No.23 リフレッシュ大事
目が覚めるとまだ外は仄暗く、地平の裏から漏れ出た光が濃紺の夜空をかすかに赤く染めていた。
時計を見るとまだ五時にもなっていない。二度寝をしようにも微妙な時間だ。
がしがしと頭を掻いてあくびをする。やけに目が冴えていて、もう一度横になる気には到底なれない。かと言って何かをする気にもなれず、僕はぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
非常に爽やかな明け方の空気に満ちているが、なぜか僕は心の中にどうしても取れない小さな針が突き刺さっているかのようなわだかまりを感じた。何か酷い悪夢を見たような気がするが、何も思い出せない。
それにその影響か、さっきから脳を締め付けられるように頭が痛い。嫌だな、頭痛なんて今世は初めてだよ。
ラーファルを起こさないよう慎重にベッドから降り窓際に寄る。音を立てないように窓を開けると、ひんやりと冷たい風が頬を撫でた。
外にはまだ一切の人気が無く、風が草木を揺らす音のみが響いている。
振り向いてラーファルがすやすやと寝息を立てているのを確認し、開いた窓のふちに足を掛ける。そして今日までしまい込んでいた翼を広げ、僕は窓の外に飛び出した。
強く羽ばたいて上昇する。三十秒ほど飛んだところで静止すると、これでも学園都市の一部とは言えある程度の範囲を見渡すことが出来た。
学園内ではまだ人が動く気配はないが、街の方ではすでに何人か行動し始めているようだ。両の手に収まる程度ではあるが、もう出歩いている者達がいる。
それでもほとんどの人間はまだ寝静まっているのか、昼間の喧騒は見る影もない。
大通りでは、夜行性な上に警戒心が強く、本来なら滅多に人の前に現れないはずの星空ネコが我が物顔で悠々と歩いていた。
上空の冷たい空気を吸い込み目を閉じる。ここでは風の音しか聞こえず、さっきにも増して静かだ。
しばらくそのまま静寂と浮遊感を楽しみ、やがてゆっくりと目を開けると、太陽は僅かに地平から顔を出し、優しい白光が街を包み始めていた。
日光の温かみを感じながら僕は翼から力を抜く。
瞬間天地が逆転し、内臓が押し上がるような感覚に襲われた。
落ちている。比喩でも何でも無い。落下は等加速的に速度を増し、みるみるうちに地面が近づいて来る。
激突する……と思うより早かったか。僕は地面スレスレで旋回し、そのまま滑るようにして開いた窓に飛び込んだ。
翼をしまい、ふうと一息つく。軽いだけじゃない。何だか無性に背中が涼しい。
シャツの背中側はもう直しようがないほどめちゃくちゃに裂けていた。当然だ。これを作った人も、着用者から翼が生えて来るとは夢にも思わなかっただろうからな。でも心配は無い。
『巻キ戻レ、元ノ姿ニ』
昨日白猫亭の床を直した時と同じ、対象の時を巻き戻す魔法。厳密に言えば、“対象の構成要素を破壊される前の姿に強制的に戻す”魔法。戻っているのは時では無く対象の原子配列だ。だから直す前に欠損してたりすると元通りにはならない。
今回は破れただけだから綺麗に元通りだ。
他に破れてるところがないか確かめていると、ラーファルが目覚めたのか、僕のベッドの隣で紺色の翼が大きく伸ばされた。
ラーファルは軽く身震いをすると、目をこすりながらこちらを見る。
「うーん……あれエス……今日は早いね。おはよう」
「おはよう。なんか今日は目が冴えちゃってね」
「へぇ、君昨日寝るの早かったからね。その分早く目が覚め感じかな。ところで起きてから何してたの? 空気の入れ替え?」
ラーファルは開け放たれた窓に目を向ける。とりあえず翼とか飛んでいるところとかは見られずに済んだようで良かった。
「ああ、うん。雲一つないし、朝焼けが綺麗だったから。ちょっと景色見てたんだ」
(ああ、そういや窓閉じてなかったな)
ラーファルの言葉で思い出し、窓を閉じ鍵を掛ける。……あれ? 何か違和感が……
窓ガラスにはいつも通りの僕が映っている。
いつも通り……だよな。でも何かやっぱり変な感じが……あ。
「……? どうしたの?」
「……いや、何でも無い。寝起きだからかな、ちょっと顔が汚れてて……僕ちょっと顔洗って来る!」
やばいやばいやばい、大丈夫だよな。これバレて無いよな。気づかれて無いっぽいし大丈夫だと思いたい。
僕は慌てて洗面所に駆け込み、目の前の鏡を凝視する。
ツノ無し、翼無し、鱗無し。髪も青いし耳も尖って無い。ここまではいつも通り。ちゃんと人族の人間に擬態出来てる。でもその中に一つだけ、人間にあるまじき特徴があった。
縦に長い瞳孔。人の形をとるもののうち、唯一竜だけが持つ瞳だ。それも青竜であることを示す、サファイアのように透き通った青。
こんなの見る人が見れば一瞬でバレる。いや、そうで無くても少なくとも人外であることはバレる。
「バレる前に気づけて良かった……」
それにしても何で目だけ元に……? 魔法解除した覚え無いんだけど。寝てる間に切れたのか?
『人ノ眼ヲ模シ、
前回と同じように魔法をかけ直し、二、三度瞬きをする。鏡で確認するとちゃんと瞳孔は丸く、虹彩も黄色く染まっていて、視界に違和感を感じる事も魔法が勝手に解ける様子も無かった。
魔法自体に問題がある訳では無いようだ。体調もすこぶる良いし、こうなった原因に思い当たるものは何も無い。
じゃあ何で切れた? 体に異常が無いなら、他で真っ先に思いつく原因と言えば精神だが……
「ストレスでも溜まってんのかな? でも異世界まで来てストレスなんて、そんな馬鹿な……」
個人的にはこれでも楽しんでるつもりなんだけどね。確かに首席になったり王女様に付け回されたりはしたけれども。あれ……意外と色々ある……?
とにもかくにも、一度こうなったと言う事は、また同じ事が起きる可能性が少なからずあるって事だ。
今回は運良くバレずに済んだけれど、次も大丈夫だって保証はどこにも無い。
それに自分の意思で戻してる訳じゃないから、気をつける以上の対策は出来ないだろう。
でも……まさかここに来てまでストレスなんてね……
「あはははは!」
頭がおかしくなった訳じゃ無いよ。でも他にどうすれば良いか何て何も思いつかないから、もうこんなの笑っちゃうしか無いよね。
全く、何で朝からこんな事に……
今日こそ何事もなく過ごせたら良いんだけど。……まあ無理だろうけどさ。
アンケート用紙にあった小さな文字を思い出して僕は頭を抱える。拝啓、地球のみんな。僕は今、一つ猛烈に叫びたい事があるんだ。
僕の平穏はどこいった!!
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