第1話 扇面の的(せんめんのまと)
朝日が、寄せる波頭を
明けの
浜辺に
波の上の小舟では、
「うおっ!」
と、
「ど、ど、ど、どおおっ!」
弓削之介は、慌てて栗鹿毛に声を掛けた。
同時に、弓を握ったままの両手で手綱を引けば、栗鹿毛は、軽く前足をあがいて止まり、迷惑そうにこちらを見る。
視線を無視して馬より飛び降り、
そうして、小舟に泳ぎ寄ると、旗竿のみを小舟に投げ込み、自身は海に浸かったままで小舟を押してこちらに泳いで来た。
弓削之介は、「ふう!」と息を吐いた。
しばらくは、
浜に上がると、
「無茶にござりまするな、
精吉が、口からぺっぺと潮を吐きながら、声を張り上げた。
しかし、ゴロゴロと音を立てて再び迫る波を見て、二人は、小舟を、急いで乾いた砂の上まで引いて行った。
弓削之介は、あはははと笑いながら、弓を放り出して、浜辺の草むらにひっくり返った。
精吉が、栗鹿毛を引いて歩いて来た。
「
そう言って、金棒を浜に突き刺して、栗鹿毛を綱でつなぐ。
そうして、今度は、着物を脱いで下帯一枚の姿になり、びしょ濡れの衣類を両手で絞っている。
「この精吉めでなければ、旗竿を持った平家の女房を射ておったでございましょうな、若君のお腕では!」
「ぬかせ!」
弓削之介も、寝ころんだままで声を返した。
「的が悪い!」
「なんと?」
「竿を持っておったが、精吉であったから外したのじゃ。
「何を言われるやら」
精吉が鼻で笑った。
「若君がお狙いなさるは、扇面の的ですかな? それとも、平家の女房ですかな?」
精吉がそう言うと、栗鹿毛が、ブヒヒヒンと笑うようないななきを上げた。
精吉は、離れて行き、別の草むらに着物を広げる。
そうして、離れて置いた荷物を取って戻って来ると、背負い袋から、竹皮の包みを取り出して、弓削之介の腹に載せた。
「お?」
大振りの握り飯である。にわかに空腹が覚えられた。
「
「気が利くのう!」
弓削之介は、身を起こして砂浜に座り直すと、竹皮の包みを開き、二つある握り飯の一つを掴んで、精吉に差し出した。
「
身を引く精吉に、
「良いから食え! 主君だ家臣だと申したところで、わしなど、部屋住みの次男坊だ。
「そうは参りませぬ」
「ようは言うわ!」
弓削之介も、鼻で笑って見せた。
「おぬし、先日、わしの隠し酒を飲んだであろう!」
そう言うと、精吉の顔が白く凝り固まった。
「ガラス
すると、精吉は慌てて、
「半分も飲んではおりませぬ! 茶碗に一杯!」
と言って、「あ!」と口を押えた。
「まったく!」
と言って、握り飯を精吉に押しつける。
「いつか、現場を押さえて
そう言って、自分の握り飯を食べ始めると、精吉も、並んで座って食い出した。
栗鹿毛も、綱の届く辺りで草を
海から風が上がって来て、たてがみを揺すると、顔を上げてひとしきり浜を眺め、ブルッと頭を揺らした。
「しかしながら、」
精吉が声を上げた。
日が昇るにつれて、その体からは湯気が上がっている。
「あれは、変わった酒でござりましたなぁ。甘いような酸っぱいような」
握り飯を食い終えて、指をなめている。
「そもそも、色がなんとも。それがし、最初は、若君が
「あれは、ブドウで造った酒だそうじゃ」
弓削之介も、握り飯の最後のひと口を、竹筒の茶と共に喉に通して、言葉を返した。
「ブドウでございまするか?」
精吉が驚いて聞き返すのに、茶の竹筒を「飲め」と投げて渡す。
「長崎に遊学していた小沢が、先日、戻って来たであろう? あやつが
「長崎土産にございますか?」
「
弓削之介は答えた。
「珍しいもので、楽しみに隠しておいたに、まったく!」
そう言って、海を眺める。
「あれは、
精吉が、まだ、つまらぬ冗談などを言っている。
風が、髪のびんをふるわせて行く。
大きな波が、のったりした間で寄せては返す。
「不思議なもんじゃのう!」
弓削之介は、
「この海の向こうには、ブドウで酒を造る国があるそうじゃ。じゃと言うに、わしは、こんな領国のはずれで、扇面の的を射ることも出来ぬ」
「若君も、馬に乗らずに、浜に立ち、足場をしっかり整えて射れば、船上の的にも当てられましょうぞ?」
精吉が、くっくと笑う。
そう言う話ではないのだがな、と、弓削之介は海を眺めていた。
「それに、若君にも、どの様な行く末が待っておられるかは分かりませぬぞ。お世継ぎであられた兄上様が昨年亡くなられた。となれば、若君に、どの様な幸運が回って来るやら」
「
弓削之介は、じろりと精吉を睨んだ。
「兄上には、
「しかし、幸松丸様は、まだ3歳であらせられますから――」
精吉が言うのを途中で聞き流して、弓削之介は立ち上がった。
「なんじゃ、あれは?」
海に、
~ 第2話に続く ~
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