第14話 アリア

 はあたしを絶望に突き落とした。


 国王陛下が頭を下げたのだ。



 国王の嘆願。女神の最上の祝福を得ているからこその義務。そこから逃れるすべをあたしは知らない。縋るような目を彼に向ける。彼なら何とかしてくれる――奇跡のようなものを信じて彼を見たが、その顔は青かった。


 彼の指示に従って嘆願を受け入れる。宴のゲストたちがあたしたちを取り囲む。ユーキは? ユーキはどこ?――目の前が暗い、息も苦しい――キリカが支えてくれる――顔に微笑みを必死で貼りつける。


 ふらつく足取りで、キリカに寄り添われて、やっと辿り着いた控えの部屋で三人だけになった。気持ちが涙と共に溢れ出した。目の前に立ち塞がる、長く長く時の先までを覆う闇。それだけで恐ろしかった。


 こんなに泣いたことは今までなかった。父が死に、領地を離れないといけなくなったあの日も、強く生きねばという思いはあったが泣くことはなかった。



 ◇◇◇◇◇



 ロホモンド公の別宅があたしたち三人にてがわれた。ほぼ女性のみの側仕えと使用人が揃えられた。公からは気を使われていたようだが、その時のあたしにはどうでもいいことだった。


 キリカは憤りを抑えこんでいた。彼女も元は名家の生まれだから立場を理解していたのだろう。怒りが行き場を無くして震えていた。


 そんなあたしとキリカをルシャが支えてくれた。彼女も宴の席では顔を青くして今にも泣き出しそうだったのを覚えている。それが取り乱したあたしを見るや、支え、慰め続けてくれていたのだ。彼女はあたしに側仕えを寄せ付けず、始終面倒を見てくれた。


 ルシャはすごい。

 思えばあの頃――ユーキへの思いを告げた頃からあたしを支え続けてくれている。


 本当は自分だって怖いのに、自分だって寂しいのに、彼女は大臣との交渉役を買って出た。部屋で塞ぎこんでいたあたしや、直情に訴えかねないキリカを残して、独りでいくつもの条件を勝ち取ってきたのだ。



 ◇◇◇◇◇



 出立の日が来た。装備類は慣れ親しんだものではなく、王国があたしたちのために用意したものを僅かな時間で調整した。こんな高価な装備より、端々は擦り切れているが十二分に手入れされている、いつもの装備の方がずっといい。


 豪華な馬車に乗せられ、笑顔を貼り付け、群衆に手を振っていた。手を振りながらも彼の姿を探すが見つけ出すことはできなかった。どれだけ人が居たとしても、あたしには見つけ出す自信があったのに……。



 ◇◇◇◇◇



 馬車は新市街の東門から出ると、騎乗した騎士たちに護られながら街道を進む。

 小さい頃に縁のなくなった光景だったけれど、感慨は無かった。


「ユーキ様は見当たりませんでしたね」

「騒いでたヨウカっぽいのを見たからミシカは居たと思うわ」


「リーメは人の多い場所には来なさそうですし。――あっ」


 ルシャがあたしの顔を見て小さく声を上げると、ハンカチを取り出してあたしの頬に当てる。いつの間にかポロポロと涙を零してしまっていたようだ……。


「ユーキのことだから大丈夫よ」


 うん――と根拠のない慰めの言葉に頷いてしまうが、彼は繊細だ。きっと、今回のことで胸を痛めていると思う。ヨウカと同じような目立つ容姿を見つけられないわけがない。



 昼前には次の宿場へ着いた。食事を取って馬車を乗り換える。凱旋の時にもここで乗り換えるらしい。そのための宿場でもあるようだった。その後は遠く離れた辺境領へ行くと聞いた。辛くて泣きそうでも、駆け出してすぐに会えるような場所ではない。王都が遠くなるほどに胸を詰まらせる想いが増すばかりだった。



 ◇◇◇◇◇



 私たちに同行するのは騎士団の精鋭が16名と、その従者たち。それから勇者様。魔王領へ攻め入っていた主力の部隊は辺境に残してきていた。


 辺境領へ着くと、ノラン侯が勇者様をはじめ、あたしたちのことも歓迎してくれた。ノラン侯は恰幅の良い、大柄で人の良さそうな人物であった。彼は何より、『陽光の泉ひだまり』の活躍を評価してくれていた。おかげでずいぶんと心が安らいだ。ユーキとのあの日々に価値を感じてくれる人が居るというだけで。


 ルシャはあまり機嫌がよくなかった。騎士団長であるエイリュースから従者兼護衛として宛てがわれた女騎士が、常に彼女について回っていたのだ。しかも事あるごとにその女騎士は、騎士団長とルシャを、おそらく偶然を装って引き合わせようとしていた。


 ルシャの周囲には少し危険を感じた。塞ぎ込んでばかりはいられない。



 ◇◇◇◇◇



 そんな風に気を引き締めようとしていた矢先、到着の翌日に催された歓迎の宴の最後、騎士団長は――明日、峡谷の竜を討つ――と宣言したのだ。


 こんな性急な討伐は『陽光の泉ひだまり』の頃には行ったことがなかった。竜を相手にするというのに準備期間も置かないなど正気ではない――とその場で抗議したけれど、騎士団長は一瞬、眉をしかめたあと、今日の宴の間に、部下に準備をさせているから問題ないと言った。


