不気味な店主
「夢のつづきを見にいこう」
A3くらいのサイズの白紙に縦書きで大きくそう書かれており、左側の余白には上向きの矢印と「この先、二階」の文字もある。きれいに手書きされて作られたその張り紙は雑居ビルの壁面に張られていた。僕は雑居ビルにも目をやる。
窓の数から三階建てと思われるその雑居ビルは見た目からして古く痛んでおり、とても使われているような雰囲気ではない。ただ、二階の窓にだけ黒いカーテンがかかっていることと、張り紙に「この先、二階」の文言があることを考えると、二階になにかがありそうなことは想像できた。
だけど一番気になるのは、そもそもこんな雑居ビルがあったのか、ということだった。ほぼ毎週通っているはずなのにまったく見覚えがない。意識して見ていなかっただけで本当はずっとあったのだろうか。
じっと張り紙と雑居ビルを見つめているうちにむくむくと好奇心が湧いてきた。止めていた足が自然と雑居ビルの方へと向き、正面の階段を一段ずつ上がっていた。日当たりが良くないからか昼間の明るい時間なのに中は薄暗く、埃っぽさも漂っている。
二階まで上がると、左手側にある扉に「夢のつづきを見にいこう」と書かれた張り紙があることに気づいた。扉は表面の塗装がところどころ剥がれ落ちている。
僕はドアノブに手をかけ、ごくり、と唾を飲み込みながらゆっくりと押し開けた。ギイィと錆び付いた扉の音が緊張感を一層強くする。
目の前に広がったのは事務所のような造りの薄暗い部屋だった。二十帖くらいの広さで、奥にテーブルが一つとそれを挟むように椅子が二つ対面で置かれている。左手側には外から見えた黒いカーテンのかかった窓と、三人掛けくらいの大きめのこげ茶色のソファ。右手側には大きい棚とクローゼットが置かれており、その陰から台所が見えた。
「誰もいないのか?」
周りを見渡してみたが、人の姿はない。
拍子抜けだと思い帰ろうとした瞬間、水の流れる音が聞こえてきてその方向に目をやった。
「っふー、スッキリしました」
棚の奥からハスキーがかった声が聞こえてきたかと思うと、すっと現れた声の主とばっちり目が合った。僕が「あ、あの……」と口を開くのと同時に向こうも「ああ! お客さんですよね?」と言って慌てだした。
「すいません、気が付かなくて。いま準備しますので、少々お待ちください」
そう言ってリモコンで部屋の電気を点けるとカーテン開け、テーブルを布巾で水拭きした。そのまま流れるように「さぁ、どうぞ」と手前の椅子へと手招きされ、帰るタイミングを失ってしまった僕はとりあえず素直に従うことにした。
「いま飲み物を用意しますね。コーヒーでいいですか?」
「え? あ、はい……」
とっさのことで声が裏返ってしまった。恥ずかしさから顔が熱くなったが、向こうはたいして気にしていない様子で棚の陰になっている台所へと姿を消した。
この棚の奥にトイレもあったんだな。先ほどの水音を思い返しながら、改めて明るくなった部屋を見渡した。僕のことを「お客さん」と認識していたようだから、ここはなにかしらのサービスを提供する店で、あの人は店主なのだろう。
ただ、置いてあるものからすると店というよりは一人暮らしの部屋という印象が強い。あの人はここに住んでいたりするのだろうか。そんなことを考えながらきょろきょろと眺めていると、「お待たせしました」と言って店主が戻ってきた。
改めて見ると、店主も店の雰囲気に負けず劣らず特徴的だ。年は近そうだけど、身長は僕より十センチは高く、百八十センチ以上はあるんじゃないだろうか。サイズの合った黒のタートルネックと紺色のジーパンが、スラッとした体形を強調している。後ろで束ねた髪は腰近くまであり、顔は少し面長で切れ長の目と常に笑っているような表情は感情を読むことができない。
初対面の人には申し訳ないけど、少し不気味な印象を覚えた。外見や声から男性か女性かを判別できないことも得体の知れなさを際立たせている。
店主はカップをテーブル置き、向かいの椅子に腰かけた。
「バタバタしてしまってすみません」
「いえ、大丈夫です」
「申し遅れました。私は夢野といいます」
夢野さんはそう言って丁寧に頭を下げた。
物腰の柔らかさに警戒心が薄れる。怪しさは残るけど、少なくともこの人は悪い人ではなさそうだ。会社のお客さんでもこんな感じの穏やかな人は接しやすい。
「西田といいます」
僕も夢野さんに倣って頭を下げた。
「西田さんは、当店のご利用は初めてですよね?」
「はい。表の張り紙が気になって立ち寄ってみたんです」
「ふむ。それでしたら、まずは当店について説明しましょう」
夢野さんはそう言って立ちが上がると、棚から一枚の紙とペンを取り出し、テーブルの上に置いた。
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