第4話 父の言葉(ちちのことば)

 御殿ごてんの玄関口では、評定を終えたのか、藩の重役らとその配下の者らが、がやがやと出て来るところであった。

 寿美すみされて来た弓削之介ゆげのすけは、玄関口からやや下がって白砂利の上で、軽く会釈をしつつ、彼らが去るのを待った。

 重役たちは、藩での重みで言えば、弓削之介などより、はるかに重い。

 その配下や家臣たちも、普段から、弓削之介と出遇ったところで、会釈えしゃくを返すのは良い方で、それすらしないものも珍しくはない。

 ところが、その時は、勘定かんじょう奉行が、

「これは、若君」

と、向こうから声を掛けて来た。

「お勤め、ご苦労様に存じます」

 弓削之介が一礼すると、

「弓削之介殿も、おすこやかで何より」

と、町奉行、山林奉行ともどもに会釈して去って行った。


(結局、公儀こうぎへの訴え出は、どう決まったのじゃ?)


 寿美に促されて、御殿に上がる。

「評定があった様じゃな?」

とさりげなく探ると、廊下の奥からドンドンと足音がして、まだ帰っていなかったのか、湊奉行の一行が歩いて来るのが見えた。

 まずい相手が来たと思いつつ、廊下の端に寄り、寿美と共に、頭を下げてやり過ごそうしたらば、

「これは、弓削之介殿!」

と、奉行の夷隅いすみが、弓削之介の前で立ち止まった。

「お疲れ様に存じます」

と、先ほどと同じにかわそうとすると、

「若君も、なかなかのお働きにて、重畳ちょうじょう、重畳」

と、ごつい声で言ったと思うと、高笑いしながら配下らと共に去って行った。

「評定‥‥、そうでございますね」

 寿美が答えた。

「若君も、お働きなされましたか?」

と、怪訝な声を出すと、人の顔を覗き込んで来る。

大学だいがくを読まれてらした事でしょうかねぇぇ?」

と、人を裸にいて洗っておいて、ぬけぬけと言う。


「若君・弓削之介様、お連れしてございます」

 廊下に座って、寿美が言い、弓削之介は、膝を進めて書院前の廊下にて頭を下げた。

「弓削之介、お呼びにより、参上つかまつりましてございます」

 型通りに挨拶をすると、

「頭を上げよ。近こうに寄れ!」

と、父である藩主・花坂民部大夫正賢はなさか みんぶのたいふ まさかたの声が響いた。

 顔を上げると、父が、正面の床の間の前に座って難しい顔をし、その脇には家老の大原主計おおはら かずえが控えていた。

 言われるままに、袴をさばき、十二畳の書院の奥へ畳2枚ほど進んで、改めて平伏する。

「ご壮健そうけんにて、何よりにございます、父上」

と言うと、

「ふん!」

と、父は、不機嫌そうに脇を見て、再び、弓削之介に顔を向けた。

「年々、歳を重ねるばかりじゃ。部屋住みなど飼ってはおれぬ」

 これは、どうやら、機嫌は相当に良くないらしい。

「まことに不肖者ふしょうものにて‥‥」

と、顔を伏せ、口の中でもごもごと言うと、

「分かっておるならば、そちにも働いてもらわねばならぬ!」

と、返って来た。

綱賢つなかた様が

 ここで、家老の大原が、亡き兄の名を告げて、言葉を継いだ。

「ご公儀にの明けを届け、受け入れられてございます。また、その跡目あとめに幸松丸様ご相続そうぞくの儀も了承したる旨にて、ご公儀より、此度こたびは、見舞金みまいきんなど頂戴ちょうだいいたしております」

 弓削之介は、「それは重畳」などと返す。

「しかしながら、内々の話なれども、幸松丸様あまりにご幼少にて、藩の世子せいしとしては認めがたし、後々には認めるにしても、当面は、つなぎの者を立てるべしとの意見がこれあり、との事」

 「来たかー!」と、弓削之介は、顔を伏せたままで奥歯を噛んだ。

 一番嫌なものが来た!

「そこでじゃ!」

 父が声を響かせた。

「弓削之介、そなた、鈴香をめとれ! 鈴香と夫婦めおととなり、幸松丸の養い親となれ!」

「は!?」

 義理の姉であり、兄の妻であった女性の名を挙げられて、さすがに弓削之介は顔を上げた。

「お待ちくだされ! 今、それがしに、義姉上あねうえを娶れと聞こえましたが?」

「いかにも、その様に申した!」

 白百合の様に美しかったその女性ひと相貌そうぼうが、あざやかにまぶたに浮かんだ。

「いや! それは、ご勘弁かんべん下され、父上!」

 胸の苦しさに慌てて言えば、

何故なにゆえじゃ!」

「なにゆえも何も!」

 ムチャクチャである。

「そなたは、既に十九、鈴香は二十三、やや歳は勝るが、似合いの年頃であろう!」

「いや!」

 義姉上様と幸松丸には、幸せでいてもらわねばならなかった。

「兄上と義姉上様がご婚約の整いましたる折、それがしは九歳の小童こわっぱ。以来、義姉上様の事はまことの姉上とも思い、お慕い申し上げて参りました。それを今更、娶れなどと!」

「お家の大事が分からぬか!」

 父が、厳しく詰問して来る。

「い、今の家老の話、飽くまでも内々の話と聞こえました。いわば、うわさのたぐい! その様な不確かな話を基に、その様な大事!」

「お部屋住へやずみのお身分では、幸松丸様のご後見は務まりませぬぞ!」

 大原までが責めて来る。

「それとこれとは!」

 泣きたい気持ちで、畳に頭をこすりつける。

「義姉上様以外であれば、いかようなる女性にょしょうも娶りまするが、その儀だけは、お受けできませぬ!」

「弓削之介、そのげん二言にごんはないか!?」

 父が厳しく叱責する。

「愛する夫を失いし女性を、一年で、その弟に娶せるなど、鬼神も憐れみ涙しましょう!」

 弓削之介が言うと、父と大原が、かすかに目を合わせた。

 口角が、上がった?

 ほのかに父が笑った様に見えた。

(なんだ?)

と思った時、

「そなたがその様に申すであろうと存念ぞんねんしていた。駒姫こまひめ殿、お入りなされい!」

 近習きんじゅうが、カラリとふすまを開いた。

 やられた! と思った。

 隣室には、いかにも若やいだ黄色い地に白や紅の花模様を散らした着物姿の小柄な姫が、平伏して控えていた。

「お待たせいたしましたな」

 父が、どこから出すのかという優しげな声で言う。

 しかし、その父の言葉に身を起こした姫の相貌に、弓削之介は、目を見張った。

 小柄な体に、清々しさをたたえた小麦色の顔が、弓削之介を見て、目を丸くした。

「我が花坂藩の分家、先島の花坂家の二の姫、駒姫殿じゃ。姫、こちらが当家の不肖の息子、弓削之介じゃ。よろしくお見知りおき下され」

 父が、いかにも嬉し気に二人を見合わせた。


~ 第5話に続く ~

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