最終話 今日も明日も明後日も

(1)――「……久しぶり」

「よお、一週間ぶりじゃねえか」

 目を開けて一番に視界に飛び込んできたのは、苛立ちを顕にしている女子生徒の姿だった。

「ええと……」

 あまりの怒気に怯み、俺は言い淀む。

 私立境山高等学校、第二教室棟一階の廊下にて。

 目の前に立つ彼女は腰に手を当て、少しだけ見上げるようにして俺を睨みつけていた。

 急な展開に驚きこそあれ、それまで意識を失っていたのが嘘のように、はっきりと冴え渡っている。

 だから俺は、旧知の相棒に挨拶をする。

「……久しぶり」

 小さく右手を上げて、俺は彼女にそう挨拶した。

 時間の感覚が、ひどく曖昧になっている。感覚的には、数日ほど眠っていた程度の認識なのだが、どうやら実際とはズレが生じているらしい。聞き間違いでなければ、さっき、一週間ぶりと言っていたか。

 神力をほとんど使い果たし、へろへろな状態で言葉足らずに姿を消し、あまつさえ一週間も音沙汰なしにしていただなんて。心の内で、じわじわと罪悪感が育っていく。

「オレの名前、わかるか?」

 彼女は、この一週間でなにを考え、どんなことを思っていたのか、そう尋ねた表情は、怒りと不安が綯い交ぜになっていた。

「もちろん」

 俺はそれに、迷いなく答える。

「――アサカゲさん。俺の相棒の、アサカゲ、ツキヒさん」

 その答えに、若干安堵の表情を浮かべながらも、アサカゲさんは質問を続ける。

「自分のこと、覚えてるか?」

「生前の記憶がなくて成仏できない地縛霊――と思い込んでいた、ここの土地神」

「お前の名前は?」

「マシロムグラ」

 そう言って、俺は自分でもわかるくらい、くしゃりと笑う。

「全部、覚えてるよ」

「……そっか」

 アサカゲさんはそれだけ言うと、少しだけ眉根を下げて、微笑んで見せた。

 その顔に夕日が差し込んできて、そこで俺はようやく、今が放課後であることを知る。近くの時計に目を遣ると、針は午後五時半を指していた。校内のあらゆる場所から、部活動に勤しむ生徒の声が響いてくる。この間までの不穏な空気なんてなかったかのように、いつも通りの日常が営まれていた。

「調子のほうはどうなんだ?」

 アサカゲさんにそう問われ、なんとなく両の手のひらを見つめながら、開いて閉じてを繰り返してみる。

「前と比べたら、かなり力は戻った感じはするね。人間で言うと、ぐっすり寝て全回復したってくらい、気分もすっきりしてる」

「一週間は寝過ぎだろ」

「いやあ、数十年ぶりに全力で動いたら、予想以上に疲れちゃって。でも、たっぷり英気は養えたから、もう平気だよ」

「それじゃあ、どうしてその姿なんだ?」

 その姿、と言うのは、生徒に紛れていても不自然にならない短髪で、適度に着崩した学生服姿のことを指しているのだろう。これまでと唯一異なる点と言えば、地に足をつけていることくらいだ。

「こっちのほうが見慣れてるかなって思って。あ、でも、こっちの姿にもなれるよ」

 言って俺は指を鳴らし、長髪で着物の姿に切り替える。

 そうしてちらりと視界に髪の毛が入って初めて、髪の色が黒に近い灰色――にび色やつるばみ色といったほうがしっくりくるような色味――になっていることに気づいたのだった。

「あれ? 髪の色、黒くなくなってる……?」

 かなり力を取り戻したと言っても、その大半は先日使い果たしてしまっている。

 実際、〈よくないもの〉の塊と対峙したとき、髪が黒くなっていったのをこの目で見ている。今現在、俺がこれまでの記憶を全て有し、以前の姿にもなれるようになったのは、あのときの僅かばかりのお釣りだと思っているわけで。髪の色が白に近づくほどの余力はなかったはずだ。

「効果覿面だったみたいだな」

「え?」

 独り言のようなアサカゲさんの言葉に、思わず俺は聞き返した。

 すると、アサカゲさんは悪巧みが成功した子どものような表情を浮かべ、

「向こうのほう、見てみろよ」

とだけ言った。

「うん? 向こうって、雑木林でしょ。一体、なに、が……」

 言われた方向に視線を向け、そして、俺は言葉を失った。

 第二教室棟の側には、手つかずの雑木林がある。この教室棟の廊下からなら大抵は目に入る、人間からしたら面白味のないものだろう。

 そんな雑木林の手前のほう、ほどよく雨風を凌げそうな場所に。

 真新しい、小さな祠があった。

 それが、あまりに昔のものと似通っていて。

 俺は一瞬、自分に都合の良い幻覚でも見ているのではないかと、目を疑った。

 けれど、何度目を瞬いても、どれだけ目を擦っても、それは変わらずそこに在る。

 幻じゃない。

 実在しているんだ。

「〈よくないもの〉を封印した次の日、土曜で学校は休みだってのに、あの三人が学校に来ててよ。ろむが姿を消した話をしたら、『ろむ君、神様なんだし、祠とか作れば戻ってくるくない?』とか言い出したかと思えば、萩森先生を巻き込んで、あっという間に学校側の許可を取って、あそこに作ったんだよ。まあ、素人だけで作るのは危なっかしいから、オレも手伝ったんだけど。どうだよ、ろむ、感想は? ……ろむ?」

 アサカゲさんの声は、きちんと聞こえていた。

 感想を求められているのもわかっている。

 けれど、涙が次から次に溢れてきて、なにも言えやしないのだ。

「……そんだけ喜んでもらえたんなら、作った甲斐があったってもんだな」

 アサカゲさんはそう言って、俺の背を優しく叩いた。

 それがあまりに温かくて、涙は余計に勢いを増す。

「ありがとう……本当に嬉しい……ありがとう……」

「ずびずびの鼻声で言うなよ、威厳ゼロじゃねえか」

「だ、だってえ……祠……俺の祠……」

「そうだな、すげえ嬉しいんだもんな。あいつらにも、後で礼を言っておけよ」

「うん……言う……絶対言う……」

 頷いて、涙を拭う。

 アサカゲさんは俺が落ち着くまでの間、黙って背中を擦ってくれた。

 そうして頃合いを見て、確認しておきてえんだけど、とアサカゲさんは話を切り出す。

「どんだけ文献を漁っても、お前に関する記述が見つからなかったんだけど、土地神『マシロムグラ』って、なにが御神体になってるんだ?」

「んー、言語化が難しいんだけど、そうだなあ」

 感覚で捉えていることに見合う言葉を選びながら、俺は言う。

「俺はこの山を中心に土地を守ってる神様だから、御神体はこの山全体とも言える。でもこの『マシロムグラ』って名前は、大昔の人間が俺の姿を見たとき、山全体に自生しているムグラって植物と髪の色が同じだからってところから連想して名づけたものなんだよね。そういう意味では、この山の植物が御神体とも言えるんだよ」

「ああ、だからあのとき、蔓みたいなのを自在に操れていたのか」

「そういうこと。でも、どうして御神体の話を?」

「……怒るなよ?」

 よくわからない前置きをしたかと思うと、アサカゲさんは窓を開け、慣れた動作でひょいと外に出た。ついて来いと手招きされ、俺は素直に後に続いて外に出る。

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