第3話 抜きたい時に抜く

 暗闇の中、オースチンは叫んだ。迫りくるバケモノの口を懸命に押し返そうとするが、力は及ばない。間もなく首筋に食らいつかれてしまう。



「い、いやだ。たすけ……」



 絞り出された悲鳴で、ティベリスはようやく我に返る。



「待ってて、すぐに助ける!」



 駆けつけようとした矢先、オースチンの様子が急変した。傷口から身体が灰色に染まったかと思うと、瞬く間に全身に広がっていった。それだけでなく、身体の至るところが硬直して止まり、毛髪の先など重力に逆らって留まる。


 まるで石像のようだった。恐怖と苦悶に満ち溢れた顔からは、今にも絶叫が聞こえそうな、おぞましい像だ。



「一体何が……どうしてこんな事に!?」



 ティベリスが驚愕から立ち尽くしていると、不意に肩を掴まれた。顔見知りの囚人だった。



「何があったんだ、度胸アニキ。静かにしねぇとムチで引っ叩かれるぞ」


「そんな事言ってる場合じゃない、あそこを見て!」


「あれは、オースチンなのか? それに乗っかってるのは……化物!?」



 大きなトカゲは、舌を不穏に出し入れしつつ、ティベリスたち2人を見比べた。舌の動きが止まる。同時に、肌が震える程の殺意がほとばしった。



「うわぁ! こっちに来やがった!?」



 怯える囚人にトカゲが飛びかかった。そこへティベリスが囚人に体当たりしたことで、2人は転倒。同時にトカゲの攻撃は、虚空を泳ぐだけに終わる。



「こりゃヤバい、ヤバすぎる! 逃げるぞ、度胸アニキ!」


「えっ? でもオースチンは……」


「あんなの助かるわけねぇだろ! 良いから逃げんだよ!」



 ティベリスは首元を掴まれた状態で連れ去られ、強制的にその場から離れた。


 以降、事態は収まることが無い。嵐が訪れたかのようになり、騒ぎは広がっていった。



「バケモノだ! バケモノがでたぞーーッ!」



 囚人はティベリスを引き連れながら、金切り声を喚き散らした。その騒ぎに多くの者が気づく。しかし、顔を覗かせた囚人たちはニヤケ面で、衛兵などはムチを携えて駆けつけた。悲壮感までは伝わっていなかった。


 だが、油断した者から食われていく。新たな石像(ぎせいしゃ)が出たことで坑内は一転、パニックに陥る。監視役の衛兵はもちろん、囚人たちも出口に殺到した。人を押しのけ、踏みつけての大騒ぎになる。


