横田 葵・22歳・逮捕された隣人の女子大生

 私があなたと初めて出会ったのは、二年前。一人暮らしを始めたアパートの天井がひどい雨漏りで天井が落ちて、部屋中めちゃくちゃになって……それで別の部屋に引っ越して来た日のことです。アパートのオーナーさんが、知り合いのオーナーさんの別の物件を急いで手配してくれて、無事だった家財道具をなんとか部屋に運び入れた日です。といっても、なんとか無事だったのは電子レンジとか炊飯器とかキッチンにあったものくらいですが……テレビとか、ゲームとかそういう娯楽のものは全部ダメになって、弁償してもらえるとのことだったけれど、あまりにも悲惨な状況のあの部屋から脱出して、これで安心できると思った時のことでした。お隣さんに挨拶に行こうとは思っていたんですが、その日はとても疲れてしまって、ついベッドの上で眠ってしまったんです。気づいたら夜の八時を過ぎていて、お腹も減っていました。

 本当なら、近くのスーパーで食材を買ってくる予定だったんですけど、そこって九時までの営業で……今から向かっても、買い物する時間はあまりないだろうなって思ったので、仕方なくアパートから一番近いコンビニに行きました。時間も時間ですから、もうあまりお弁当やおにぎりは残っていなくて、カップラーメンとお水、明日の朝食用にパンとサラダをカゴに入れて……でも、一応これでも引っ越し初日だしって、アイスも何を買おうかと店の中央にあった冷凍庫の前で迷っていたら、向かい側から白い綺麗な手がスッと伸びて苺アイスを掴んでいました。

 私は昔から、綺麗な男の人の手が好きなんです。指がすっと長くて、あまり太くなくて、大きくて、ちょっと骨ばっているような、そういう手が好きです。芸能人でもスポーツ選手でも、政治家でもなんでもいいんですけど、そういう自分好みの手の人を見ると、ついつい気になってしまうんです。その時も、本当にあなたの手が綺麗だったので、ついつい、顔を見ました。

 そうしたら、まぁ、あなた自身も自覚していたでしょうけれど、とても素敵でした。私が知らないだけで、きっと有名な役者さんとか、モデルさんなんじゃないかなって思ってしまったくらいに、綺麗な顔で……つい見惚れてしまったほどです。私よりも先に会計のレジに並んでいるあなたの後ろ姿を見ていたら、隣のレジの男性店員がこちらへどうぞと声をかけられたのに、最初、気がつくのが遅れてしまったほどです。隣に並んで会計をしてもらっている間も、私はチラチラと横目であなたの綺麗な横顔を盗み見ていました。

 高い鼻と口のライン。確か、Eラインっていうんでしたっけ? 美人の黄金比そのものです。「見るな」っていう方が無理な話です。美しすぎるあなたが悪いのです。あなたの顔を正面から見ることができる、コンビニの店員さんが羨ましいと思ったくらいに、あなたは魅力的で、魅惑的でした。

 別に後をつけていたわけではないんですが、あなたがコンビニを出た後、すぐに私も会計が終わってコンビニを出ました。あなたの後ろ姿を追っていたわけじゃないんです。本当に、新しいアパートの方角が一緒だったから仕方なく歩いただけです。不審に思われてしまったかもしれませんが、階段を上がっていくあなたの後ろ姿を見て、同じアパートの住人だと気づいた時は嬉しくもありました。それも、私の隣の部屋だったのですから……鍵を開けようとドアの前に立っていたあなたに、私は声をかけました。別に、下心なんてありません。隣人として、引っ越して来た挨拶を軽くしただけです。「隣に越して来ました。よろしくお願いします」と、ありきたりな引っ越しの挨拶を交わしただけでしたが、それからも何度か大学へ行く時間とか、帰りに偶然顔をあわせることがありましたね。


