十常侍

さあ、このような重大な事態に際し、帝は群臣に問題の根源を問うのは至極当然のこと。


それに対して議郎の蔡邕という人、上疏を提出し・・・えー上疏とは、臣下が君主に対して提出する書面のことですね、臣下が自らの考えや提言をお上に訴える手段となりますが、これを提出したのです。

その内容というのが「鶏が雌雄を取り替えるという異変は、まさに宦官の干政によるものだ」と、ド直球に指摘したそうです。


せっかくですので、その他の内容もご紹介しておきましょう。

南宮の平城門内部にある建物や武器庫、そして外側の東垣の建物が次々と倒壊してしまったのです。


この平城門というのは、まさに正陽の門と呼ばれる非常に尊ばれた場所でした。

天子の儀式に使われる大切な場所なのですからね。そして、武器庫は、禁兵、つまり特別な武器が保管されていた場所。

また、東垣は倉庫の外壁でもあったのですから、まさに重要な場所だったのです。


これらの建物が次々と壊れてしまったというのは、まさに異変の前兆だったのかもしれません。

蔡邕は、この事態を受けて「易経の言葉に小人が位にあると、上下がみな道を乱す。門が崩れる」そして「潜潭巴の言葉にも宮殿の瓦が自然に落ちると、諸侯が主君を強く侮辱する」と引用します。

つまり、これらの異変は、まさに小人たちが権力を乱用し、法を無視した結果だったのだと蔡邕は鋭く指摘したわけですね。


帝はその奏上を見て深く溜息をつくと、身の回りの世話をする役である更衣を呼んだのです。ひょっとするとお手洗いに立ったのかもしれません。


しか~し!!これはドラマでよくあるシーン。物陰に潜む人影、このときは宦官の曹節でありますが、後ろからこれを盗み読みして「こりゃマズい」とばかりに左右の仲間にですね「おいおい蔡邕がこんなこと書いてきたぞ。何とか黙らせないと」と伝えるわけです。自分たちの保身のため蔡邕を他の罪に陥れて、さっさと田舎に放逐してしまったとは、まことに憐れな話です。


さあ口うるさい蔡邕もいなくなり、いよいよ宦官が取り仕切るようになります。特に張讓、趙忠、封諝、段珪、曹節、候覧、蹇碩、程曠、夏惲、郭勝の十人が結託し常に帝に侍奉するという意味の「十常侍」と呼ばれるようになったのですね。


帝は特に張讓を重用して「阿父」と呼んで慕っていたそうですが、その結果、朝政は日々に悪化し、天下人心が乱れ、盗賊まで蜂起するようになったとのことです。


ああ、まさに中涓の乱れが、再び顕在化したというわけであります。

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