第三話

 全員が一斉に立ち上がり、その男を見た。

 楽しかった食事の時間が一瞬で崩れ去る。

「退部届とはどういうつもりだ、明音ちゃん。今日も練習あるんだ、行くよ」

 明音の顔は少し強張っていた。

 なぜならそこに立っていたのは、明音の歌を褒めちぎってた例の脚本の先輩だからだ。


 明音は、下を向いた。

「……嫌よ」

 一見堂々としているその声は、少し力んでいるように聞こえる。

 千寿はその様子を見て何かの覚悟を決めたのか、一歩だけ前に出た。


「君は誰かな? ここに呼ばれて来たわけじゃないだろう?」

 そして彼は、その男を睨んだ。

 男は千寿の方を向かないでニヤッて笑った。

「いや? 俺はこんな潰れかけの劇場になんか興味はない。自分のショーに明音ちゃんが必要だから、連れ戻しに来た。それだけだ」

 その言葉で、ちとせは顔を強張らせた。

 まるで何かに怯えるみたいに……。

 それを一瞬ジロリと見たあと、男は夏生の方を向いて一歩近づいた。


「久しぶりだな? 水神夏生。同じクラスになることはなかったから三年ぶりか?」

 男の目は夏生を睨んでいたが、口元は笑っていた。

 夏生は、自分の頭をクシャクシャと触った。

「岩永……まだ、頭に角みたいな寝癖生やしてたんだな?」

 どうやら男の名前は岩永というらしい。

「うっせー! これは、俺のオシャレヘアだ。お前にこの良さはわからないだろう!?」

「いや一生わかりたくねー」

 岩永は、ハッと息を吐いた。


「まあいいや。今日は明音ちゃんを連れ戻しに来たんだ。彼女はもらっていくよ?」

 夏生は、岩永の目をじっと見た。

 そして、明音の方を振り返った。


「おい、磯子明音! 好きな方を選んでいいぞ! 岩永とかいう自己中脚本家について行ってショーをするか、それとも俺達と一緒にこの潰れそうな劇場が笑顔であふれる未来を作るか! 正直俺はどっちも辛いと思うけどな」

 明音の強張っていた顔は緩んだ。

 そして、彼女は鼻で笑った。


「この二つを選ばせるなんてなんの冗談? 私は今自由なの。私が好きな方をやるから」

 そう言って、夏生のところまで歩いて行った。

 ちとせが満面の笑顔を顔に浮かべた。

「というわけで、お前の用事は終わったから、とっとと帰ってくれ」

 岩永は信じられないという顔をしていたが、すぐに我に返った。


「チャンスを逃すなんてお前も馬鹿だな、明音。次戻って来る時には、お前の居場所はないぞ? だってお前の代わりはいくらでもいるんだから」

 岩永はそう言って、自分の荷物を持って帰っていった。

「だからやめたんだよ。ばーか」

明音は小さく呟いた。

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