第一章

1.誕生日に寝取られが発覚しました(1)

 事の発端は、時をさかのぼること一ヶ月半前。

 アリーセが十八歳の誕生日を迎え、成人した日のことだった。


 父から大事な話があるらしいと侍女から伝えられて、アリーセは午後のティータイムもそこそこに談話室へ向かった。

 嫌な予感がしなかったわけではない。なんといっても誕生日だ。

 父が後妻とその娘をヴェルマー家に迎え入れてから、毎年誕生日にはろくなことが起こらなかった。駄々をこねる妹に父から贈られたばかりの誕生日プレゼントを横取りされたのを皮切りに、下ろしたてのドレスに穴をあけられた年もあれば、大切にしていたぬいぐるみを暖炉にくべられた年もあった。

 今年は贈り物がなかっただけでまだ何も問題が起きていない。


(こんな平和な誕生日なんてあり得ないわ)


 アリーセは覚悟を決めて扉を開けた。

 室内には既に顔色の悪い父ヴェルマー公爵と、しおらしいそぶりをしつつも優越感が見え隠れする異母妹クラーラ、そして心底申し訳なさそうな婚約者ファビアン・エルケンス辺境伯子息の姿があった。問題の起こりそうな面子が勢揃いだ。


 そうして、軽い挨拶の後に告げられたのだ。

 クラーラがファビアンの子を妊娠した、と。

 重ねて言うが、ファビアンはアリーセの婚約者である。


(今年はそうきたのね……)


 あきれて物が言えないとはこのことだ。頭が痛くなってくる。


「ごめんなさい、お姉様。お姉様を傷つけるつもりはありませんでしたの」


 一つ年下の異母妹はアリーセの様子を見て、姉が傷ついたと判断したらしい。あるいは、前もって用意していたセリフをそのまま使用することにしたのかもしれない。

 要するに、これからはじまるのは茶番だ。


「ファビアン様がお姉様の大切な人だということはわかっていましたのに……でも、それでもっ、どうしてもこの恋心を抑えることができなくて……!」


 と上品なハンカチを口元に当て、いまにも泣き出しそうな表情を作る。

 アリーセの婚約者のファビアンが妹の肩をさりげなく支える。黒髪黒目の美青年の慣れた手つきよりも、アリーセはクラーラの着ているドレスが気になった。


(最新の流行を取り入れたドレス……私の誕生日に合わせて仕立てたわけね)


 最近アリーセがドレスを仕立てさせてもらえていないことを承知の上でやっているのだろう。いまアリーセが着ているドレスはクラーラの古着だ。

 クラーラに向けられる視線を勘違いしたのか、ファビアンがかばった。


「君は悪くないよ、クラーラ。君はさみしかっただけ。不安でたまらなくて、寄り添ってくれる人がほしかったんだろう。すべて、僕がいけなかったんだ」

「ファビアン様、そんなこと……っ」

「――お父様、説明してくださいますか?」


 さまざまな意味で二人を見ていられず、アリーセは半眼で父に状況説明を求めた。

 顔色の悪さから察するに、妹に甘い父でも分の悪さは理解しているようだ。


「ううむ。私も最近まで知らなかったのだが、クラーラとファビアン卿は密かに愛し合っていたらしいのだ。おまえが十八になって卿との婚礼の準備が進む前に打ち明けようと、念のため医者に診てもらったところ妊娠が発覚したらしい」

「それでこのタイミングというわけですか」


 誕生日に告げられたのも納得だ。内容にはまったく納得していないが。

 父と元不倫相手である後妻との間に生まれたクラーラは、髪こそ父譲りの赤髪だが、収まりの悪い髪質のアリーセと違ってサラサラした直毛。さらに後妻そっくりの大きなアーモンド型の水色の瞳、薔薇色の小さな唇と、可愛らしく人好きのする顔立ちをしている。


(選べるのなら、誰だって美しい妹の方をとるでしょうよ。それにしたって、婚約者の妹に手を出すなんて非常識にもほどがあるけど)


