12.これも一種のデートですか?(2)
「まさか、そんなことをなさっていたとは……」
一目につかないように移動した空き部屋で話を聞いたイグナーツは、アリーセが療養所の手伝いをしていたことを知ってあきれたようだ。壁により掛かって腕組みし、困ったような吐息を落とす。
「……申し訳ありません。勝手なことをしてしまって」
「無理やり手伝わされたのでしょう? あなたは悪くありません。むしろ、メイドの勘違いで危険な目に遭わせてしまい、なんとお詫びしたらいいのか……」
「そんな。ちょっとお手伝いをしただけですし、二日目からは自主的に参加していたので。それに危険なことなんて何も……」
アリーセが取りなそうとすると、イグナーツが厳しい目を向けてきた。
「甘いですね。治療の痛みで暴れる兵士だっているんです。本人に悪気はなくても、拳が当たったり、爪で引っかかれたり、掴みかかられたりすることはあるんですよ」
「それは……そうですね」
アリーセは思わず苦笑した。実際に、治療の痛みでもがくゲルトに掴みかかられて痣を作ってしまったからだ。だが、それがいけなかった。
「まさか、あの痣は……」
イグナーツが壁から背を離して近づいてきた。
険しい眼差しはアリーセの左肩に向けられているが、彼自身はお仕着せの肩ではなく生地の下にある肌を見ていそうだった。アリーセは反射的に着衣の上から痣のある場所をかばうような体勢になる。
(そういえば、肌を見られているんだったわ……)
おそらく湯殿で出会ったとき、イグナーツはアリーセの肩に浮かぶ濃い痣に気づいていたのだろう。肌を見られた、そして見てしまったことを生々しく思い出してしまい、急に恥ずかしさがぶり返してくる。
「お、お気になさらず! たいしたことはありませんでしたし」
「そうはまいりません。医務官には診せましたか? 薬は?」
「いえ……」
侍女のミアが持ち歩いているのは飲み薬ばかりなので、患部は濡らした布巾で冷やしただけだ。
「それはいけません。痕が残ったら大変です。すぐに医務官を連れてこさせ――」
「殿下っ!」
踵を返して部屋を出ていこうとするイグナーツを、強い声で呼び止める。訝しげに振り向く彼に、アリーセは首を横に振ってみせる。
「本当に、お気遣いは無用です。私のは自業自得ですから。ここでは薬も貴重でしょうし、私のような部外者よりも兵士や使用人のために使ってください」
「しかし」
「痣ならばだいぶ引きましたから。なんでしたらご覧になりますか?」
イグナーツは閉口した。アリーセの目論みどおりだった。こう言えば引き下がってくれると思っていたのだ。が。
「……そうですね。診せてください」
「えっ」
今度はアリーセが言葉を失う番だった。まさかそうくるとは思わなかった。
イグナーツは真剣だった。睨むような眼差しでこちらを見下ろしている。
「この目で確かめさせてください。本当に大丈夫そうでしたら引き下がります……どうしました? 診せてくださるんですよね?」
こう言えば引き下がるだろう、と考えているのは相手も同じらしい。
(自分から言い出したのだもの。引き下がらないわ)
アリーセは意を決して、お仕着せのエプロンを外した。近くのテーブルに置き、今度は背中に腕を回してボタンを外していく。四つほど外して首元をくつろげ、生地を下げて左肩をあらわにさせた。
イグナーツは近づいてくると、身を屈めてまじまじと患部を見つめた。
「……確かに、この前よりは内出血が引いてきていますね」
この前、の一言にアリーセはぴくりと反応してしまう。自分と違ってイグナーツには湯殿での記憶がしっかりあるようなのが余計に羞恥心を煽ってくる。
(うう、あんまりじっくり見ないでほしいわ……)
たかが肩とはいえ、単純に肌を見られるのは居心地が悪い。
見られていることを意識しないよう、視線を逸らして耐えていると、不意にねっとりとしたものが患部に塗りつけられた。
「ひゃあっ!?」
思わず目を向けると、イグナーツが軟膏用の丸い容器を取り出してアリーセの肩に粘性の薬を塗布していた。優しい手つきながら、固い指先の感触にぞくぞくする。
「殿下……!」
「安心してください。いつも携帯している軟膏です。軽い打撲による痣や腫れによく効きます。あなたは医務官の手を煩わせたくないのでしょう? なら、俺が手当てするぶんには問題ないはずです。違いますか?」
「……それは」
違わないので、何も反論できない。そうしている間にも、イグナーツはアリーセの肩に薬を優しく塗り込んでいく。
「ご令嬢の肌に痕を残すわけにはまいりません。責任を取れたらよかったのですが、人柱になる俺にはできないことなので」
イグナーツの言葉には死を受け入れた者の達観がある。それが悲しかった。
(この人にはやり残したことや心残りはないのかしら)
いや、ないわけがない。
彼に何か望みがあるのなら叶えたい――叶える力になりたいのに。
だが、それを軽々しく口にするには、イグナーツの背負っている運命は過酷すぎた。どのように切り出せば失礼にならないのか、彼を傷つけずにすむのか、アリーセには判断が難しい。
「殿下……」
言うべきことが見つからないまま呼びかけたとき、唐突に扉が開いた。驚いて振り向くと、ちょうど扉が半分ほど開いていて、兵士がよそ見をしながら入ってこようとしていた。
「わかったわかった、その件はとりあえずここで――」
廊下にいる誰かにそう言いながら扉をくぐろうとした兵士が、ふとこちらに気づいて硬直した。
目が合ってしまう。ややあって、
「……あ、お邪魔しました」
兵士は足を引っ込め、扉を閉めた。バタン、とむなしい音が室内に響く。
アリーセは何も言えなかった。背筋を冷や汗が伝うのを感じる。
お仕着せをはだけさせて肩を出したアリーセと、その肌に手を触れているイグナーツ。二人の姿が兵士の目にどう映ったか。
ものすごい気まずさを感じてイグナーツを見上げると、彼もまた顔を強張らせて動きを止めていた。しかしアリーセの視線で我に返ったらしい。
「待て……!」
と叫んで扉に突進していく。そして扉のノブに手をかけたときだった。
「ビッグニュースだ、野郎ども! 殿下に女ができたああーっ!!」
廊下の方から大音声が響いてきた。
イグナーツが瞬時にして固まる。
「なんだとおっ!?」
「マジかよ!?」
「マジだ、女といちゃついているところを見た!」
「相手は誰だ、俺の知ってるやつか!?」
「メイドか!? 飯炊き女か!? 洗濯女か!?」
「婚約者はどうすんだよ!? って、んなこたどうだっていいか!」
「色目を使ってきたメイドをことごとく追放してきた殿下に春が来ただと! こんなにめでてえことがあるか!」
うおおおおっと野太い歓声のようなものが響いてくる。祭りでもはじまったかのような盛り上がりだ。
アリーセは思わずあっけにとられたものの、すぐに嬉しさがこみ上げてきた頬をほころばせた。
兵士たちの声音や言動からは、人柱になる運命を受け入れて戦う王子を心から案じ、かつ幸せになってほしいと願っているのが伝わってくる。イグナーツが決して不幸なだけの王子ではなかったとわかって、心から安堵した。
なお、イグナーツは扉に手を伸ばしかけた格好で固まったままだ。
彼がどれほどショックを受けているか気持ちはわからないでもないが、これは彼がアリーセを引き下がらせるために行動した結果なので、自業自得だ。
(お気の毒ですけど、今回ばかりは反省なさってくださいませ)
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