第2話 船働き(ふなばたらき)

 狼煙のろしが見えた気がした。


 この辺りは、花坂はなさか藩と、南隣の鴨川藩の境に近く、港に適した入江もなく、漁村もない。

 藩境の山にさえぎられて、わずかな浜辺があるばかりである。

 夏場になると、浜辺で遊ぶ者らのための茶屋が出るが、その季節には、まだ早かった。

 早朝の海には漁船の姿もなかったが、景色をさえぎる藩境の山が海に突き出た岬の陰から、船の孤影が見えて来た。

 船から狼煙が上がっている。


「何でござる?」

 精吉は、ぽかんとしている。


 船は、千石船せんごくぶねほどではないものの、漁船よりは作りの大きな楼船に見えた。

 よく見れば、その周囲に、幾艘かの小舟が絡みついて、何事か騒ぎを起こしている。

ぞくじゃな!」

 弓削之介は、精吉に告げた。

 南隣の鴨川藩では、先年にお家騒動の様な騒ぎがあって、余波よは家中かちゅうが収まらず、それに乗じて賊が乱行らんぎょうを働き、海の上でまでそれが横行しているという。

 それが、今年になってから、我が花坂領側の海にまで出没しゅつぼつしていると聞いていた。

「精吉、舟を出せ!」

「かしこまってそうろう!」

 精吉が駆け出す。

 弓削之介は、放り出していた弓を掴み上げた。そうして、栗鹿毛の鞍壺から矢を一つかみ握ると、海に走り、精吉が漕ぎ出した舟に飛び乗って、沖へ向かった。

 返し波をうまく捉えて、精吉は、手早く小舟を沖に走らす。

 次第に、人の声も聞こえて来た。

「あれは、先島さきしまの船ではないか?」

 向かい風の中で、弓削之介は叫んだ。

 旗印が、花坂藩の飛び地である南の島を治める分家のものである。

 その船に、周囲の小舟が進行を妨げ、縄を掛け、よじ登ろうとし、それを、船の者らが防ごうとしているのが見える。

武家ぶけの船を襲うとは、身の程も知らぬやからでござるな!」

 精吉もあきれて言う。

「食うに困れば、人間、何でもしよう!」

 聞くところでは、賊には、他所よそから流れて来たやくざ者らも混ざっているという。


 近づくにつれ、双方の叫びが騒がしく聞こえた。

 賊徒ぞくとは、いかにも貧民に毛が生えたごときの身なりである。

 届くか!? と弓削之介は、遠目に距離を測った。

 先ほどの、馬で疾駆しっくしたのとは訳が違う。舟の揺れはあれども、足場をしっかり整えれば!

 弓削之介は、弓に矢を番えて、精一杯に弓弦を引き、ひょうと放った。

 矢が、ひゅるるると音を立てて海上を飛び、賊らの舟の間をすり抜け、船端に手を掛けて乗り込もうとしていた賊の一人の腕を打った。

 鋭い悲鳴が上がり、派手な水しぶきを上げて、男が海に落ちた。

何事なにごと狼藉ろうぜきであるか!」

 弓削之介は、喉も裂けよとばかりに、大音声だいおんじょうを張り上げた。

「この海は、花坂藩の領内である。不埒ふらちいたさば、藩兵はんぺいがそなたらをなで斬りにしようぞ!」

 賊が、叫び返して来た。

「ワラが知ったか、ジョンゴロがァ!」

(???)

 鴨川の漁民の言葉なのか、武家の弓削之介にはまるで判別つかぬが、ののしられておるらしい事は分かった。

 体の大きな、いかにも大将らしき男が、舟の舳先へさきをこちらに向けて来た。

 えりをグイッとまくってそでを抜き、むくむくした上半身をむき出しにすると、

「ぷっくらしてやんべぇ!」

と喚きながら、長い縄の先に鎌をつけたものをブンブンと振り回す。

(愚かな!)