 ファビアンに対しては悪く思っていなかったどころか、優しい人柄にそこそこ好感を持っていただけに失望もしている。

 とはいえ未練はない。

 妹を妊娠させたと知った瞬間に、彼の好感度は奈落の底まで落ちた。

 スーッと息を抜いてから、アリーセは鋭すぎない視線をファビアンに向けた。


「ファビアン様が婚前交渉をよしとなさる方だとは意外でした」


 クラーラならばやりかねないと思っていたと遠回しに言ったのだが、誰も気づかなかった。

 ファビアンが自罰感情をはらんだような眼差しを横へ逃がした。


「……僕だって、いいと思っているわけではないよ。結果的にそうなってしまったというだけで。こんなこと言っても、信じてもらえないかもしれないけれど」

「そうですわね」


 アリーセは否定とも肯定とも受け取れる微妙な声音で返しつつも、婚約者の言葉は真実なのだろうと思っている。


(流されただけなんでしょう)


 ファビアンは穏やかな好青年でアリーセに対しても優しかったが、同時に優柔不断なところがあった。同情したところを押しの強いクラーラにつけ込まれたのだろう。


「それにしても無謀なことをなさいましたね。クラーラがイグナーツ殿下の婚約者だということはご存じでしょうに」


 アリーセ以外の三人が、気まずそうに顔を強張らせた。

 そう、クラーラもまた婚約者のいる身なのだ。

 しかも、相手はここヒルヴィス王国第二王子のイグナーツ。御年二十歳。


 現在十七歳のクラーラは結婚可能年齢である十八歳になり次第イグナーツに輿入れし、早めに彼の子を宿すことを強く望まれていた。

 というのも、王太子となる予定の第一王子とその妃たちが子宝に恵まれず、王家の直系の血筋が絶えるかもしれないという危機が迫っているからだ。

 神の呪いにより、ヒルヴィス王家に王子は二人までしか生まれない。

 なのに、その王子たちは国の存亡に関わる重大な使命を負っている。ゆえに王家は常に血筋を守るため躍起になっていた。


(クラーラも馬鹿な真似をしたわね。まあ、婚約者があと数年足らずで《奈落》を塞ぐための人柱になる予定だなんて、少し同情するけれど……)


《奈落》。それは北部に穿たれた巨大な魔湧きの亀裂だ。

 百年に一度、この亀裂を満たしている〝冥水〟の水位が急激に下がり、魔物が大量発生する。

 地獄まで届くかのようなこの巨大な亀裂は、古の時代に力を持ちすぎた魔法使いが神々の怒りを買ったとき、天から落ちた雷によって穿たれたと言われている。王家に男児が二人までしか生まれぬ呪いも、王子たちが負わされる重大な宿命も、この《奈落》が深く関係しているというのだ。

 もっとも文献はとうに失われており、真実を確かめるすべはない。


 わかっていることは二つ。

《奈落》から出でし魔物を倒せるのは〝聖剣〟だけだということ。

 聖剣は王家直系の男児二人のうち、どちらかに宿るということ。

 それだけだ。


 ちなみにもう一人の男児は〝王笏おうしゃく〟を宿し、護国の神竜を従えて血筋を守る役目を担っている。

 そして聖剣の王子は魔物と戦い続け、最後に《奈落》へ身を投じ、その魂をもって百年間だけ魔物の発生をくい止める人柱となる宿命を負っている。


(二分の一の確率でハズレを引いてしまうなんて、運のない御方ね。もくろみがはすれたお父様とクラーラはどうでもいいけれど)


 父がクラーラとイグナーツの婚約をごり押ししたときは、まだイグナーツは聖剣を宿していなかった。二分の一の確率で王妃の座を逃したわけだ。


(それにしたって、王子と婚約していながら他の男と姦通するなんて、王室侮辱罪に問われてもおかしくないわ。でもお父様がそこまで悲観していないってことは……)


 国王と何か取引をしたに違いない。

 嫌な予感がした。なんといっても、今日はアリーセの誕生日なのだ。


「これからどうなさるおつもりなのですか? いきなり処刑されることはないと思いたいですが、陛下はなんとおっしゃっているんです?」

「うむ。国王陛下はヴェルマー家と王家が長年良好な関係を築いてきた歴史を鑑みて、実に寛大な処分をくださった。おまえがクラーラとしてイグナーツ殿下に嫁ぎ、子をなすことができたなら、王室侮辱罪には問わないと仰ってくださった」


