リュカは答えない。鼻をすすって、立てた膝(ひざ)にアゴをうずめた。



「僕もね、両親がいないんだ。母さんは、僕を産んだ時に身体を悪くして。だから父さんが1人で育ててくれたよ。でも僕が小さい時にね、魔獣と相打ちになったんだ」



 リュカが小さく息を飲んだ。そして、ようやく視線をティベリスの方へと向けた。おさなくも鋭い両目には、涙が大きくふくらんでいた。



「あのね、リュカがわるいの」


「何がだい?」


「パパとママが、石になっちゃったこと」


「そうか……。よかったら、話をきかせてくれる?」



 リュカはうつむいて、押し黙った。自分の罪と向かい合うかのようだ。しばらくして、小さな咳の後、少女は語りだした。



「ママは、ほんとのママじゃないの。あたらしいママだって、うちにきた」


「そうなんだ。仲良くできた?」


「ママのことは、キライだった。ほんとのママのイスにすわるし、ベッドにねるし、パパとたのしそうにわらうし……。ほんとのママのことなんて、わすれたゃったみたいに」



 リュカは、膝の上でこぶしをギュウと握りしめた。



「こないだ、パパにおこられたの。ママとなかよくしなさいって。リュカはいったの。こんなママいらない、ほんとのママをかえしてって」


「それは……。その気持ちは、分かる気がする」


「パパがすごくおこったから、リュカ、いえでしたの。くらくて、こわかったけど、もりのなかに」


「森って、あの大森林に1人きりで?」


「そこで、バケモノにおそわれたの。おっきなイヌ。たべられそうになったけど、パパとママが……」



 固く握りしめた拳が震える。そして吊りスカートに、ポタ、ポタリと大粒の涙がこぼれおちた。



「リュカがわるいの! もりにいかなかったら、パパもママも、バケモノにたべられなかったの!」



 リュカの頭に、ティベリスは手を伸ばした。そっとなでてやる。親をうしなう苦痛を背負うには、まだ幼すぎた。



「ごめんなさい。リュカ、いいこにするから。だから、おねがい……パパとママをかえして……」



 リュカは、口を大きくあけて泣きじゃくった。はじめて見せた、年相応のしぐさだ。ティベリスは、優しく頭をなでつつ、そっと語りかけた。



「僕なら、村のみんなを治せると思う」


「……ほんとに? おにいちゃん、シキョーサマ?」


「そうじゃないけど、でもね、僕にはできるんだ」


「あぅ、あぅわ、チリョーヒあげる!」



 リュカがスカートのポケットを漁りはじめる。中からはドングリや、すべすべした石がこぼれおちた。


 それらの『宝物』で小さな両手をいっぱいにしたリュカが、手渡そうとする。ティベリスは、そっと手を添えて、相手の胸元へと押し戻した。



「お礼はいらないよ。そのかわり、これからご飯を食べておいで。おばさんが探してたしね」


「ごはん、たべたらいいの? それでなおしてくれるの?」


「そうだなぁ。好き嫌いしないで、たくさん食べて。そして『おかわり!』って大きな声で言うんだ。その言葉が僕に力を与えてくれるよ」


「ほんとに? それでいいの?」


「もちろんさ。ほら、早く食べておいで」


「うん! いってくる!」



 リュカは倉庫を飛び出していった。飛び跳ねるようにして村の道を走る姿は、多くの村人が驚いた。



「あぁリュカ! どこいってたんだい、心配させて、この子ったら!」


「おばちゃんあのね、うんとね、おかわり!」


「え? は?? あぁ……お腹が空いたんだね。用意してあるからちゃんと食べな」


「いっぱい、いーーっぱいたべるの! すっぱいヤサイはキライだけど、がんばるの!」


「そうかい。よくわからないけど、好き嫌いしないのは良いことだよ。さぁおいで」



 外から漏れ聞こえる言葉に、ティベリスは思わず微笑んだ。しかし、彼をとがめる声が水を差した。いつの間にか下働きの老婆が、倉庫の入口に立っていたのだ。



「何やってんだい、出来もしない約束をしおってからに。あんなウソついたって、いっそう傷つけるだけだろ。リュカが不憫(ふびん)でならないよ」


「おばあさん、僕は――」


「言い訳なんか聞きたかないね。それより朝飯を食っちまいな。今日は朝から集会があるんだ。家は閉めちまうから、戻るまで入れないよ」


「わかったよ。ちなみに村長さんは?」


「一足先に集会場に行ってるよ。司教サマから話があるってよ。まったく、あの生臭坊主めが。タダ酒にタダ飯食らって、全然治療なんかしねぇんだからよ」



 ぼやく老婆のあとに、ティベリスたちも続いた。食堂での朝食は、パンにコーンスープ、りんごジャムが並んだ。



