第一章 ギタリスト 13
土曜日、ベッドから起き上がったのは十一時過ぎだった。
寝不足と疲れから目が覚めても布団から出られず、そのまま二度寝をしたらいつのまにか昼前になっていたのだ。
カーテンを開けて陽の光を浴びても頭は冴えず、再びベッドで横になった。スマホをいじりながらぼーっとしていると、はぁ、とため息が漏れた。
この一週間は怒涛の毎日だった。主に小野さんの予定に合わせるためにリスケにリスケを重ね、朝から晩まで働く日々。日中は客先訪問で外に出てしまうため、朝は七時には出社し、夜は十時過ぎまで残って見積書や契約書といった書類作成を進めていた。そこまでしてもまだ、当初組んでいた自分のスケジュールの遅れは取り戻せていない。
月曜日はなにをすればいいんだっけ。
ああ、そうだ。小野さんに振られた見積もりは絶対に月曜日に終わらせないといけない。あとはどこだったか、近いうちに打合せしたいってメールが入ってた気がするから空いてる日を探して返信して……。それと火曜日にはリスケしてもらったお客さんとの打合せがあるから資料の準備をしないとだ。無理言ってずらしてもらったから、お客さん怒ってたよな。なにかお詫びの品を持っていった方がいいかな。あとは……。
「はぁ……」
再びため息が漏れる。
せっかくの休日なのに頭に浮かんでくるのは仕事のばかりだ。上司やお客さんのことが頭にべったりとこびりついている。今日に限った話じゃない。もうずいぶんと前からそうだ。やりたくもない仕事に、生活のすべてを支配されている。これからもずっと、少なくとも定年まではこんな生活が続くのか。定年って、たしか六十五歳だよな……。あと、四十年……?
明確な不満と漠然とした不安が募り、頭にモヤがかかる。
……ダメだ。気分転換しないと。
僕は起き上がって頭を振った。いつものように散歩をしようと窓の外に目をやると、晴れていたはずの空はいつのまにか灰色に覆われていた。ぽつぽつと小雨が降っている。これくらいならいいか、と思ったところで徐々に雨脚が強くなっていき、数十秒と経たずにザザザーーッ、と激しく降り始めた。道行く人は慌てて傘を取り出したり、雨宿りできる場所まで走ったりしている。
「タイミング悪すぎだろ……」
頭を乱暴に掻きながら窓に背を向ける。ふて寝でもするかとベッドに向かったところでふと、押し入れに目が留まった。いまの季節は使わない厚手の布団や毛布に今後一切使うことが無いであろう大学の教科書、その他大きくて部屋に置いておくには邪魔なものが仕舞ってあり、基本的に閉め切っているため、普段は中を見ることはない。
僕は押し入れに近づき、引き戸に手をかけた。力を込めようとした途端に迷いが生じ、手を伸ばした姿勢のままで少し固まったが、やがてゆっくりと戸を開いた。
二段に分かれた狭い空間には引っ越し業者の名前が入った段ボールや布団などが無造作に押し込まれている。僕は下の段の奥にあるものを取り出すために、しゃがんで手前に置いてある二つの段ボールをどかした。
目的の物を前に、僕は少しだけ息を呑んだ。心臓の鼓動が早くなっているような気がする。
目の前にあるのは、ギターケースだ。
横向きに立った状態で、二つ縦に並んでいる。僕は手前のケースを引き出してベッドに腰かけた。中にはアコースティックギターが入っており、あの頃のように構えて、軽く音を鳴らした。
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