愚教師の懺悔

晴野幸己

第1話 君との出会いは運命


 大学生になった時、私はアホらしくもこう思った。

 「あとは卒業だけしときゃあ学校のセンセーになれるぜウェーイww」

……と。

 それを声高にして構内食堂で叫び、のちに我が導師となるカワグチ先生に見られたかもしれないという黒歴史は置いておいて……。


 そんな何の覚悟もなく愚教師となってしまった晴野先生の話をどうか聞いてほしい。笑いあり、涙あり、感動なし。いや、感動がないとこの本が売れないので何とか感動的なエピソードを書きます、ええ、もちろんですとも。

 

 

 突然だが、衝撃事実を述べよう。

 私はなんと、日本に住んでいる!違う、そこじゃない。なんと、日本に住んでいる外国人だ!ナニ国人なのかというと、日系ブラジル人だ。日本語を学び始めた頃、同じクラスの同級生に「ブラジル人ってことはブラジル語を話すの?」と聞かれたので、私はガソリンに火を放ったようにブチ切れて「テメェ馬鹿野郎!ブラジル語なんて存在しねーんだよ、地理勉強して来いや!」と当時の小学校6年生には地理科目がないのに理不尽を吐いた。可哀想に、でも三十路になっても反省はしていない。ちなみに、ブラジル共和国はポルトガルの植民地だったのでポルトガル語が公用語だとしっかり覚えておきましょう。

 何が言いたいのかというと、私はナルシスト……っと、そこじゃなくて。バイリンリンガルである。こうして日本語も理解でき、母語であるポルトガル語も日常会話程度には理解できる。つまり、私は見た目が美しい上に中身も素晴らしいということだ。そんな美しすぎる私に俗人は互いにヒソヒソ言いながら私を見ていた。

 「ねえ、お母さん。あの人一人で面白くないキメ顔してキモいんですけどw」

 「見てはいけません!あれはcrazyなのよ!」

 と、近所の親子が無駄に発音の良い英語で悪口を言われた。誠に遺憾ながら光栄なりッ(何言ってんの?)。

 Crazyといえば、私が軽い自閉症スペクトラム、注意欠陥多動性障害、そして解離性同一性障害を持っていたことは、愚教師を辞めてから診断をもらったのだったが……それが自覚されていなかった頃は色々大変な思いをした。私の嫌いな知見のない俗人はこういった特性を抱えた人間を本気でcrazyと決めてつけて、何かと理由をつけて見下そうとするから、マジでぶん殴りてぇという話はとりあえず今は割愛しよう。Crazyは個性だ、皆に見下されるのではなく愛されるべきだ。つまり、愛されるべき個性を持ち、見た目も中身も美しい私は(省略)





 時は平成時代後期……はにほへと。

 とある公立中学校の教諭として働いて一年後のある寒い季節、私はターニャという女の子に出会った。彼女は肩を強張らせてとても緊張しているだろうに、それでも「平気だ」とでも主張するかのように背負っていたリュックを着崩していた。若者らしいプライドなのか、そんな彼女の強がりを初目から「立派だなぁ」と思っていた。目の前の現実を受け入れた上で、彼女なりにそれを冷静に対処しようとしていたことがわかったからだ。

 その頃、私は教諭2年目にして日本語指導部主任という立場をいただいていた。地域の日本語指導部会に出席すると、周りには年配のベテラン教諭ばかりで、当時23歳だった私の居心地の悪さといったら……。また、大学ではそれなりに頑張って社会科の教員免許を取得したのにも関わらず、私は習ってきた通常学級の社会科の授業は任せてもらえず、当時の主な業務は特別支援学級の社会科の授業と外国にルーツのある日本語や学校生活に困難を抱えていた生徒への指導であった。そんな業務を続けた教師2年目に、私はターニャちゃんに出会った。


 ターニャちゃんの学歴は、日本の保育園を卒園して小学校6年間はブラジル人学校。そしても住まいもブラジル人同士のコミュニティも出来上がっており、ご家族もポルトガル語のみでの会話となるため……彼女にとってはこの中学校に上がることは6年ぶりの「日本語との接触」になる。当然、ターニャちゃんは日本語での日常会話はままならない状態で、その上で日本の一般公立中学校への進学となる……。誰から見ても、彼女の事例は絶望的なものだった。

