第一章 ギタリスト 7

夢には明晰夢というものがあると聞いた事がある。簡単に言えば夢であることを自覚し、自由に行動できる夢のことだ。自由に行動できるが故に夢のその後の展開も自在にコントロールできる。

なぜこんなことを思い出しているのかと言えば、いま、まさに僕が見ている夢がその特徴に当てはまっているからだ。現実と見間違うほど鮮明な景色だけど、確実に夢の世界であると自覚できるし、自由に身体を動かすことができる。


場所はどこかの大きい会場で舞台袖みたいなところでスタンバイしている。照明が落ちた薄暗い空間の中、周りには忙しく動き回る会場スタッフとかつてのバンドメンバーがいた。

メンバーはみんな高校、大学の同級生で、あの頃は毎日集まっては一緒に音を合わせていたけど、こんな大きい会場で演奏をしたことはないし、ここ数年は会ってすらいない。

その事実が目の前に広がる景色が夢の世界なのだと気づかせる。どこか気まずさを感じ、うつむいているとスタッフの一人から「そろそろです」と告げられた。


それを合図にメンバーが舞台へと上がっていき、僕もそれに続く。そのまま僕は意識することなく、気づけばあの頃の定位置であるボーカルの左後ろに足を運んでいた。

そこにはずっと愛用していたギターが立てかけてあり、僕は迷いなくそれを肩にかけた。夢だから重みを感じることはなかったけど、懐かしい気分になっていた。


辺りがシンと静まる中、曲の出だしを合わせるためにドラムがバチを鳴らす。なにを弾けばいいか分からず、僕はとっさに初めて自分たちで作った曲のコードを押さえた。その瞬間、まるで知っていたかのように他のメンバーも同じ曲を弾き、一つのメロディーが生まれた。同時に舞台の上のスポットライトが一気に点いて、僕らを明るく照らし出した。何年も弾いていないはずがスラスラと指が動き、キレのある音が響いて仲間の音と混ざっていく。


前を向けば視界一面の観客が曲のリズムに合わせて手を振っている。会場が一体になったその空間がとても心地よくずっとここに居たいと思わせた。


曲が終わると会場には大きな拍手と歓声が響き渡った。夢の中のはずなのに、身体は熱く、曲の余韻で内臓が震えているような感覚があった。

観客もメンバーもみんな楽しそうな笑顔を見せ、僕もつられて笑みがこぼれる。もっと弾きたいと思い、僕は別の曲のコードを押さえた。するとメンバーはさっきと同じように僕の動きに合わせて音を奏でる。

一曲、もう一曲と演奏し、ついにかつて自分たちで作った曲をすべて弾き終えた。


楽しい。楽しくてたまらない。ギターを演奏するのはやっぱり気持ちいい。それになによりも観客の楽しそうな笑顔を見られるのがうれしかった。


盛大な拍手がしだいに鳴り止むと会場の照明も少しずつ落ち始め、夕闇のような陰りが辺りを包んだ。もっと弾きたいと願うも抗うことができず、照明は落ち続け暗闇となり、そして何も見えなくなった。

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