第3話 白紫陽花(しろあじさい)

 花坂はなさかの城下に戻ると、案の定、大騒ぎであった。

 精吉しょうきち栗鹿毛くりかげを途中から先に帰して、弓削之介ゆげのすけは、一人、海岸沿いを歩いて来たが、港では、人足にんそく船大工ふなだいくらが、大声を上げながら駆け回っている。

 先島さきしまの船の往来おうらいは、3日に1度はあるのが通例つうれいであるから、この様な騒ぎになるのは、やはり、先ほどのそうじょうのためであろう。


 港ばかりではなかった。

 城下の町中でも、関係がなさそうな町人や、小間物屋こまものや女将おかみらまでが店先で、「大変だ、大変だ」と騒いでいる。

 何がそんなに大変なのか、と、路傍ろぼうでたむろしていた駕籠かごかきらに問えば、

「何だい、お武家ぶけさん、知らねえのかい! 海賊かいぞく大挙たいきょして攻めて来たんだよ!」

と言い出す始末である。

 うわさの尾ひれの大きさに失笑すれば、

「ちっ! しょうがねえなあ! 泰平たいへいの世に馴染なじんじまったお武家様はぁ!」

と、説教される有り様であった。

 あたかも戦国の世にでも戻った様な騒ぎの中を通り抜けて、弓削之介は、城へ向かった。


 城に戻ると、住まいとして与えられた離れ屋に上がり、書見台しょけんだい大学だいがくを広げて、しかめつらしく座っていたが、やがて、精吉が忍んで来た。

「城も、大騒ぎでございますな!」

 くりやからせしめて来た焼き干魚を昼餉ひるげに広げて言う。

「広間に、みなと奉行の夷隅いすみ様、町奉行様、山林さんりん奉行様、勘定かんじょう奉行様などお集まりで、評定ひょうじょうされておられます」

「で、わしの名は出ておったか?」

「それが、まったく!」

 弓削之介の問いに、精吉は答えた。

「まったく、城内では耳にしませんでしたな」

「そうかあ!」

 弓削之介は、書見台に大学を放って、畳の上に寝ころび、体を上下に伸ばした。

 ここが、次男坊のありがたさである。騒ぎがあれば忘れてもらえる。

「しかし、若君よ!」

 精吉が皮肉っぽく言う。

「それもいかがなものですかな? いざという時に頼られないというのは」

「やかましい事を申すな。して、その評定の様子はいかがなのじゃ?」

「詳しくは存じませぬが」

 精吉も、主君しゅくんの前だというのに、膝を崩して座る。

 もっとも、主君などといったところで、精吉は、ただの城の庭番で、弓削之介からろくを受けているのでも何でもない。

「"家臣かしん" てぇ事にしときましょうぜ?」

などと言ってなついて来るが、精吉にすれば、庭木にわきの手入れでもしている気分なのかも知れぬな、と、弓削之介は思っていた。

「鴨川領の事、今度ばかりはご公儀こうぎに訴え出んと、特に山林奉行様のお怒り激しく」

 山林奉行からは、すでに昨年から、しきりに訴えが出ていたと聞く。

 やれ、賊が追われて我が領内に入ったの、山林を荒らしたの、火の不始末から山火事を起こしたの。

「しかし、事をそこまで荒立てるのもと、勘定奉行様はご慎重しんちょうなと」

「難しいところじゃ」

 弓削之介も、天井を見つめながら思う。

「公儀より鴨川藩にお叱りが行き、鴨川の騒じょうが治まるならば良し、お取り潰しだ国替くにがえだなどとなってみよ、周囲の、我らのような小藩にも、どの様な火の粉が降りかかるやも知れぬ」

「さようでござりますな」

「まあ、そこは、江戸の兄上にうまくご周旋しゅうせんして頂き‥‥」

とつぶやいて、弓削之介はがばっと体を起こして、書見台に頭を乗せた。

「その兄上が亡くなられたのであった!」

「さようでございますな」

 精吉が繰り返す。

 弓削之介は、ちらっと精吉を見て、いまいましげに目を逸らした。

「しかし‥‥」

 賊の取り締まりも難しいものだ、と、弓削之介は思うのだ。

 厳しい取り締まりも、むろん、欠かせぬであろう。

 しかし、そもそもは、身を持ち崩してその様な賊徒の仲間に加わるたみの存在が問題なのであろう。彼らを正業せいぎょうけ暮らしをやすんじさせねば。

 聞くところでは、江戸や大坂などの都邑とゆうでは、身元も知らぬ者同士が、金で雇い雇われ、悪事に手を染めて、あたら若いみそらを「前科者」の烙印らくいんで汚す若衆もいるという。

 いたちごっこである。

(泰平の世に馴染みし民は、しょうがないのう!)

 先ほどの城下の駕籠かきに言ってやりたい所だが、そこはそれである。

 さて、民を正業に就かせるには‥‥?

「わしが考えたところで、何も浮かばぬ!」

 書見台にもたれたままで、頭を抱えた。


 障子しょうじにくっきりと人影が映り、離れ屋の前に腰をかがめた。

「もし? 若君様はおられまするか?」

 女の声が問うて来た。

「おお! わしはここにおるぞ!」

「朝からご在宅ざいたくにござりまするぞ」

 調子を合わせて言う精吉に、「余計な事を言うな」と、じろりとにらむ。

 入口の引き戸が開くと、御殿ごてんつきの侍女の寿美すみが、無遠慮ぶえんりょに中を覗いて来た。

「おや、いらっしゃいましたか?」

と、土間まで入って来る。

 透き通る様な艶肌つやはだに、黒髪はまげを高く結って朱塗りの櫛で留め、赤茶色の着物の裾には白く紫陽花あじさい模様、仕事がしやすいように袖を留めたたすきも朱色。すらりと土間に立ち、書見台をちらりと見て、立ったままで弓削之介に告げた。

「お殿様よりのお取次とりつぎにございます。奥書院おくしょいんにお越しになるようにと」

「おお、分かった。今参る」

と、立ち上がろうとすると、寿美が、

「こほん!」

と、咳払いした。

「お殿様からのお言付ことづけにございます。奥書院は、昨日よりきれぇいに調ととのえておる、それに相応ふさわしい格好かっこうにて来よ、との事にござります」

と言うと、草履ぞうりを脱いで、勝手知った様子で座敷に上がって、押入れを開け、下着などを引き出す。

 さらには、持って来た包みより、真新しい着物だの紺袴だのを取り出す。

「失礼!」

と言って、弓削之介を立たせて、くんくんと臭いをかぐと、

「海に入られましたね、若君?」

 そう言うや、人の腰帯を引きむしり、

「あ~れ~!」

と悲鳴をあげる間もなく、井戸端いどばた連行れんこうされた。

 頭から水をかけられ、ごしごしと体をこすられ、髷を結び直されて、半刻後には、弓削之介は、びしりと着替えをさせられて、

「さ! 参りましょう、若君!」

と、寿美に背中を叩かれた。


~ 第4話に続く ~

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