(12)――「ざけんな、これから死ぬみてえなこと、言うんじゃねえよ……!」

 とても幸福で温和な時間に浸っていたいところだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。

「さてと。時間もあんまりないし、後片づけしよっか」

「は? 時間?」

 疑問符を浮かべたアサカゲさんに、敢えて回答はせず、俺はついっと人差し指で円を描いた。

 三年五組の教室で発生した風は、そこに居る三人を優しく抱え上げると、グラウンドへと運び出す。始めこそ悲鳴を上げられたが、害がないとわかるや否や、アトラクションに乗っているように楽しんでくれた。同時に、三人の鞄も、風を使ってこちらに移動させる。

 そうして、ふわりと降り立った三人に向かって、俺は言う。

「怪我はない? 気分はどうかな?」

 三人は一瞬だけ、この人いやに馴れ馴れしいな、と言わんばかりに怪訝そうな顔をしていたが、声で俺とわかってくれると、一拍置いたあと、揃って驚嘆の声を上げた。

「わあ、ろむ君? ろむ君だ! マジで神様なんじゃん!」

「見た目変わりまくりなのに、ほくろの位置はおんなじだあ」

「教室から見てましたよ、めちゃくちゃ格好良かったです、ろむさん!」

 一気に距離を詰めて、まじまじと俺を観察し始めた三人を制しつつ、こちらも三人に怪我や澱みの影響を受けていないかを確認する。うん、大丈夫そうだ。

「ここまで力を取り戻せたのは、みんなのおかげだよ。本当にありがとうね」

 おかげで俺は今日、この土地と人間を守ることができた。

 ここ数十年の体たらくを思えば、今日は上手く立ち回れたほうだろう。これまでで一番心が晴れやかであると言っても、過言ではない。

「それじゃあ、三人は帰ろうか」

 俺は再び風を操り、それぞれに鞄を持たせた。

「えー、お疲れさま会やろうよー」

 がしかし、タカハシさんから早速抗議の声が上がった。

 どう説得したものかと考えあぐねていた俺の前に、アサカゲさんがすっと割って入ってきて、言う。

「これから後片づけがあるんだ、部外者はさっさと帰れって」

「それくらい、普通に待つよ? なんなら手伝うよ?」

「……いや、今日のところはマジで帰れ。もうすぐ先生がこっち来るぞ。大目玉を喰らうことになっても良いのかよ」

「それは嫌だけど、でもさあ」

 この機を逃すまいとするタカハシさんに、アサカゲさんはぎこちなく視線を逸らし、いつも以上にぶっきらぼうな口調で言う。

「……誘ってくれたら、ちゃんと行くから。だから、今日はもう帰れよ」

「――っ! うん!」

 タカハシさんは満面の笑みを浮かべ、アサカゲさんに飛びつこうとし、それを見事に拒否され、隣のサトウさんに抱きついた。

 春先のことを思えば、随分と変化があったものだ。今のアサカゲさんには、ちゃんと人間の友達が居て、アサカゲさんのことを理解してくれている。俺が居なくとも、きっと大丈夫だ。

「ほらほら、もう帰りな。続きはまた来週ね。ばいばい」

 風でやんわり背を押すと、三人は後ろ髪を引かれる素振りを見せながらも、校門をくぐり帰って行った。

 またね。

 ばいばい。

 また来週。

 口々にそんな言葉を言い残し、手を振り、後ろ姿が遠くなっていく。

「あ、やば」

 三人の姿が見えなくなると、いよいよ限界が近いのか、俺は受け身も取れず仰向けに倒れてしまった。

 残された時間は、どうやら思っていたよりも短いらしい。

「なっ、ろむ、お前、どうして、身体が透けて――」

「聞いて、アサカゲさん」

 アサカゲさんは、突然倒れた俺に駆け寄り、即座に状態を確認すると、護符を取り出して応急処置にかかろうとしてくれた。けれど、その必要はない。

 俺はアサカゲさんに制止をかけて、今必要な言葉を吐き出すことに集中する。

「俺のほうでも校内の浄化はしたし、加護も強めておいたから、しばらく学校は、これまで以上に安全になるはずだよ。それでも迷子の霊は入ってくるだろうから、道案内はよろしくね」

「おい、なに言ってんだ」

「あ、授業にはちゃんと出るんだよ。クラスのみんなとも仲良くね。君が優しい子だっていうのは、みんなもわかってくれてるから、怖がらなくても大丈夫だよ」

「ざけんな、これから死ぬみてえなこと、言うんじゃねえよ……!」

 そう言って、アサカゲさんは力任せに俺の両肩を掴んだ。

 その手が、声が、震えていて。

 怖がらせてしまったか、と反省し、俺は宥めるように彼女の頭を撫でる。

「怖くない、怖くない。大丈夫。俺は死なないし、成仏もしない。土地神だからね、ずっとここに居るよ。ただ、ちょっと……眠る、だけ……」

 強烈な眠気に、一瞬だけ意識を持っていかれそうになった。

 あと一言だけ、伝えたいのに。

 いよいよもって限界が近いのか、アサカゲさんでさえ、俺の肩を掴んでいた手は空を切り、地面に手をついていた。彼女の頭を撫でていた俺の手も、もうほとんど透けて、見えなくなっている。だからもう、その目から零れ落ちる涙を拭ってあげることもできない。

 ごめんね。

 ありがとう。

 それから。

「ばいばい。またね」

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