 そうして無事に逃げ出せたのは、衛兵くらいのものだった。大半の囚人たちは、バケモノの暴れる坑内へと押し戻されてしまう。



「おい開けろ、フザけんな! オレ達を見殺しにする気か!」



 出口を塞ぐ樫の扉は、すべてを阻んだ。何を叫び、どれだけ叩こうとも開かない。


 そして状況は悪化の一途だ。出口にすし詰め状態となった事で、身動きすら取れなくなる。そんな囚人達の背後を、魔獣が手当たり次第に襲いかかった。



「こっちに来んな! あっちいけよこの野郎ッ!」


「ひぃぃ誰か助けて! たすけ……」



 1人、また1人と餌食になり、その場に転がされていく。まともに戦えず、逃げる事も出来ず。ただ捕食されるのを待つばかり。


 そんな最中でティベリスだけは冷静だった。彼は戦況をつぶさに観察し、打開の手段を探し求めた。



「このままじゃ全員やられちゃう。どうにかしないと……!」



 混乱極める状況の中で、ティベリスは希望を見出した。僅かな人の隙間の向こうに、地面に転がるツルハシを見つけたのだ。



「コレしか無さそうだ。よし!」


「待てよ度胸ニキ、どこ行くんだ!?」



 ティベリスは人垣から抜け出て、集団から離れた。そして、武器と呼ぶには頼りないツルハシを、両手で強く握りしめた。



「こっちだバケモノ! お前の相手は僕だ!」



 ツルハシを掲げて挑発した。すると、振り向いた魔獣が、真っ赤な瞳を大きく歪めた。活きの良いエサを見つけたことを喜ぶようだ。


 釣れた。そう確信したティベリスは、出口とは反対の方に向かって駆け出した。



「バケモノは僕が引き付ける! その間に皆は逃げ道の確保を!」


「お、おい! 勝算はあるのかよ?」


「何とかする!」



 先手を打って走り出したティベリスだが、すぐに追いつかれた。身体能力の差は歴然だった。


 魔獣が鋭く飛びかかるのを、転がるようにして避ける。すると、今度は魔獣が背を向けた形になり、攻守が逆転した。



「これでも食らえ、バケモノめ!」



 渾身の力でツルハシを振り下ろした。しかし弾かれる。岩肌のような外皮は、見た目以上の硬度を誇った。傷一つつけられないどころか、ツルハシの柄が根本から折れてしまう。



「こんなんじゃダメだ。まともな武器が無いと……!」



 武器ならある、うってつけの逸品が。しかし遠い。果たして、敵の猛攻を凌ぎながら辿り着けるのか。


 そう悩む間にも、トカゲは攻撃の手を休めない。口を開いて鋭く飛びかかった。単調な攻撃だが、その速度は驚異的だった。



「これならどうだ!」



 ティベリスはツルハシの残骸を、相手の動きに合わせた。狙うは口。命中。刃の先が深々と突き刺さった。


 今度はさすがに効いた。トカゲは悶絶して、その場で転げ回る。



「よし、今のうちに!」



 ティベリスはふたたび走った。間に合うかは運による。洞穴までの100歩足らずの距離が、今は遥か彼方に感じられた。



「ヤバい。相手がもう動き出した!」



 背後から足音が迫る。ヌタヌタと、重たくも素早い音。


 逃げるティベリスの首筋に、冷たいものが感じられる。敵の気配は既に近い。



「頼む、間に合ってくれ!」



 ティベリスが前に飛ぶ。トカゲもすかさず飛びかかる。


 その結果は、ティベリスに軍配が上がった。洞穴に飛び込む事で、魔獣の攻勢から逃げ切る事に成功したのだ。


 しかし、安堵はできない。目当ての剣を手にするまでは。



「サーラ、さっきはゴメンなさい! 緊急事態なんだ、剣を貸してくれ!」



 台座に飛び乗り、剣の柄を握りしめた。そして一気に引き抜こうとする。


 しかしなぜか抜けない。強烈な力に阻まれて、剣は微動だにしなかった。



「どうして、あんな簡単に抜けたのに……!?」



 その時、不思議な手の存在に気付く。それは台座から伸びており、剣のツバをがっつりキャッチ。ティベリスに対し、明確な反抗心を示していた。



「ちょっと、これサーラでしょ! 冗談はやめて!」


「知りませ〜〜ん。抜いたら放ったらかしの人なんて、もう知らないで〜〜す」


「今はマジでやめて! バケモノが出たんだ! でっかいトカゲみたいなヤツで――」



 その瞬間、抵抗する力が消えた。ティベリスは勢い余って尻から転んでしまう。


 だが、彼の手には聖剣が握られていた。両刃で、鏡のような煌めきを放つ刀身は、暗闇を照らす太陽のようだった。



「これが聖剣か。改めて見ると、凄くキレイ……」


「まったく、アナタと言う人は。呆れてものが言えませんよ」


「うわぁ!?」



 声はティベリスの傍から聞こえた。サーラは自分のアゴをティベリスの肩に乗せ、耳元で囁いたのだ。唐突なガチ恋距離に、ティベリスは転げてまで驚いた。



「急に出てこないでよ、びっくりしたな……」


「そう言えば、約束を失念していました。コホン……。これから出ま〜〜す」


「今さら良いよ、律儀にやらなくても」


「それにしても何のつもりです? さっきは抜いたそばからスグ挿して。気が変わったら、また抜くんですか。よっぽど抜き差しがお好きのようですね。やはり発情期なのでしょうか」