 彼女とか、いるんだろうか————あなたの顔を見る度、密かにときめいていた私は、いつの間にかそんな風に考えるようになっていました。今の所、恋人や友人が隣の部屋を訪ねて来ている様子は見たことがありませんでしたが、つい気になって、あなたの部屋と私の部屋の間にある壁に一日中耳を押し当てていたこともあります。こうしてみると、わずかではありますがあなたの生活している音が壁の振動を通して聞こえて来ましたので、テレビの音声が聞こえた時は私もチャンネルを合わせて同じものを見て見たり、誰かと通話しているような声を聞いたこともあります。流石に内容までは断片的にしか聞き取れませんでしたが、あなたが笑っている声が聞こえると、なんだか私も嬉しくて、幸せな気分になったものです。密かにそんなことを繰り返していました。ですが、私にも自分の生活がありますので、さすがに毎日はできません。あなたも仕事で一日中帰ってこない日があったように、私もそれなりに大学や高校時代の友人と出かけたりして、夜遅くに帰ってくるようなこともありました。

 それでも、朝、夜とたまに顔をあわせる度に、私の心は踊るのです。これが初めての恋というやつではないかと、友人に相談したところ、「代わりに彼女がいるかどうか聞いてこようか」と冗談で言われてしまったほどです。「そんなにイケメンなら、私も興味がある」と別の友人は付け加えてきたので、私は頑なに断りました。その友人は、なんといいますか、高校時代から……いえ、もっと前ですね、小学生の頃から彼氏がいて、初体験も「中学に上がる前に済ませた」とよく自慢しているような子でしたから、私とは違って、恋愛経験も男性経験も豊富なのです。別れてもいつの間にか彼氏ができていて、メイクやファッションに人一倍気を使うおしゃれな子でしたから、もしもその友人をあなたが気に入ってしまったら……なんてそう考えると恐ろしくて、想像しただけで肝を冷やしたものです。私はあなたとどうなりたいとか、恋人になりたいとか、そんな大層なことは考えていません。誰かのものであって構いません。ただ、私の知っている人間のものには、なって欲しくなかったのです。


 そんな日々を過ごしていたある日の深夜、友人たちとの飲み会から帰宅した私は、あなたの部屋の玄関のドアが半開きになっていることに気がつきました。私の部屋はあなたの隣で、階段からだと、あなたの部屋より奥にありますから、気づかない方がおかしいのですけれど……そんなことは初めてだったので、つい、中を覗いてしまったのです。そうしたら————


 玄関のあちこちに、血がついていました。


 私は驚いて、悲鳴をあげることも忘れて、その血の先を目で追いました。あなたの白い手が、あの綺麗な手が血で真っ赤に染まっているのを見て、涙が止まりませんでした。呼びかけても、あなたはピクリとも動かなくて、あなたが死んでしまったのだと理解した私は、そのショックで立っていられなくて、その場にしゃがみこみました。その時、手に当たったのが、床に落ちていた包丁です。血みどろの中に落ちていたその包丁の柄を掴んで、私はあなたを刺し殺したこの包丁で、自分の体を刺そうとしました。あなたを思うと、心臓が跳ね、火照って全身を巡る私の血液が、すっかり冷えてしまって、これ以上の絶望はないと思ったのです。あなたのいない世界で、私は生きてはいません。だから、一層のこと、このまま、あなたの隣で死のうと————そう思ったのです。それなのに……


 あの女が警察を連れて入って来て、全てはめちゃくちゃになりました。

 私は、あなたと、あなたのそばで、死にたかったのに。

 愛するあなたと、一緒にいたかったのに。


 一体誰が、こんな風にしたんですか?

 あなたを殺したのは、誰なんですか?

 私からあなたを奪った、その人は、誰なんですか?


 ここから出たら、私はすぐにでもその人のところへいって、復讐してやります。

 私はあなたを、本当に愛しているのです。その人を殺したら、私もすぐにあなたのところへいきます。ですから、どうかお願いです。

 そちらへいったら、どうか私を愛してください。

 こんなにも、私はあなたを愛しているのですから。


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