ただいまが言えたら
クライングフリーマン
ただいまが言えたら
ただいまが言えたら
もう、母は「ただいま」と帰って来ない。
もう10年近くになるだろうか?母は突然「立てなくなって」、救急車を呼んだ。
母との同居は4年9ヶ月で、突然終った。
母と同居したのは、父が亡くなってから。私は47年も一人暮らしをしていて、最初は「カン」が掴めなかった。
母の為に、インターコムという内線電話を配線、トイレの入退室が分かるように、センサーチャイムを音声の線を切って、配線。
全てはリセットされ、介護生活が始まった。介護施設は、結果的に、どこも失敗だった。
毎日通う私を敬遠し疎んで「そんなに五月蠅く言うなら自宅で介護すればいいじゃないか!」等と言われた。普通は、入居させると、ほったらかし。たまに来るだけ。
だから、好き勝手にして、適当に手を抜く。「集団生活だから」とうそぶくが、私も母も就職した覚えはない。金を払っている顧客なのに。
「最後の介護施設」で、ある日、喉を詰まらせた。食べやすくするためにミキサーをかけていたのが、異物が混入していたことが、契約しいた看護師によって判明した。
そして、次の日。契約していない看護師(施設に出入りする看護師)がコロナだから、コロナ病棟に移した方がいい。自分はコネがあるからなどと言って来た。会った事もない看護師を無理矢理雇って「囲い込み」をしようとした施設社長にも不満があるし、契約済み訪問看護を無視した態度も気に入らなかった。
結局、陽性待機の10日間を守った上で陰性になったからと連絡して来た時は、かなり衰弱していた。もう食べ物を口にすることを拒むようになっていた。恐いのだ。喉を詰まらせたから。数日後、容態は悪化した。「余命一週間」と診断した主治医は、「お迎え」を待つことを勧めた。
だが、目の前で、真っ赤な顔をしてうんうん唸っている母を見て私は思い直し、救急車を呼んだ。
救急病院で1ヶ月を経て、回復したところで、現在の「療養型病院」に転院した。
それから3年半になるだろうか?母は基本的に「眠り姫」。しっかり受け答えをしたのは数回。面会禁止から、条件付き予約制面会になって、まだ1年経っていない。今度は、病院内にコロナ患者が出たことで、面会一時休止。
また、閉塞した時間が流れるようになった。毎日挨拶をするのは、仏壇の父だけだ。
母は、もう帰る所がない。母の実家にも、第二の実家である嫁ぎ先にも(父が亡くなった時、借地借家の貸主に返却した)、私の家にも。
「ただいま」が言える場所はない。母は95歳。私は70歳になった。
私自身の家族を40代に設けることが出来なくなったから、いつか母を見送った私は、仏壇に向かって「ただいま」を言う。
そして、私は「入る墓」がない。「ただいま」が言える場所はない。
―完―
ただいまが言えたら クライングフリーマン @dansan01
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