第1話 なんでわざわざ指折ってできないことを数えるんだい?

ヘビは喋れない。もしかしたらヘビ同士で通じ合う言語が存在するのかもしれないが、少なくとも人間の言葉を理解して話をすることはできない。それは誰もが認識し理解しているはずの事実だ。そのはずなのに、いま僕の目の前にいるヘビは人間の言葉を介して意思の疎通をはかってきている。


「あれ? ボクの声聞こえてるよね?」


混乱している僕をよそに、ナツは喋られるのが当然のように話しかけてくる。


「聞こえてるけど、本当にナツが喋ってるんだよな?」


「そうだよ」


ナツはそう言ってうなずいた。今度はナツから目を離さずにいて、それで気づいたが、驚いたことにナツは喋るときに口をほとんど開いていなかった。テレパシーのように僕の頭に直接語りかけているのか、謎は深まるばかりだ。


「なんで喋ることができるんだ?」


「それはボクにも分からない。気がついたらってやつだよ」


ナツの表情は変わっていないが、その声は笑っていてなんだか楽しそうだった。つられて僕もだんだん楽しい気分になってくる。考えてみれば自分が飼っているペットと話せるなんて幸せなことなのかもしれない。だったらもう少しこの時間を堪能しよう。


「そう言えば、さっきはなんて言ってたんだ?」


ナツが急に喋りだしたことに驚いて内容をよく聞いていなかった。僕が訊ねると、ナツは「ああ」と思い出したようにつぶやく。


「君は溜息ばかりだねって」


「溜息? まぁ言われてみれば溜息ばかりついてるかもな」


「人間が溜息つくときってたいていは不機嫌なときでしょ? なにかあったのかい?」


ナツはそう言って首を傾げる。


「いや、たいしたことじゃないんだけど……明日からまた一週間仕事だから嫌だなって」


「なんで仕事が嫌なんだい?」


「なんでって……理由はいろいろあるよ。自分の無力さを痛感するからとか……」


「君が無力?」


ナツは目を丸くして首をかしげている。ジッと見つめられて僕は少し身をよじらせた。

ナツの目に僕はいったいどういう風に映っているのだろうか。


「僕は無力だよ。できないことが多すぎる。だから毎日失敗ばかりで先輩に迷惑ばっかかけてる」


「例えばさ……」と僕は両手で数を数えるように自分の欠点を挙げていく。理解力がないこと、うまく話せないこと、動きが遅いこと、手先が不器用なこと、力仕事ができないこと、それから……。

数えていくとあっという間に両手の指が埋まりそうで、自分でやっているくせに胸がズキンと痛んだ。

ああ、やっぱり僕ってなにもできない人間なんだな……。

はは、と乾いた笑いが漏れる。するとそれまで黙ってボクを見つめていたナツが「あのさぁ」と呼びかけてきた。


「なんでわざわざ指折ってできないことを数えるんだい?」


「……え?」


「その行動は君自身を幸せにするのかい?」


僕は何も言えず動けなかった。まるでヘビに睨まれたカエルのように、僕をジッと見つめるナツの目から逃れることができなかった。


「どうせ数えるならできることを数えなよ」


「できることって……僕にできることなんてないよ……」


僕は下を向きながら弱く小さい声で返す。

自分にできることなんてひとつとして浮かんでこない。僕は今までの人生でなにかを成し遂げたことなんてないのだ。

だけどナツは「そんなことない」と言って首を横に振る。


「見えていないだけだよ。できないことに埋もれて見えていないだけだ」


ナツは「例えばさ……」と言葉を続ける。


「ボクを二年もの間、健康に育ててくれているじゃないか」


そう言われて思わず「え?」と間の抜けた声が出た。それと同時に少しがっかりもした。

ヘビって生き物の中でもそこまで飼育難度は高くないし、僕にできることって結局その程度のことなんだ。誰にでもできることしかできないんだ。


「君、そんなことかって思ってないかい?」


考えを見透かされて僕は言葉をつまらせた。それにナツの語気が今までより強く、どうやら怒っているらしかった。


「ボクからしてみればね、ヘタな奴に飼われることはそのまま死に直結することなんだよ。変温動物だからちゃんと温度と湿度を管理してもらわないとすぐに体調を崩してしまう。ケージも適切な広さじゃないと肥満やストレスの原因になるし、日々の掃除や水の入れ換え、餌やりだって大切だ。決して誰でもできる簡単なことじゃないよ」


ナツはグッと首を伸ばして僕を睨み付ける。


「ボクの命を軽く見ているんじゃないだろうね?」


「そ、そんなことないよ。……ごめん。僕にとってはナツのお世話は当たり前のことだからさ……」


ナツに対して申し訳ない気持ちになって頭を下げた。


「君は勘違いをしているよ。『自分にできること』は『自分にしかできないこと』と必ずしもイコールじゃない。難しく考えないで、もう少し自分を認めてあげなよ」


先ほどのとげとげしさとは打って変わってナツの声は柔らかく温かかった。それになぜだか分からないけど、ナツの言葉はまっすぐ胸に入ってくる。もし同じことを会社の先輩や友達に言われても、手放しで受け入れることはできなかったように思う。


人間じゃない、ヘビの言葉だからなのかもしれない。

ふとそう思って、自然と笑みがこぼれた。

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