第一章 ギタリスト 8

ピピピッと無機質なスマホのアラーム音が鳴っていることに気づき、ゆっくりと目を開いた。目の前には見慣れた天井があり、顔を横に向けるとカーテンの隙間から朝日が漏れ出ている。スマホに手を伸ばし、アラームを止めた。時計は六時を示している。


僕はゆっくりと上体だけ起こして、そのままぼーっとしていた。寝不足というわけではない。むしろいつもよりぐっすり眠れていたような気がする。単純に驚きで頭がうまく回っていなかった。

まさか、本当に紙に書いた夢をみることができるなんて……。

枕を持ち上げてみると、夢野さんの言う通り、紙はきれいさっぱり無くなっていた。ベッドの下やシーツの下を見ても、紙は見当たらない。

本当に消えるんだ。いったいどうなっているんだ。


昨日に続いて不思議なことばかりで、頭が追い付かない。いろいろ整理してみたい気持ちもあるけど、とりあえずは会社に行く準備をしなくてはいけない。僕はため息をつきながらベッドから降り、気だるい身体を無理やり起こすように支度をした。



僕は二駅先にある商社で営業をしている。会社は電子部品を扱う専門商社で、大手ではないけど固定客が多かったことから経営はそこそこ安定していた。……数年前までは。ここ数年は世界情勢的に電子部品の仕入れが一気に難しくなり、大手同業他社との競争にも負けつつあるため業績は低迷している。上からの圧力が強いのは、自分のノルマを達成できていないことが一番の原因ではあるけど、売り上げが伸び悩んでいることがさらに拍車をかけていた。


始業時間より三十分早い八時から始まった会議は荒れに荒れ、終わったのは午後一時過ぎだった。期初の会議ということもあって、前期の振り返りや今期の目標、それぞれの個人目標と見込みの報告など議題が多く、その度に部長や社長からあれこれ指摘が入り長引いたのだ。


「西田、これの見積り、今日中に作っといて。今日中な」


会議が終わるやいなや、二つ上の先輩である小野さんが乱暴に資料の束を作業中のデスクに放ってきた。そして僕の返事を聞かないまま、流れるように「外回り行ってきます」と一言発して出て行ってしまった。僕は渡された資料に目を通す。見積りの提出先はどれも小野さんのお客さんで、僕は全く関わっていない。そして、あまり見込みがないのにうるさいお客だと小野さんが愚痴を言っていたところだった。


自然とため息が漏れる。小野さんに限らず、上の人はみんなことあるごとに仕事を振ってくる。それも売り上げには貢献しなさそうなところばかり。

僕も溜まってる仕事があるんだけどな。それに今年こそは結果を出さないといけないのに。


会議では予想通り散々詰められた。一応、来るであろう質問に対して自分なりの模範解答を用意していたけど、部長や社長の猛攻を防ぎきることはできなかった。ヤジのように飛んでくる詰問にしどろもどろになりながら答えているうちに、気づけばノルマを増やされていた。やる気があればできるんだよとか、もう三年目なんだからこれくらいのノルマはこなせないとダメだとか、そんなことをみんなの前で言われてしまうとなにも言い返せない。増やされたと言ってもメンバーの中で一番低い数字だから、できないなんて言えるはずもない。だからせめて自分の担当分に集中したいのに、こうして雑多な仕事を振られて毎日が忙殺されてしまう。それでも、面と向かって断ることはできなかった。自分が一番年下の新人で、たいした成績も残せていないからだ。


僕は渡された資料を手元に寄せてパソコンに向かった。まずは今日中にと念を押された見積りを作らなくては。

こうしてまた、自分のことが後回しになっていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る