「怒ってるの? それは謝るから、聖剣を貸しておくれよ。少しだけで良いから」


「そんな『先っちょだけでも』みたいな言い方をされましても」


「何の話!? とにかく今は切羽詰まってて――」



 その時、洞穴の入口から吠え声が聞こえた。耳障りな響きは近い。敵は既に目前へと迫っていた。



「奴が来た! 危ないからサーラは下がって!」


「ふむ、ランドリザードという名の魔獣ですね。慌てるような相手ではありません」


「何言ってんの、もう何人もヤツにやられてんだよ!?」


「ご安心を。聖剣を手にしたアナタにとって、もはや敵ではありません」



 サーラの言葉をティベリスは理解できない。しかし、聖剣を構えながら敵と向き合えば、次第に実感が伴ってくる。



「なんだろう……。次の動きが、分かるような気がする」



 敵の身体を包む濃紫の霧が、筋肉の動きに併せて蠢(うごめ)くのが見えた。相手が手足を動かすよりも先に、霧の方が形を変える。それが急速にこちらの方向へ膨らんだ。


 すると、ランドリザードは全身を大きく沈ませて、肌を打つほどの殺気をみなぎらせていく。



「飛びかかりだ。狙いは僕のお腹……?」



 相手は凄まじい速度で飛びかかってきた。だが、完全に読み切ったティベリスにとって、何の脅威も無かった。



「そこだ、食らえ!」



 迫りくる腹の下を潜ると同時に、一文字に斬った。剣の切れ味は十分。紙でも割くかのように、鮮やかに斬ってみせた。


 ランドリザードは致命傷だ。ひっくり返ってのたうち回った。すると、まず初めに岩肌のような外皮が弾けた。爆発でもしたかのように激しく。それが終わると、今度は腹の傷口が発光した。それは収まる事もなく、やがて全身が眩(まばゆ)さに包まれていった。



「ねぇサーラ。これで倒したのかな?」


「はい、お見事でした。その魔獣も本来の姿を取り戻すでしょう。光が消え去ったころに」 


「そうなんだ。元に戻るんだね。良かった……」


「それにしても聖剣遣い様。魔獣のうろつく場所で丸腰とは、不用心ですね。舐めプでしょうか?」


「僕の名前はティベリス。それから、別に油断なんてしてないよ。バケモノが出るなんて知らなかったんだ」


「想定にない出現ですか、ティベリス様。その時の様子を――」


「待って、トカゲの姿が!」



 光は音もなく霞(かす)んでいった。すると、足の先や毛髪が見えるようになる。トカゲのものではない、人間のそれだった。



「この顔は見覚えがあるよ、衛兵の人だ。どうして魔獣の姿に……。うん?」



 光は縮まる一方だ。それに従い、衛兵の身体があらわになっていく。土で汚れた太もも、吹き出物の目立つ背中、そして尻えくぼ。姿が見えるほど、気不味さも同時に膨らんでいった。



「ねぇ、どうして裸なの? この人は鎧とか着てたのに!」


「それは、まぁ、魔族化しましたし。仕様ですね。このニンゲンはしばらく目覚めないと思いますので、放っておいても支障は無いかと」


「このまま放置なんて出来ないよ。結構な罪悪感が出ちゃってるもん」


「確かに。知らなかったとは言えど、一糸まとわぬ裸体にしたのはティベリス様ですね」


「急に刺してくるのヤメて!」



 ティベリスはガレキの山を漁り、どうにか布切れを入手。衛兵の上にかけてやった。


 何かとんでもない事が始まってしまった。そんな予感に、指先を震わせながら。

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