玄徳二十八歳
幼き日の玄徳は、郷里の子どもたちと、この桑の大木の下で戯れていたそうな。そして「僕、天子となって、この車に乗るのだ」とか「僕ぁ必ずあの大きな桑の木みたいな羽根の蓋つきの車に乗るんだ」と言っていたそうです。
ああ、まことに驚くべき言葉ではございませんか。
幼き玄徳、堂々と「僕、天子になるんだ」と豪語していたのです。
劉元起叔父さん、その言葉を不思議に思い「この子は並の人ではない!」と評したのであります。さらに玄徳の家が貧しいのを思い遣って常に援助していたというのは、まことに慈悲深い行いであったと申せましょう。
しかしこの当時、このような大胆不敵な発言をすれば、たとえ子どもでも反逆者と目をつけられても、おかしくはなかったのであります。通常であれば、そのような発言は、すぐさま取り締まりの対象となり、重大な罪に問われたことでしょう。
実際に正史には、子敬叔父さんに「おまっ…そのような虚言を言うでない。我が一族を滅ぼす気か」と注意されております。
幸いにこの言葉を耳にしたのは近い人物だけだったようです。いやー助かったか玄徳。
そして十五歳になると母から遊学に出され、鄭玄や盧植といった名士に師事したというです。
家が貧しかったにもかかわらず母親が敢えて送り出したとは、その眼力と期待の大きさに感嘆せずにはいられません。
そして公孫瓚などとも交友を深めたというのは、まさに器量の大きさを物語るものでありましょう。
さて話は劉焉が兵を募る告示を出した時にもどります。
玄徳すでに二十八歳。はー、なんとも時の経つのは早いものであります。
なお正史ですと二十三歳となっております。お耳汚しに。
その告示を見た玄徳、思わず長~い嘆息を漏らしたという。一体どのような想いがあったのでしょうか。
ああ、その時の玄徳の心中を思うと、まことに胸が痛むものがございます。
あの告示を目にした時、玄徳がなぜ嘆息を漏らしたのか。その想いを、僭越ながら私、ここに推し量ってみましょう。
おそらく自らの力を国のために尽くすべき時がきたことを深く自覚していていながら、自らの出自や境遇を思えば、まだ世に出る機会に恵まれていないことに無念の念が募ったのかもしれません。
あの逸物の風体、そして皇室の血を引く身でありながら、いまだ平民の身分にあるこの現状に歯がゆさをも感じたのではないでしょうか。
彼の心中には、きっと天下を取るという大志が燃えさかっていたはずです。そりゃそうでしょう、幼き日の玄徳は「僕、天子になる」って言っていたくらいですからね。
しかし、そのチャンスが巡ってこないことに、焦りと憤りすら湧き上がっていたのかもしれません。
ああ、まさに英雄の資質を秘めながらも、いまだ世に出る機会に恵まれぬ玄徳、その心中を思うと同情の念に堪えられぬのであります。
すると突然、後ろから「大の男が国家のために尽力もせず、なぜ長々とため息をつくのか?」と大きな声が。
ああ、まことに鋭い指摘ではありませんか!玄徳の内に秘めたる大志を見抜いた言葉と申せましょう!
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