番外編① 過去と思考の狭間の中で


 この世界における最重要因子、『魔力』とは何だろうか?


 魔力、それはこの世界のあらゆる生命にとってなくてはならないもの。あるものはこれを用いてその身を光らせ、またあるものは水や炎を吐く。魔獣達は魔力によって身を守り、獲物を狩り、過酷な生存競争に生き残って来た。


 魔獣だけでは無い。植物だって敵に喰われぬよう魔力から毒を作り、罠を張り、あわよくばその敵すら喰らおうとする。


 人間なんぞは特に面白いもので、長い歴史の中で魔力を元に様々な事象を引き起こす術を編み出して来た。


 だがこれらはあくまで全て副産物に過ぎず、なぜ魔力が生命にとって不可欠なのかと言う問いの核心には触れていない。


 ならその答えとは何か?


 魔力とは唯一絶対のものであり、あらゆる概念に干渉可能な未知かつ特異な極小分子の保有する一種のエネルギーである。


 私のかつての友はそう語っていた。


 これは私の魔力への理解とは異なるが、錬金術師たる彼にとってはそれこそが真理だったのだろう。


 とは言え彼の魔力に対する理論が間違っていた訳では無い。物理学や錬金術の観点からするとこれは確かに真実なのだ。


 ならば私はこの無尽蔵のエネルギーを統べる者達の王としてここに述べよう。


 魔力とは、生物、無生物に関わらずこの世界に存在するもの全てが内包する特有の概念であり、エネルギーとは似て非なるものである。


 異なる場所に存在する魔力は互いに反発、共鳴し合い、その結果ありとあらゆる現象が生じるのだ。


 ……かと言ってこれも魔力の一面に過ぎない。


 はっきり言ってしまうと、魔力について完全に説明する事は私にも出来ない。


 これは知識教養の問題では無い。単に魔力の全容を説明する為には、この世界の人間達の言葉では足りないのだ。


 これは人間達が本質的には魔力を知覚出来ていないと言う事を表していて、その彼らには知覚出来ないものを彼らの理解可能な域に落とし込むにはまずこの世界が……


「おーいアリオト、あなたまた意味不明な事考えてるでしょ。せっかく久しぶりに遊びに来たってのに気づきもしないなんて。もう、アリスちゃん泣いちゃうぞ」


 学園の入学試験が行われた翌日、エスが合格通知を受け取ったあの日の正午前。彼の故郷であるトルグイネ王国北東部に位置する霊峰には、珍しく一人の客人が訪れていた。


「ああラクレアリス、来てたのかい?」


 青竜王アリオトは彼女の声を聞き振り返る。ラクレアリスはアリオトの顔を覗き込み、一切を掴めないような無邪気な笑顔を浮かべていた。


「そーですー。アリスちゃん来てたんですー。せっかく教えてあげたい事があって来たってのに気づかないなんて酷いじゃない。二十年ぶりに来てやったってのにぃー」


 ラクレアリスはむくれてアリオトに背を向ける。


「前来た時もそんなだったよね。あなたはいつも何か考え事してて、声をかけるまで気づきやしない。こんなへんぴなところに引きこもってないでいい加減出て来なさいよ。長く生き過ぎるとそんなになっちゃうの?」


 その場に座り込み、手の上に飛んできた小鳥を撫でながら彼女は呟くように問いかける。アリオトはどこか物悲しそうに笑い、空を仰いで目を閉じた。


「まあね。私ほど長く生きると外の世界は眩し過ぎるんだよ。それは若い頃は外で色々やったものさ。人間達の生き様に触れるのはそれはそれは楽しかった。最後には全て失ってしまったのだけれど……」


「またその話? 同じ事百年か二百年前にも聞いたわよ。何? 失うのが怖いの? 昔あなたに何があったのかは知らないけどさ、そうやって引きこもってるだけじゃ何にもならないでしょ?」


「良いんだよ。今更変わったところで何かを成し遂げる事が出来る時間はもう私には残されていない。次の世代はもう芽吹いているんだ、今更私がどうにかなったところで邪魔にしかならないよ。それに昔親友と約束したんだ。あいつの為にも、私はここを離れる気は無いよ」


 風が吹き抜け二人の髪を揺らす。ひらけた草原でオレンジ色の花びらが散り、しばらく空中で舞い踊るとやがて切り立った崖の下へと落ちていった。


「そうやっていつも過去の事ばっかり、変わるチャンスならいくらでもあったでしょうに。あの子も哀れなものね。あなた本当は独りで朽ちるためにセルマリエスを遠ざけたんでしょう? あの子の時間は長過ぎるくらいあるんだから、こんな早くに独り立ちさせようとする事無いじゃない。違う?」


「……」


 アリオトは目を閉じたまま無言を貫く。ラクレアリスは溜め息をつき立ち上がると、服に付いた草をはたき麓に向かって歩き出した。数メートル離れたところで振り返り、吐き捨てるようにアリオトに告げる。


「ああそうそう、言い忘れるところだった。セルマリエスはちゃんと合格出来たわよ、試験結果をこっそり見た感じ多分首席でしょうね。じゃあ伝えておいたから」


 それだけ言うと彼女は踵を返し、足早にその場を去って行った。


 ラクレアリスの姿が完全に見えなくなると、アリオトはゆっくりと目を開け、眼前に広がる広大な森を見下ろし笑う。


「フフフ。そうか、首席か。エスが不合格になる心配ははなからしてなかったけれど、あの子はあの子で大変な事になったね」


 青竜王の笑顔の裏には、純粋に息子が試験に合格したことを喜ぶのとはまた違った、どこか不安定な憂いがあった。


 それが彼の過去から来る感情であるのは確かだったが、アリオト本人もなぜ自分がここまで過去に執着しているのかは分かっていないようだ。


 ひとしきり笑い終えるとアリオトは再び目を閉じ、深い思考の中と意識を落とし込む。まるで答えの無い問いを延々と考え続ける事で孤独を埋めるかのように。


 そしてやがて一つの区切りがつくまで、彼は己の思考の海を揺蕩い続けるのであった。

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