第2話 ボクはボクであることを認めているよ

「自分を認める」ナツから言われたその言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。言葉の意味はもちろん分かる。だけど、どこかうすぼんやりとした感じで掴み所がない。僕が自分自身を認めていないのだと言われれば、きっとその通りだと思う。でもそうだとして、じゃあどうすれば自分を認めることができるのだろうか。そもそも僕にできることなのだろうか。


それが分からないまま一週間を過ごした。

相変わらず仕事はつらい。毎日なだれ込んでくる作業をうまく処理できず、こぼれたものを先輩が仕方なしと請け負っていく。その先輩の溜息や冷たい目を感じ取ると胸が強く締め付けられた。「すみません」と頭を下げるたびに自分が無価値な存在に思えた。

ナツのおかけでほぐれた心は五日もあれば簡単に硬くこわばり脆くなる。



「自分を認めるってどうしたらいいのかな?」


先週と同じように僕はナツにご飯をあげながら訊ねた。毎週日曜日にナツにご飯をあげることが僕のルーティーンとなっている。この時間がナツのお世話の中で一番長く一緒にいられるので、この前みたいにいろいろと話せるかもしれない。


「え? どうしたらもなにも、そのまんまの意味だよ」


ナツはマウスを呑み込んでからあっけらかんとそう言った。


「いや、それがよく分からないんだよ」


「うーん、言い換えるとすれば、自分を受け入れるってことかな」


「自分を受け入れる?」


「そう。自分の好きなもの嫌いなもの、できることできないこと、そういう自分を構成するものすべてを受け入れることだよ」


ぼんやりとしていた言葉の輪郭が少し見えたような気がした。それでもまだ理解というか、納得のできないところもある。特にできないことを受け入れる、というのは素直に飲み込むことができなかった。できないことを受け入れる、というのは、できない自分を受け入れることと同じだ。だけど、できないことだらけの自分なんて受け入れられる気がしなかった。


「難しいな」


僕が溜息交じりに言うと、ナツは「難しく考えすぎだよ」と笑った。


「ナツは自分のことを認めているの?」


「ああ。ボクはボクであることを認めているよ。自分がヘビという生物であることや、どういう個性を持っているのかをね」


「個性か……」


そんなもの自分にはないな、と思っていると、その考えを見透かしたようにナツは「いやいや」と首を横に振る。


「個性と言っても別に他と比べて優れている必要はないよ。僕なんか変温動物だから君たち人間のように寒い環境では生きられないし、手足がないから物を掴んだり走ったりすることもできない。でもこういう面はヘビという生物の個性で、ボクはそれを受け入れているよ」


「うーん、まぁ生物学的な話をするなら、僕だって自分が人間であることは当然認めているよ……」


僕が「そういうことじゃないんだよなぁ」と続ける前にナツは再び口を開いた。


「同じヘビという生物であっても個性は様々だ。例えば木登りが得意なヘビ、泳ぎが得意なヘビ、毒を持つヘビ、三メートル以上まで成長するヘビ……。世界にはそういうヘビがたくさんいて、どのヘビもボクにはない個性を持っている。だけど、ボクはそういうヘビたちと比べて落ち込むことはない。なぜなら、ボクがボクであることを認めているからだ。『ない』ことを理解した上で、『ない』自分を受け入れているからだ」


ナツは首を上げて、僕をまっすぐ見つめた。


「君たち人間も同じだろ? 運動が得意とか頭がいいとかやさしいとかいろんな個性があるけど、なにを持っていれば正解ってわけじゃない」


「確かにそうかもしれない。でも、あった方がいいものも多いよ。それこそ頭がいいとか要領がいいとかは、個性としてあるに越したことはない。僕にはないけどね……」


僕が自嘲気味に笑うと、ナツは首を横に傾げた。


「仮にそうだとして、それらはいますぐに手に入るものなのかい?」


「え?」


「君が自分を認められないのは、ないものねだりをしているからだよ。人と比べて自分に『ない』ものばかりを数えているから、『ある』ものに気づけないんだ。言っただろ? 数えるならできることを数えなよって。君はまず自分に『ある』ものを見つけるべきだ」


ナツは首を伸ばして僕との距離を縮めた。


「好きなもの、やっていて苦にならないこと、許せないこと、あくまで一例だけど、こういうものを自分の中から探すんだ。どんなに小さなことでもいいから」


ナツはそう言って、自分の身体をスライド式のガラス扉に這わせて閉め、ケージの隅で丸くなった。

どうやら店じまいらしい。僕はケージの鍵をかけて、寝る準備を始めた。


布団に入り目を瞑ると、ナツの言っていた言葉が頭の中で再生された。自分に『ある』ものを見つけるべき。

僕に『ある』ものって、いったいなんだろう。見つけられるか自信がない。だけど、今までよりもう少し、前向きに自分を見てみようと思った。

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