「へぇ、このジャムは懐かしいな。故郷の味にちょっと似てるかも」


「ティベリス様。ジャムなんてだいたい同じなのでは?」


「うっすら渋みがあるでしょ。それで思い出したんだよね。そういえば昨晩の料理も、懐かしい味がしたような。もっと味わえばよかったかな」


「アンタら、早く食えっていうのがわからんのかいッ!」


「あっ、ごめんなさい!」



 朝食はあわただしさと共に。そして食べ終わるとすぐ、圧の強い顔で追い出されてしまった。



「村長さんは集会場か。いつ戻るんだろ」


「ティベリス様。あの男に何か用事でも?」


「魔獣の詳細を知りたくって。犬系の魔獣らしいけど、もっと正確な情報が必要だよ」


「本気なのですね。リプリッケ村のために、危険をおかそうというのですね」


「そうだね。腹は決まったよ」


「お父様にほめられたいが為、ですか?」


「それもあるけどね」



 ティベリスはそっと目を細めた。視線の先には見えるのは、村のあぜ道を歩く親子だ。おさな子の足取りは、思わず手を差し伸べたくなるほど、危なっかしいものだった。



「親との死別はつらいものだよ。子供が味わうべき苦痛じゃない」


「承知しました。ティベリス様のお覚悟、確かに受け取りました」


「これからどうしようか。待つのは良いけど、時間がもったいないよ」


「ならば我々も集会場へ参りましょう」


「部外者だよ。中にいれてくれるかな?」


「私の性質を使えば、なんら問題はありません」



 それからティベリスたちは、村の中央にある集会場へと向かった。続々と大人たちが訪れるなか、ティベリスは入室を断られた。これは村の問題だからと、丁重な口ぶりで。



「やっぱりダメだったね。どうしよう」


「建物の裏手に回りましょう」



 今度は建物の外に出て、敷地の裏側へ回った。少しばかり不審な2人の姿は、大きな外壁が隠してくれる。建物の窓という窓は締め切られており、中の会話までは聞き取れなかった。



「この向こう側に集まってるね。話し声は聞こえるけど、何をしゃべってるかは……」


「おまかせください」



 そう言うと、サーラは透過した自分の身体を壁にめりこませた。今は、身体の後ろ半分だけが、コチラ側に残されている。



「あいかわらずスゴイ。そしてこわいな」



 サーラの手がティベリスの方へ伸ばされ、彼の肩から体内へスウッと溶けた。すると、ティベリスまで中の会話が聞こえるようになる。耳の奥から音が響くようで、未知の感覚に、わずかに目眩をともなった。



「ティベリス様。例の豚司教がやってまいりました。あいかわらず尊大な振る舞いです」



 サーラの補足が終わったとたん、司教の声が聞こえた。上からものを投げ放つような口調には、思わずティベリスも不快に思った。



「リプリッケ村の諸君、敬虔(けいけん)なる女神の信徒たちよ。そなたらは今、あつい信仰心が試されているというのに、無策にうろたえるばかり。いやはや、嘆かわしいことだ」



 村人たちは何も答えない。その静かすぎる態度が、彼らの胸のうちを代弁するかのようだ。


 

「しかし喜びたまえ。そなたらに代わり、この私が策を考えてやった。これから皆には、神が与えたもうた試練をひとつ、乗り越えてもらいたい。成功した暁には、石化した村人たちを治療してやろうではないか」


「ほ……本当ですか!?」


「あぁもちろん。中央教会に問い合わせたところ、私の案は認められた。あとは諸君らが覚悟を決め、挑むだけなのだ」



 歓声をあげて喜ぶ村人たち。しかしその熱気は、またたくまに冷え込むことになる。その試練が、あまりにも重たく、耐え難いものだったからだ。



「村から1人、身を捧げる者を選ぶのだ。大森林ディープロストに出向き、例の魔獣にみずから望んで襲われて、喰われ、石化するのだ」 


「えっ、それだとただの犬死ですよ!」


「そうではない。自らを犠牲にする尊い行いは、人々の心を激しく揺さぶるのだよ。ましてやその身体は、石化したまま、朽ちることなく残るのだから素晴らしい。じつに美しく、崇高な事だと思わないかね?」


「つまりは、イケニエを差し出せってことですか?」


「はぁ……。無粋な言い方をすれば、そうだ」


「そうは言っても、一体誰を」


「そうさな。子供が良い。それも10歳にも満たぬ幼年の者だ」


「子供!?」


「さよう。まだ恋も知らぬ、世間の広さも知らぬという、おさな子が良い。あどけない顔に悲壮感をたたえ、しかし自らの意思の力で犠牲になる。あぁなんと美しき心! この逸話を前にしたなら、誰もが涙を流し、そして負けじと、信仰心を高めようとするだろう」