 それでもたったの一日。我々の竜退治の際のユーキの慎重さを上げて反論したものの、騎士団長は厄介そうにこちらを見て――平民などと比べるな――そう言った。恐ろしいことに貴族の間ではそんな言い分が戦略の根拠となりうる。



 ◇◇◇◇◇



 翌日、勇者様とともに騎士団の精鋭に護られながら峡谷へ踏み入った。


 ――装備が馴染まない。足場が悪い場所では余計に違和感を感じる。


 ルシャはあの女騎士と共に後方に居た。ルシャは何度も頼んでいた……が、結局、弓は持たせてもらえていなかった。後方から皆の癒しを祈るのが聖女の役割と言われて、安全な場所へ留まるよう騎士団長に指示されたのだ。勇者様も納得しているようだったので、それ以上は口を挟めないでいた。


 峡谷の秘密の洞窟を抜けると尾根にある祠へと出た。祠の外はただ石だけがゴロゴロしている他は、焼け落ちた木や切り株だけの何もない場所だった。尾根に出るとは聞いていたけれど、こんな開けた場所だとは思ってもみなかった。隠れる場所さえない。


 騎士たちは巻き上げ式の弩を持っていたが、あれで竜を射落とすつもりだろうか? 今のあたしたちにはルシャの弓もリーメの魔法も無い。翼を奪うことができるのだろうか……。



 ◇◇◇◇◇



 斥候も出さずに一行は尾根を進むと右手の峡谷側に岩棚が見えた。あそこが竜のねぐらだと言う。


 ……だが竜の姿は見えない。自分たちの討伐とあまりに違い過ぎて不安がよぎる。



 後ろだ!――周囲を警戒していた一人が叫んだ時には既に、大空を舞う竜が祠の裏側から接近し、目前まで迫っていた。


 数名の騎士は声に反応して弩の引き金を引き、太矢クォレルを竜に放ったが、竜はものともせず我々に向かって炎の吐息を吐きかけた。とっさにあたしは『砦』を発動させるも、後方のルシャまでは届かない!


 幸いにもルシャはあの女騎士が身を挺して庇ってくれていた。おかげでルシャはほぼ無傷だったが、女騎士を含め、数名が酷い火傷で動けないでいた。また幾人かは奇襲により混乱していた。見上げると、竜は小さく旋回し、再び襲い来る様子。


 ――今、あそこに突っ込まれたら不味い!


 あたしは騎士たちを掻き分け、ルシャの傍までなんとか走り寄る。こいつ討伐した竜あれよりも小型だが速い。ルシャは『癒しの祈り』を捧げようとしている。竜の襲撃よりも早く辿り着けたあたしは、再び『砦』を発動させ、負傷者を守った。


 竜は後ろ足の鍵爪を立てて負傷者の一団に突っ込もうとしたが、『砦』に阻まれた。しかし竜も身軽なもので、『砦』を足場に向きを変え、再び空中へと舞い上がった。巻き上げ式の弩は再装填に時間がかかる。用いるなら、待ち受けての一斉射が最善だろう。だがこれだけ混乱した状況で、しかも小回りの利くあの小さな竜相手ではそれも困難だ。一発二発は体に当たっても、厚い鱗に阻まれていた。


 再び竜は舞い戻り、今度は前の一団に突っ込んできた。勇者様は剣を構えるとその切っ先から稲妻を放った。竜はいくらか怯みはしたものの、そのまま突撃を続ける。そこをキリカが聖剣で切り裂いた。意外にも竜の鱗は容易に貫かれ、足から血しぶきをあげた。


 ――あの竜は弱い。だが我々では倒しきれない。


 竜は警戒したのか突撃はしなくなった。上空で旋回していた。


「あれは吐息が再び吐けるようになるのを待っている! 引き返した方がいい!」


 ユーキの戦い方を思い出し、あたしはそう叫んだ。騎士団長は渋っていたが、勇者様が駆け寄ってきて撤退した方がいいと告げる。我々は運よく、二度目の吐息が来る前にこの場から逃げ出すことができたのだった。



 ◇◇◇◇◇



 ルシャは意気消沈していた。彼女の『癒しの祈り』のおかげで死者は出なかったものの、目の前で皮膚が爛れ落ちるほどに酷く焼かれた騎士たちを見て衝撃を受けていた。あたしとキリカで慰めたが、その日、彼女は食事もとらずに部屋へ籠ってしまった。


 翌日、朝からルシャは少し様子がおかしかった。声を掛けても余所余所しく、戸惑うような表情を見せて自分から距離を取っていた。ただ、昨日ほど酷い顔をしていなかったのでそっとしておいた。


 またある日、ルシャと勇者様が喋っているところを見かけてしまった。彼女にいくらか笑顔が戻ったことを喜びたかったが、ルシャがユーキ以外の男性に作り笑い以外の明るい笑顔を向けたのを初めて見たような気がした。


 ルシャは少し前から勇者様とよく話をするようになっていた。体裁を保つため以外で男性と会話する彼女は珍しかった。



 ◇◇◇◇◇



 その日の夜、ルシャの部屋へ様子を見に行くと、早くから明かりを消して寝ているようだったが、扉の前に立つと中から声が聞こえた気がした。耳を澄ますとくぐもった声。泣いてる? いや違うこの声は――この声をあたしは知っている。


 ルシャは一人でのをとても嫌がっていた。じゃあ誰か居るの?


 ――駄目だよルシャ、誓ったじゃない。


 あたしは意を決し、扉をノックした。







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 今回は少なめの改稿になります。


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