第28話 朱陽の大鉈

 巳黒と巳白が消えてすぐ。

 大天狗にも勝る通力を噴水のごとく放出していた大佑だったが、糸が切れた操り人形の様にバタリとその場に倒れた。


「世話役殿!」

「夏川!!」


 大佑は、遠くで火崇と浅羽の呼び声を聞きながら、意識の向こう側へと落ちていった。





 大佑は、自分の意識が遠のいて倒れた事を、ぼんやりとだが、わかっていた。

 そして自分が自分では無くなった瞬間のことも、両親を無事助けられたことも、しっかりと覚えている。


 浅羽の呼び声に導かれ、自身の中に見つけた光に引っ張られた。その瞬間、自分の中にもう一人の自分がいて、それが目を覚ましたのだ。

 自分の姿を自分で俯瞰して見る光景は、大佑にとって、まるで何かに自身を乗っ取られた様で、恐ろしい夢でも見ているのではないかと。寧ろ夢であって欲しいと思うほどだった。


 そして、今。意識が遠退き、辿り着いた場所。

 そこは、朱陽の【住居】があるであった。


 その景色を見た大佑は、今、自分はのだろうと、頭の隅で思っていた。


 だが、身体は夢にしては、やけに現実的リアルであると感じる矛盾に、違和感を抱いた。

 自身が動く度に全身が悲鳴を上げる。身体の重さや節々の痛みを感じ、顔が歪むのだ。

 だが、その。目を閉じている感覚があるのだ。にも関わらず、同時に開いている感覚もある。


 縁側に立ち天を見上げれば、空は虹色の色彩が広がっている。その視線を下へ向け、ゆっくり左右を見回す。その視界には、季節が異なる草花が咲き誇り、甘い匂いを漂わせている。時々、頬を撫でる柔らかな微風そよかぜすら感じることに、もしかしたら夢では無いのでは、と自身の脳を疑った。

 大きく動くたび感じる痛みに顔を歪めつつ、どうにか足を動かし庭に降り立つ。


 誰もいない。だが、ずっと誰かに呼ばれている。耳の奥なのか、頭の奥なのか。全身に響く知らない誰かの呼び声に、大佑は導かれる様に庭を歩いた。


 声に誘われ辿り着いたのは、池の前。

 その池は、社の境内にあるそれと、そっくり同じ風景だ。

 小さな池を囲む木々の風景も、水草が浮かぶ池の姿も。何もかも。

 朱陽に初めてに連れて来られた時にも感じたことを、大佑は改めて思う。


 ここは、この世とあの世が繋がっている場所なのかも知れない、と。


 水面に視線を落とせば、自分の姿が水鏡に映る。しかし、水鏡の中の自分はとても悲しげで、まるで池そのものが、何かを訴えているようだった。


 ふと、黒須の姿をした朱陽の言葉を思い出す。


『なぁ、大佑。神社の池は、神々にとって大事な場所だ。池が綺麗であれば、多くの食物連鎖が起きる。命が宿り、その活力に満ちた池の水は、神々の力の源にもなる。喉を潤し力をつけ、穢れた身を清められる』


「そういえば、黒須は池をすぐに掃除しろと言っていたんだった……」


『とんでもない発見があるかも知れないぜ?』


「いったい、何が見つかるっていうんだ?」


 大佑は、記憶の中の黒須と会話をするかの様に問いかける。だが、視界に見えるのは自身の悲しげな顔だけ。


 ふと、その自分の顔の奥にチカチカと光りが見えた気がした。


 大佑は、その光が手招きしている様に感じた。吸い寄せられる光の瞬きに、大佑はスラックスの裾を捲り上げ、池の中へと足をつける。ひんやりとした水は、そこまで冷たくは無く、寧ろ痛みが和らぐ心地良さだ。


 気が付けば、痛みはいつの間にやら消えて無くなり、服がびっしょりと濡れるのも構わず、夢中になって池の掃除をはじめていた。動き難く感じると、大佑は誰がいるわけでも無いと、スラックスもシャツも脱ぎ捨てた。

 元々、池の水そのものは、そこまで汚れていたわけでは無い。ただ、池の奥に蔓延る水草が、池の半分を占める程に広がっている。古い水草が枯れ、腐敗しているのか、奥へ行くにつれ、少し滑りを感じた。