 コモルノ司教は、熱っぽく語る。意気消沈してうつむく村人たちとは対象的だった。



「話は理解したな。村人の治療は、子供の石像と引き換えになる。なお、その像に限ってはすみやかに中央教会へと送られるので、他の者と分けておくように」



 コモルノはそう言い残すと、集会場から立ち去っていった。残された村人たちの反応は様々だ。隣同士でささやきあったり、ショックのあまり言葉もなく黙りこくったり。


 そんな中で、村長はみなに声をかけた。



「皆のもの。今の話をどう思う? ワシには判断できかねる。率直な意見を聞かせてくれ」


「オレっちは反対だ。わざわざ魔獣に食わせろって? オレたちゃ村全員で家族なんだ。身内を売るようなマネはしたくねぇ」


「おい待てよ。1人だけだ。たった1人を犠牲にするだけで、石化した奴らはみんな元に戻るんだ。こんな良い話は2度とないぞ」 


「だからって、子供を差し出しますって親がいるか? 誰だって全力で拒むし、もし仮に無理やり決めようもんなら、その一家はどうなると思うよ? 一生もんの恨みが残るだろ」



 議論は紛糾し、意見はまっ二つだ。賛成と反対はほぼ同数。両陣営とも、思いつく限りの言葉を叫び、相手側を黙らせようとする。


 そこで誰かが、耳に覚えのある名前を出したところで、辺りは一挙の静まり返った。



「リュカにしよう。アイツならうってつけだ」


「マジで言ってんのかお前?」


「もちろんだ。リュカならちょうど良いだろ。歳も10歳だし、親は石化してる。完全にみなしごだ。しかも母親はよそ者で、実の親でもない。面倒な親類だっていやしないだろ」


「お前に人の心はないのか? 親をなくして傷ついてる子に、イケニエになれと迫るなんて」


「だから好都合なんだよ。リュカを守る親はいないし、アイツだってこの先、親ナシで生きていくのは辛いだろ? だったらちょっとガマンしてもらってさ、皆の人柱になってもらおうじゃないの」


「いい加減にしろよ! そんなの絶対に許さないからな!」


「だったらお前んちのガキを差し出すか? それともなんだ。どっからもイケニエを出さないで、せっかくのチャンスを不意にするのか? どうなんだよ!」


「うるせぇ、偉そうにわめくな! リュカに全部押し付けようとしやがって、この人でなしめ!」


「やるかオイ、てめぇも一緒に魔獣に食われちまえ!」



 集会場の空気はもはや壊滅的だ。拳が飛ぶようになり、殴るけるの大乱闘が始まってしまった。


 見かねたティベリスは駆け出した。建物をぐるりと回り、争乱の集会場へと乗り込んだ。



「待ってみんな、イケニエを差し出す必要はないよ!」



 ティベリスの言葉が時をとめた。驚いた村人たちは身体を硬直させた。相手の胸ぐらをつかむ手や、馬乗りになる姿勢そのままにして、次の言葉を待った。



「黙っていてゴメン。僕は光の戦士ティベリスだ。証拠にこいつを見てくれ、聖剣エビルスレイヤーという剣だよ。これさえあれば魔族を倒せるし、石化した人も戻せるんだ」



 ティベリスは聖剣を抜いては、頭上にかかげた。村人たちは、あまりにも美しい刀身に、言葉を失ってしまう。



「明日まで、いや、夜まで時間をくれ。必ず僕がやっつけるから!」



 そう告げると、ティベリスは集会場をあとにした。彼の隣には、やはりサーラがぴたりと寄り添っている。



「ティベリス様。とうとう正体を明かしてしまったのですね」


「いいよ別に。魔獣さえ倒せれば。それよりも先を急ごう。時間はそれほど残されてないよ」



 太陽は南の空で輝いている。ティベリスは駆け足になって、大森林ディープロストに乗り込んだ。誰もいない森街道を、剣を構えながら駆けていく。


 しばらく進んだところで、ティベリスは何か思い出した。



「そういえば、魔獣情報を聞きそびれた……」


「それをたずねる為の村長待ちであり、集会場での待ちぼうけだったのですが」


「だってさ。あんな話を聞いたら、色々と吹っ飛んじゃって」


「結論から申し上げますと、わざわざ聞きに戻る必要はありません。おおまかですが、敵の位置情報などが把握できました」


「本当に? よかった」


「喜んでいる場合ではありません。遠く離れているのに、おおまかな事が分かるということは、それだけ強大な魔力を蓄えていることになります」


「つまりは、強敵ってことだよね」


「はい。これは三階級魔族(グラード・トレ)に相当する力です。今の我々に敵う相手ではありません。ここは戦う事なく、どこかへ安全な場所まで逃げる事をおすすめします」



 サーラが顔を引き締めながら、そう言った。すると森の中から大勢の鳥たちが羽ばたいて、西の空へ飛び去っていった。






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