水族館デート
家に帰ってからの流れはいつも同じだった。部屋着に着替えて、録り溜めたアニメを観て、宿題と予習をする。それがわたしの日常。そんな日常の中に、アニメの視聴以外でスガッチの存在を感じられる楽しみができたことはこれ以上ない幸運だった。
スガッチはわたしにとって生きる希望と言っても過言ではない。だから、そんなスガッチと文字通り夢のような時間を過ごせることは、わたしにとって最高の幸せなのだ。
寝る前になると、頭の中はスガッチのことでいっぱいになった。休日ならまだしも平日は次の日の学校のせいで憂鬱になっていたのに、いまは嘘みたいに気分がいい。
わたしはベッドで横になって目を瞑った。だけど、昨日と同じですぐには寝付けなかった。今回の水族館デートは、いったいどんな夢になるだろう。想像が膨らんで、瞼の裏にデートのシーンが浮かんでくる。その幸せな光景に思わず、ふふふっと笑いが漏れた。
どきどきして眠れないなぁ、なんて思ったけど、不安はなかった。きっと昨日と同じで、いつのまにかぐっすり眠っているはずだ。その予想は的中して、わたしは昨日と同じく気づけば深い眠りについていた。
晴天の下、わたしは水族館の前にいた。
その水族館はかつて家族で旅行に行ったときに訪れた場所だった。規模が大きくて、イルカやアシカのショーも見られたりして、全国的にも有名な場所。わたしはそこで白いワンピースに身を包み、スガッチを待っていた。
途中、日陰の方が過ごしやすいと感じて少し移動した。実際に暑さを感じているわけじゃないはずなのに、そう錯覚してしまうほどのリアルさがこの夢の特徴だ。現実の季節とズレがあるのは、家族で訪れたのが七月だったから、そのときの記憶が反映されているんだと思う。
ほどなくしてスガッチが小走りで現れた。白いシャツに黒のジャケットを羽織った爽やかな装いだ。遅れてごめん、と息を切らすスガッチにわたしは大丈夫、と笑いかけた。そんなに待っていないし、なにより好きな人を待つ時間は思いのほか楽しい時間で全然苦じゃなかった。
水族館の中に入ってすぐスガッチが手を握ってくれた。わたしよりもずっと大きくてゴツゴツをした手はスガッチが男の人であることを強く感じさせる。そんな手が優しくわたしの手を握ってくれていると思うと、大事されているんだと感じて口元が緩くなった。この世界では、わたし達は恋人なのだ。
それからわたし達は館内をゆっくり見て回った。二人で展示を覗き込んだり、イルカショーで並んで座ったりして距離が近づくたびに鼓動が早くなった。もしかしたら、展示やショーよりも隣の方ばかりを見ていたかもしれない。
館内を一周して出口まで来たときには外は日が落ちて橙色に染まっていた。
……もうこれでデートは終わり。明確な終わりを悟ってしまうのも、この夢の大きな特徴だ。わたしは並んで歩いていた足を止めた。繋いでいた手がスガッチを引き留める。彼は振り向くと困ったように眉根を下げてわたしの頭を撫でた。そして、またすぐ会えるよ、と言って、わたしの肩を抱き寄せた。幻であるはずの彼の体温がわたしの中に混ざってひとつになっていく。わたしは目を瞑ってその心地よい感覚に浸った。
だけど、幸せな時間は長くは続かなかった。だんだんと全身の感覚がぼやけていき、その一方でまるで深海から浮上するみたいに外の光を感じ始めていた。
わたしは目を開けてゆっくりと身体を起こした。初回のときのような飛び跳ねるほどの驚きはない。頭がぼーっとして、まるで宙に浮いているみたいに身体が軽い。
……ああ、幸せだな。
わたしは目を瞑って夢の内容を反芻した。夢を見るたびにスガッチへの想いが強くなっている。彼の姿や声を思い出すだけで、きゅうっと胸が甘く痛んだ。
「千沙? まだ寝てるの? いい加減起きないと遅刻するわよ?」
昨日より強い口調が下から響いてきた。はっとして時計を見ると、いつのまにか遅刻寸前の時間になっていた。やばい、急いで準備しないと。
わたしはバタバタと音を立てながら身支度を整えた。二日連続で寝坊したからか家を出るまでにお母さんがいろいろと言ってきたけど、焦っていたからほとんど耳に入らなかった。
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