 なんの意外性もない条件だった。

 国王陛下としては近いうちに《奈落》を封じて果てる王子の結婚相手など、自分の派閥に属する高位の貴族令嬢なら誰でもいいのだろう。だが。


「イグナーツ殿下はこのことをご存じなのですか?」


 父は弱々しくかぶりを振った。


「陛下のご配慮もあって、この件は伏せられている。いまはまだ、だが」

「では、その取引は成立しない可能性がありますね。イグナーツ殿下は御身を犠牲にしてこの国を守り、戦っておられる御方。いわば救国の英雄です。殿下が否とおっしゃったら、陛下も強制はなさらないでしょう」


 ぐぅ、と父が苦しげな声でうめく。自分でも薄々そう思っていたのだろう。


「私はこのとおり髪色以外クラーラとは似ても似つかないですし、とりわけ美しくもありませんから身代わりは難しいでしょう。クラーラの美貌は有名ですから、輿入れしたところで『話が違う』と殿下の方からお断りされるかもしれません」

「そんなことありませんわ! お姉様もじゅうぶんおきれいですもの。殿下は使命感と自己犠牲精神にあふれた心優しい方だと評判ですし、きっと受け入れてくださると思いますわ!」


 言外に「自分ほどきれいではないけれど」という言葉がにじみ出ているが、クラーラは珍しく必死にアリーセを持ち上げてくる。

 絶対にイグナーツに嫁ぎたくない、というより魔物の巣窟そうくつである《奈落》に近づきたくないのだろう。輿入れは半年後の予定だったのだから、中絶すれば可能なのだが。


(さすがに私でもそんな血も涙もない提案はできないけれど。赤子に罪はないし)

 とはいえ、いままで散々嫌がらせをしてきた妹が、はじめてアリーセの前で弱みを見せたのだ。本人たちにその自覚はなさそうだが。

 アリーセは頬に手を当てて、ふう、と悩ましげにため息をついてみせた。


「ありがとう、クラーラ。でも、殿下があの話をお聞き及びになっていたら、そんな娘は娶れないとおっしゃるかもしれないわ」

「ああ、おまえが『人魚』だという噂のことか?」

 次に乗ってきたには父だった。なんだそんなことかとばかりに笑い飛ばす。


「安心しなさい。そんな噂、本気で信じている者などおるまいて。なんといっても伝説の人魚はそれはもう美しい娘だと……」

 父はなぜかアリーセの顔を見て、視線を逸らせた。コホンと一つ咳払い。


「と、とにかくだ。アリーセ、おまえがイグナーツ殿下の御子を宿せれば、国王陛下は今回の件を水に流すとおっしゃってくださった」

「ついでにエルケンス辺境伯家にも大きな貸しを作れるというわけですね」

「ンンッ! ま、まあ、そういうところがないわけでもないが……」


 こちらとファビアンとを交互に見ながら言葉を濁す父を眺め、アリーセは考えた。

 自分にも父にも他に選択肢はない。

 父に勘当されればアリーセは行き倒れるしかなく、ヴェルマー家は権力か財産か領地か、そのいくつかまたはすべてを失うだけだ。それはわかりきっている。


(……けれど、選択肢があるふりをすることは可能かしら?)


 どこの家でも娘は親の決めた結婚には逆らえない。そういうものだ。クラーラがそれを覆せたのは父から特別な愛情を受けているからに過ぎない。


(お母様、ごめんなさい。でも今日は誕生日なのだもの……こんな日くらい、やり返したっていいでしょう?)


 父の不倫を知っていた母は亡くなる直前、後妻になるであろう女性や異母妹に優しくして、愛されるよう努力しなさいと言っていた。だからアリーセはずっとその言いつけを守って努力してきたが、さすがにもう不可能だということは察していた。

 そして、おそらくこれが妹にやり返す最後のチャンスだ。繰り返すが、散々やられてきたのだ。この好機、逃す手はない。


「お父様のお気持ちはよくわかりました」

「おお、そうか!」

「内容を理解したというだけです――私はクラーラの身代わりに輿入れなどしたくありません。拒否いたします」

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