 大佑は、恐る恐る奥へと進む。水嵩は、一番深いところで太もも辺りまでだった。池の中には、とくに生き物が棲息している様には感じない。

 足元に魚が触れる事もなく、大佑はひたすら水草を掃除した。

 すると、どんなに引っ張ってもびくともしない水草に、大佑は両腕を水の中に突っ込んだ。

 木の枝なのか、小枝ではない握りやすい太さの固いものが触れる。手でまさぐれば、布の様な物が巻かれている事に気が付いた。

 水面を見ても、水中で泥が舞って見る事が出来ない。


「なんだろう……。引き揚げてみようか」


 両手で掴み、引き揚げようにも、足元が泥濘ぬかるみ、踏ん張りが効かない。


「何か、ロープの代わりになるような物でもあれば……」


 そう呟き、辺りを見回せば、池の淵に投げ捨てていた濡れた制服の隣りに、ロープによく似た紐が目に入った。近寄ってみると、それはちゃんとしたロープだ。


「……こんなもん、あったっけ? やっぱ、これ夢か……」


 それにしては、濡れる感覚や泥濘の感覚が、あまりにもリアルだ、と思いつつも、大佑はロープを持って、気になる枝らしき何かの元は戻った。


「こんなんで大丈夫かな……」


 水中が見えづらいため、己の感覚だけでロープを巻き付け結びつけると、そのロープのはしを持って陸に上がる。


「池の中だと、ぬかるんで踏ん張れ無いからな。こっから引っ張って動けば良いんだけど……」


 誰にともなく呟きながら、大佑は手首にロープを巻き付ける。大きく息を吸い込み、気合いの声を漏らし、息を止めて力一杯にロープを引っ張った。

 ずずっと、僅かずつだが動いているのが分かり、大佑は更に力を込めて引っ張る。

 まるで綱引きでもしてるのかと思うくらいに、大佑は腰を下ろしロープを引っ張り続けた。すると、引っかかっていた何かが外れたのか、急にずずずっと動きだし、大佑はそれに合わせ勢いをつけて後ろへ足を動かせば、水面からロープを結び付けた枝の部分が顔をだす。


 泥に汚れたそれは、刀のつかだと分かる。ロープを手繰り寄せ更に引っ張りあげれば、その全貌に大佑は目を見張った。


「……なんだ、これ……。こんなデカいの、初めて見る……」


 引き揚げられたのは、刀では無いという事は大佑にもわかった。なぜなら、それは物語の中で読んだ事のある、ある物と同じ姿をしてたから。


 池の水で泥を洗い落とせば、それは光を増した。


「黒須の言っていた、すげぇものって、これのことか……」


 それは、大天狗が持つと言われる、巨大な大鉈おおなたであった。




 上空に浮かぶ栃木の大天狗が、素早く結界を張りながら大声で朱陽に向かって喝を入れた。

 

「朱陽よ! お主は、こんな住宅街で結界も張らず、何を動揺しておる! しっかりせい!」


 結界が覆った空間は、あの世とこの世の狭間だ。目に見える風景は、さっきまでいた住宅街ではない。人間には入ることの出来ない空間。

 その空間を見て、朱陽は僅かに顔を歪める。


「すまない、雷雅らいが。助かった」

「大馬鹿者め。ひとつ貸しだぞ」


 二人の前には、金銀の狐が白い牙を剥き出しにし、戦闘態勢で大蛇を睨み付ける。


 大蛇の姿をした大介に、シロガネはフルフルと小刻みに震え、背中の毛を逆立てた。


『何ということだ……。蛇に、心までも喰わせたというのですか! 大介様!!』


 天狗の世話役であったとはいえ、大介はであった。

 そして、そもそも人間が妖になる事など、あり得ない。あってはならない。もし、その様な事が起きたのであれば、それは上級妖に人間がとして与えた場合だ。


『それが、俺にとって一番有効な選択肢だった。それだけだ。朱陽、お前を殺すために、な……』


 その言葉に、コガネがグルルと怒りの声を漏らす。


 それを合図に、金銀の狐と一匹の大蛇が同時に飛び掛かった。

 大蛇は尻尾を上手く使い、コガネを払いのけ、大きく開かれた口は、シロガネに向かう。シロガネは、その隙を狙い首へ食らいつこうとしたが、大蛇の尻尾に飛ばされたコガネにぶつかり、姿勢を崩す。見逃さなかった大蛇の大口がシロガネに噛み付く間際、朱陽がシロガネを引き下げ、自身の背後へ押しやれば、雷雅がコガネを抱えて後ろへ下がる。


 シュルルと舌を鳴らした大蛇は、まるで笑っている風に目を細めた。


『朱陽、お前は俺を殺せない。そうだろ?』


 そう言うと、大蛇は一旦首を後ろへ引き下げると、勢いをつけて朱陽へ飛び掛かってきた。


「朱陽!!」


 雷雅の声に重なり、ガキンッと金属音が響いた。

 砂埃が舞う中に、朱陽の姿。

 そして、その手には大鉈が。


 大鉈で大蛇の牙を押し止める。


 朱陽は心の中で叫んだ。





 大佑は、ハッと顔を上げ、虹色の空を見上げる。


『大佑! 出来でかした!!』


 朱陽の声が、朱陽の【住居】空間に響く。


 その声に大佑は、思いがけず嬉しさが込み上げ、空に向かって微笑んだ。


 大佑は、ふと足元を見た。そこにあったはずの、先程引き揚げた大鉈は消えて無くなっている。


 大佑は、大鉈が消えてしまったことに、驚くことも、慌てる事も無かった。


 何故か、朱陽の手元に届いたのだと、確信を持って感じられたから。


「どういたしまして、朱陽」


 何も無い自身の足元に向かって朱陽の名を呟けば、胸の奥が今まで感じた事のない暖かさに包まれ、トクンとひとつ、大きな音を立てたのだった。

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