(2)【完】――「今まで通り、『ろむ』って呼んでよ」
アサカゲさんは祠の前にしゃがんだかと思うと、その戸を開け、中から一枚の紙を取り出した。四つ折りになっていて、なにが書かれているのかまではわからない。
「祠が空っぽなのは如何なもんかと思って、仮でこれを入れてたんだ」
「……見ても良い?」
「ああ。ほらよ」
ぶっきらぼうに頷いたアサカゲさんから、仮の御神体としていた紙を受け取り、広げる。
そこには、小学生が描いたであろう、女の子と背の高い着物姿の人の絵が描かれていた。
「アサカゲさん、これって……!」
ばっと顔を上げると、アサカゲさんは照れているのか気恥ずかしいのか、ひどく居心地の悪そうに苦い表情を浮かべていた。
「前に、オレの描いた絵の話をしただろ? 爺さんに訊いたら、マジで全部を蔵に保管しててよ。嘘を描くなって言われたやつはどれだったかって思い出しながら探してたら、それが出てきたんだ。一応、お前の姿が描かれてるやつだし、仮の御神体には丁度良いかと思ったんだが、この山か植物が御神体っていうんなら、これは必要ねえよな。ほら、返せ」
いやに早口でまくし立てたかと思うと、アサカゲさんは素早く手を伸ばしてきた。
「やだ!」
俺は身を翻してそれを躱し、断固反対の姿勢をとる。
「これも御神体にする!」
「ガキの落書きを神格化させんな。返せ」
「やだやだやだー!」
俺の意識に共鳴し、風が強く吹き始める。雑木林はざわざわと揺れ、枯葉が舞い上がる。
「だって俺、今までこんな風にかたちに遺してもらったことがないんだよ。ねえアサカゲさん、お願い。これ、俺に頂戴?」
土地を守ることは当たり前。
文献に記されていないくらい、ありふれた土地神。
それくらい人が俺を身近に感じてくれているものだと思っていたけれど、違ったんだ。結局、なにかかたちにして遺していかないと、神様という存在は廃れていってしまう。
だから。
この絵や祠は、人間が俺という存在の存続を願ってくれている証なのだ。
そんなの、俺から手放せるわけがない。
「……はあ。ったく、神様が駄々こねるんじゃねえよ」
深くため息をついてから、アサカゲさんは降参とばかりに両手を上げる。
「わかった。その落書きはお前にやる。好きにしろ」
「やった!」
嬉しくて、もう一度絵を眺める。それだけで、あの逢魔ヶ刻の光景が蘇ってくるようだった。
「そういえばさ」
ふと思い出したように、アサカゲさんは言う。
「お前のこと、これからなんて呼べば良いんだ?」
「ううん、そうだなあ」
絵から視線を外し、空を見上げて考える。
大昔は『シロ様』とか『マシロ様』とか、人間からはそんな風に呼ばれていた。自分が何者であるかを思い出した今、『マシロムグラ』という名前は、二度と失ってはならない命綱のひとつである。
だけど。
視線をアサカゲさんへと戻し、俺は言う。
「今まで通り、『ろむ』って呼んでよ。ほら、『マシロムグラ』の中に『ろむ』って含まれてるし。あながち間違いではないでしょ」
なにより俺自身、この数ヶ月間で『ろむ』と呼ばれることにすっかり慣れてしまった。
数百年間まともに呼ばれなかった名前より、ここの生徒に、そしてアサカゲさんに、親しみを込めて『ろむ』と呼んでもらえたほうが、ずっと心地良い。
「わかった。じゃあ、ろむ。ここでオレからひとつ提案なんだけど」
アサカゲさんは言う。
「お前、オレのことも名前で呼べよ」
「名前でってことは……昔みたいに『ツキヒちゃん』って呼んだほうが良いってこと?」
「ちゃんづけはやめろ、呼び捨てで良い。……オレたち、相棒だろ?」
そう言って、彼女は不敵に笑った。
全ての記憶と、力を僅かに取り戻し、土地神として在る俺を、彼女は今も相棒と認識してくれている。
それが、思いの外心をくすぐった。
「そうだね、ツキヒ」
その言葉に、アサカゲさん――いや、ツキヒは、嬉しそうに頷いて見せた。
そうして、これからもよろしく、と堅い握手をした、そのとき。
校内に幽霊が迷い込んできた気配がしたのである。
「ろむ、今、幽霊が――」
「うん、一人入ってきたね。第一特別教室棟の音楽室付近にいる。だけど、悪霊化の兆しはなさそうだよ」
「そういうの、わかるようになったのか?」
驚きのあまり目を見開くツキヒに、俺は、この一週間寝てただけじゃないんだよ、と答える。
「学校全体に俺の力を行き渡らせてたんだ。先生とツキヒの護符は、良い目印になったよ。おかげで、今は校内の異常なら、すぐに気づけるようになったんだ」
「そいつはすげえな」
「俺のことを信じてくれる人が居るからこそだよ」
救いを求める人間の心から、俺は生まれた。
最初は、感謝されていただけが。
次第に、求める救いや願いが増えていき。
徐々に、人間社会から要らないものとされていった。
人間からどんな扱いを受けようと、俺は人間のことが好きで、きっとこれからも、大抵のことは許してしまうのだろう。
だけど、俺はそれで良いと思う。
この半年ほどで、俺の人間好きは加速した。それは、この学校がここに建っていなければ起き得なかった変化だ。
ときの流れと共に、人は変わる。
それは、神様であっても同じだ。
そういった変化ごと、俺は大切に守っていきたい。
「とりあえず、その幽霊に声を掛けに行くか。道案内、頼むぜ、ろむ」
「任せてよ、ツキヒ」
僅かに秋の気配を含んだ風が、ふわりと通り抜ける。
外の木々は木の葉を揺らし、校内の廊下では、掲示板に貼られた紙がはためいていた。
夕日の差す放課後、あちこちから楽しげな生徒の声が聞こえてくる。
それがあまりに嬉しくて、楽しくて――俺の口からは、笑い声が漏れた。
終
陽炎、稲妻、月の影 四十九院紙縞 @49in44ma
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