No.22 夢の中のコンプレックス
「ああ……
寮に戻りすっかり日も落ちた頃、僕はベッドにうつ伏せで沈み込んで、誰に向けてでもなく空虚にぐちぐちやっていた。
「戻って来るなりその調子で、一体昼間に何があったのさ」
椅子の上でラーファルは心配そうに尾羽を揺らす。その手にはペンと一枚の紙。ホームルームの時ルルス先生が言っていた例のアンケートだ。
「いや、何でも無い。何でも無いよぉ……ただちょ〜っと王女サマに会ったせいで面倒事が増えただけ。あぁそうだ、アンケート書かなきゃ。ねぇ、その紙どこにある?」
「君の机の上に置いてあるよ。僕達が授業受けてる間に配られてたみたい」
おもむろに机に向かい椅子を引く。机の上には、朝には無かったはずの紙が一枚置いてあった。
「以下の教科の中から希望するものを三つ選択? これだけある中から三つしか選べないのか」
錬金術、魔獣学、占星術、古代文字、礼儀作法、政治、戦術・戦略、商法……教科の数はゆうに十を超える。この中からたった三つか。
どれも物珍しい科目ばかりで正直すごく迷う。政治、商法には特に興味は無いとして、錬金術あたりはすごく惹かれる。まあ自分でエリクサーを作ろうとしたくらいだしね。
教科説明の欄に目を通していると、ふいにあるところに目が留まった。
古代文字の説明の下に、ぎりぎり目に見えるか見えないかくらいの小さな文字で何やら書いてある。
『ここ、古代文字、すっごくおすすめだよ。古代の神秘に触れられるよ。すごく頑張ったら禁書も読めるかもしれないよ。ね、興味あるでしょ。おいでよ。いや、お願い、来てください。本当に。ね?』
……何だこれ?
「ねぇ、ラーファル」
「ん? 何?」
「この古代文字の説明のところ、ちっっっさい文字で何か書いてあったりしない?」
「古代文字? ……うーん、いや、特に何も書いてないけど。」
何も書いてないだって?そんなはずは……
目を擦って再度確認してみる。……うん。あるな。
残念な事に僕の幻覚では無いようだ。
察するにこんなものが書いてあるのは僕の紙だけだろう。そうじゃなければラーファルの紙には書いて無かった事の道理が通らないし、わざわざこんな小さな文字、それも手書きでこんな必死に教科を推して来る理由も分からない。
それに心当たりもある。昨日のあれだ。よく見てみると、あのスピーチの原稿に筆跡が酷似している。
何だよ、もう確定じゃないか。絶対僕のアンケートだけ何か細工されてんじゃん。
どうしよう、誰がやったのかとかは分からないてど、とにかくこのまま書いて提出するのは良くないよね。こう言う系の大切な書類に他人の意思が介入するのは絶対ダメだって。
とりあえずこれは明日先生に言おう。流石にこのままアンケートを提出する訳にはいかない。
「はぁ〜、また面倒事が一つ……もういいや、考えるのやめよう」
机の上にペンを放り、またまたベッドに倒れ込む。これ以上何かしてると余計疲れて頭がおかしくなりそうだ。
「君相当疲れてるみたいだけど、本当に大丈夫? まだ初日だよ」
「うん……多分まだ大丈夫……ごめん。今日僕先に寝る。おやすみ。めんどくさいのは明日考える事にするから……」
「うん、りょーかい。あんまり無理し過ぎないでね。おやすみ」
そして僕は眠りに落ちた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
眠い、この感覚は唯一、僕が人であった時と何も変わっていない。眠っている時だけはみんなと同じ感覚を共有できる。
すでに人ならざる僕にとって、この時間はたった一つの“己の人間らしさ”を実感する事の出来るものだった。
今日、僕は久しぶりに“人間であった頃”の夢を見た。
懐かしいあの高校の教室。さほど大きくも無い部屋に、無数の机が並んでいる。
その教室の端の方、窓際の後ろから三番目の席。そこでつまらなそうにノートをとりながら、空を眺める少年がいた。かつての僕だ。
僕は太陽を掠めて飛ぶ鳥のシルエットを見つめ、眩しそうに目を細める。羨ましいとでも思っているのだろうか?
一般的な思考として、空高く飛ぶ鳥は自由の象徴だとするものがある。彼らに憧れるのは自由に焦がれているからだ、と。
でも僕にとっては違った。僕にとって鳥は非現実。何をするにも無気力で自分自身の意志を持たない、自堕落で優柔不断な僕とは正反対の存在。
自らの事をそんな風に考えているものだから僕は、『自分なんかいつかどこかでのたれ死んでしまえば良い』と、常に心の奥底で考えていたのだろう。
でもまさか本当に、あんな無様な死に方をするとは思いもよらなかったけれども。……あ、ここ笑うところだよ。
それにしても悔しいな、僕にまだこんな未練が残っていたなんて。今世こそは自分のやりたいように生きようと思っていたのに、結局いつも何かのレールの上じゃないか。
何もかも面倒なのは、やりたい事を考えもしないで、目の前の出来事に無理矢理にでも従おうとするからだろう? 嫌なら関わるのをやめれば良いのに、従わなければいけないと勘違いしているだけだ。
そうだ。転生したところで、根元の部分では何も変わっていない。自由に生きてる気になって、いつもいつも運命に翻弄されている。だってそうした方が楽だから。
僕は自分自身の幻影の前まで歩み寄る。そして勢い良くそれの首を掴み、床に押し倒した。
ガタガタと机が揺れ、椅子は弾き飛ばされ倒れる。周りの生徒や教師は魂の抜けた蝋人形のように動かない。今この空間で動いているのはただ僕と“僕”だけだ。
「死ねよ。亡霊が。いつまでも僕の頭の中に染み付いて。お前はもういないんだよ。死ねよ。消えろよ。過去のくせに僕を縛るな。死ね。死ね。死ね!!」
ギリギリと力の限りそいつの首を絞める。“僕”は抵抗して爪を立てるも、人間の平爪は僕の強靭な竜の肌には通らない。足掻いても意味が無い事を悟ると、“僕”は僕の目を見つめ不気味な笑みを浮かべた。
『そんな事しても僕は消せないよ』
今まさに首を絞められているとは思えないような、妙にはっきりとした声でそいつが言い放つと、メキリと音がして、手に伝わる感覚でそいつの首の骨が折れたのだと分かった。
「……」
静まり返った世界で、僕は一人“僕”の死体を眺めていると、だんだん視界がぶれて、見えているものの境界線が曖昧になって来た。
そして天地がひっくり返ったかと思うと、かろうじて見えていたもの全てが捩れ、世界は黒く塗り潰される。
最後に深く落ちていく感覚があったが、やがてそれも薄れ、僕は何もかも分からなくなった。
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