 弓削之介はあきれた。

 あの様なものを振り回したところで、飛距離で弓にかなう訳があるまいに。

 弓削之介は、二の矢を取り、弓に番えた。

 精吉も心得たもので、それ以上は相手に近づかず、舳先を右に曲げて、賊を遠巻きにする動きを取る。

 相手には、それが、こちらが逃げ腰になったと見えたらしく、あざける様に大口を開け、

「ヘタレたサンピンでんいぇぇ!」

と、ますます猛々たけだけしく喚きながらせまって来る。

(どうせ、稽古用の矢じゃ。当たったとて、どうともなるまい)

 弓削之介は、矢先を上げて、矢を放った。

 矢は、空にを描いて飛び、男の鉢金はちがねにスコーンと音を立てて当たり、男はもんどりをうって海に落ちた。

 乗ってた舟が平衡へいこうを失い、舳先を天に向けて海面に倒れ、水しぶきが空を舞う。

 楼船では、船端から突き落とされた賊徒が、ズボーンと大きな水柱を上げる。

 その時、海上に、ドォン、ドォン、と太鼓の音が鳴り渡った。

 そちらを見れば、北側より、花坂湊はなさかみなと奉行所ぶぎょうしょの船が、速度を上げてこちらに向かって来るのであった。

「そぉら! 湊奉行みなとぶぎょうじゃぞ! うぬら、いよいよ覚悟を致せ!」

 弓削之介は、わざと叫んだ。

 そうして、駄目押だめおしの3発目の矢を放つ。賊の舟のに当たれば、漕ぎ手が弾かれて海に転げ落ちる。

 賊徒らも、奉行所船に気づくと、慌てた様子で騒ぎ出し、楼船から縄をはずし、海に落ちた仲間を拾い上げると、鴨川領に向かって漕ぎ去って行った。


 騒ぎは静まった。


助太刀すけだち、痛み入りまする!」

 船より、高く細い声が響いた。

 見れば、船端に、赤糸縅あかいとおどしよろいをまとった、小柄こがら華奢きゃしゃ武者むしゃが、こちらに腰を曲げていた。

 船将せんしょうと見え、指揮棒を手にしている。

「先島のご家中かちゅうか?」

 弓削之介が問うと、

「いかにも。先島花坂家の船にござります」

 小柄な武者が答えて来た。

「潮の流れで鴨川領に入ってしまい、あの者らの目に留まったと見えまする。

 改めてお礼言上れいごんじょううかがいたしとぞんじまするゆえ、あなた様のお名前をうけたまわれればありがたく」

「名乗るほどの者ではない!」

 冗談ではない、と弓削之介は思った。

 刻々と近づく奉行所船の舳先に見えたのは、湊奉行の夷隅岩男いすみ いわおではあるまいか!

 こんな国はずれで遊んでいたのを見られたら、また、父上になんと告げ口されるやも知れぬ。

「もはや、花坂領の海ゆえ、やすんじてまいられよ!」

 船には告げて、

「おい! 急いで逃げよ!」

 精吉には小声で命じて、岸辺に向かって舟を漕がせた。


 だいぶ岸に戻ったところで振り返ると、先島の船と奉行所船が落ち合っているのが見えた。

 2艘は、そろってみなとへ向けて動き出して行く。

 相手から見えぬ様に小さく丸まっていた弓削之介は、やれやれと手足を伸ばした。

物騒ぶっそうですな!」

 精吉がこぼした。

「まったくだな」

 同感である。

 家中の乱れが民らの暮らしに影を落とすとは困ったものであるが、そのとばっちりが隣国にまで来るのは、迷惑千万めいわくせんばんな話である。

「しかし、先島では、あの様な若武者わかむしゃが船将を務めるのじゃな」

 弓削之介は、立ち上がると、遠ざかる船を眺めて感心した。

 先ほどの赤糸縅の小柄な船将、思えば、まだ前髪を下した元服げんぷく前の少年の様にも見えた。

 小麦色に日焼けした清々すがすがしい丸顔が、目に焼き付いている。

「何を言われまするか?」

 精吉が、調子っぱずれな声を上げた。

「あれは、女子おなご、それも娘子むすめごでありましょう!」

「なんと?」

 弓削之介は、驚いて精吉を見て、そうして、沖合の船を見返した。

 2艘の船は、すでに遠く、船上の人影の判別はつかない。

「なんとして、女子があの様な戦袴いくさばかまおどしなどを身につけておる?」

「存じませぬな! 船働きに動きやすいのでござろう?」

と言うと、精吉は、いかにも呆れたという声を上げた。

「あきれ申しましたな、若君よ! その様な眼力がんりきでは、平家の女房も射落とせませぬぞ!」

「おぬしこそ、見間違えではないのか?」

 弓削之介は、まどいながら、遠ざかる2艘の船影を見つめていた。


~ 第3話に続く ~

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