 それでも、私は無謀にもターニャちゃんにこう質問をした。

 「あなたは日本の中学校に来る理由とかあったの?」

 ターニャちゃんは着崩していたリュックを少し直してから私の目を見て答えた。

 「真面目に生きたいから、私は自分で選んでここに来たの」

 ターニャちゃんのこの返答が衝撃的だった。在日外国人の子供達のほとんどが自分の意思とは関係なく転校してくるものだと思っていたからだ。多くが親の収入減のためにブラジル人学校の高い学費が払えなくなったからとか、あるいは環境の不適応が原因なことが多い。しかし、ターニャちゃんは「自分はそうではない」と言っていた。彼女は己の境遇を冷静に見れる賢い子だった。「ブラジル人学校のクラスメイトはみんな大学に行けないの。でも、私は学び続けたいんです。学ぶことをやめたらいけないと思うから、できる限りの努力を惜しみたくないの。ちゃんと勉強をして、もし叶うなら……大学にも行きたいな」と彼女は私に喋ってくれた。

 それなのに周りの先輩教師達はどいつもこいつも「ターニャのあの状態では手遅れだ」「進学は視野に入れないで、とにかく登校だけはさせよう」などと言ったり、私が彼女が通所し始めた日本語教室に訪問して「ターニャちゃんが持てる能力を最大限に活かした指導を、手助けをしたい」と訴えたら「晴野さんは何もわかっていないよ、外国人が普通に日本語を習得するには7年かかるってどの専門書にも書いてあるのよ!あの子に無理をさせて取り返しがつかなかったらどうするつもりなの?責任取れないでしょ?」と通所先の先生に泣かれたことが今でも不思議で仕方ない……あなた達こそ、ターニャちゃん自身から目を背けて、呼び捨てにしちゃって、少し難しい事例だからと言い訳して逃げて……ほったらかしにして、あなた達こそあの子に何かあったら責任持てるんですか?と、当時の私は感情のままに教頭に訴えた。が、教頭は「うちの若いの不勉強ですまんなぁ」と通所先の先生に謝罪しているところを見たら、当時の私は教師という存在を信じられなくなった。

 ターニャちゃんに初めて会った学校見学のあの日、彼女はまだ日本の学則を全く知らなかったため、髪を染めていて……その上外国人らしい身長の高さもあって、それ故に日本人には関わり辛い見た目をしていただろう。金髪は不良、という固定概念がまだ抜けきっていなかったあの環境だったから仕方ないのかもしれない。


 ターニャちゃんはクラスメイトには内緒で1年遅れて日本の中学校に入学してきた。その日は、彼女は私の言いつけを守って髪を黒く染めて、制服も説明した通りに着て入学式に参加できた。両親と幼い弟さんも、家族全員で来てくれて、教室の着席で少し狭い思いをしながら、ターニャちゃんは早速私に

 「晴野先生、私……この教科書、全部読めないんですけど」

 と、青ざめた顔で机に山積みにされた大量の教科書を私に見せるように指差した。それを聞いた彼女の両親も同じように顔色を悪くして、かける言葉を失っているようだった。私はターニャちゃんの震える手を握って、またもや無謀にこう言った。

 「大丈夫よ、全部、訳してあげる。ポルトガル語なら勉強できるでしょ?」

 ターニャちゃんは両目を閏わせて私を見た。

 「うん、ポルトガル語ならできる。先生が助けてくれるならがんばれる」

 「わかった、ターニャちゃんの頑張りたいように頑張ろう。君はいつも通りの勉強を頑張ればいいよ、私も全力でサポートするから。一人じゃないから大丈夫よ」

 と、愚教師はまた無責任な言葉を吐いて、ターニャちゃんの震える肩に手を置いた。

 私と君たちの怒涛の獣道は始まったばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愚教師の懺悔 晴野幸己 @Karina238396

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