歌姫がここにいる理由(スマイルシアターキングダム 磯子明音)

第一話

「ーーーー〜〜!」

 誰もが美しいと思う歌声。

「ーー〜〜」

 誰もが褒め称える歌声。

「すごい……まるで歌の女神だ……」

 誰もが心を奪われる歌声。

 

 磯子明音の歌声は、そういう類のものらしい。

「明音ちゃんの歌声はとても美しい。いや、美しいじゃ言い表せないよ!」

 桜宮学園演劇部で、次年度の桜宮芸術祭で発表する予定の舞台を監督している先輩は、歌い終わった明音に大きな拍手を送った。

「そっ。ありがとう」

 明音の返事はそっけない。

 とりあえず明音の今日の練習は終わりだ。

 短く礼を言って立ち去ろうとした彼女を、しかしながらその先輩は呼び止めた。

「明音ちゃん、この舞台のヒロインはカナリアのように歌が美しいお姫さまなんだ。君にピッタリの役だと思うんだよ。だから、僕としてはやっぱり君に是非とも出てほしいんだ!」

 振り返って先輩の顔を見る明音の顔は、無という言葉が正しいくらい、何もない表情だった。

「何度も申し上げているとおり、お断りします。私はあなたの舞台のオーディションにでるつもりはないです」 

 先輩は、手のひらをあわせて明音にすり寄ってきた。

「そこをなんとかー」

 明音は、先輩の手を振り払った。

「話は終わりですか? じゃあ、もうきょうは帰りますね」

 三月、桜が咲き始める直前の出来事だった。


〜〜〜


 東京都北松沢は、演劇……というより様々なサブカルチャーの聖地であり、大小様々なライブハウスやバー、劇場などが集まっている。

 笑顔劇場は、北松沢駅から徒歩3分の裏通りに位置する昔ながらの小劇場だ。

 桜宮学園からは青い電車とロマンスカーで有名な小野急線で一本……急行を使って20分くらいで到着する。

「これ、うっまいな! おかわりもらっていいか?」

 そんな笑顔劇場の事務室の食堂では今、桜宮学園の中から集められた四人の生徒が一緒にお昼ご飯を食べていた。

 お昼ご飯をごちそうしているのは、鶴川ちとせの祖母であり、笑顔劇場のオーナーの妻であるみずえだ。

「はいどうぞ、夏生君」

「おう、ありがとな」

 夏生は嬉しそうにおかわりの皿をもらうと、すぐに自分の食事を再開した。

「おばあちゃん、私ももっと食べていい?」

 今度はちとせが目をキラキラさせて聞いた。

「いいよ、今日のお昼ご飯はちとせちゃん達四人のためにいっぱい作ったんだから、どんどん食べて」

「ありがとう、おばあちゃん」

 孫娘に礼を言われたおばあちゃんは、なんだかとても嬉しそうだった。

「フッ、僕達のためにこんなに美味しいお昼ご飯を用意してくれるなんて感激だね」

「お前のチャーシューいただき!」

 千寿が食事を目の前にしてポーズをとっているうちに、夏生が千寿のお皿からチャーシューを一枚奪っていった。

「あっ! お前、意地汚いぞ!」

 もちろん千寿は怒るのだが……。

「だってお前謎のポーズばっかとって全然箸が進んでないじゃん。冷めたら折角美味しく作られたご飯が台無しだからな」

 夏生は、何事もなかったかのような表情で食事を続けた。

「僕はお前みたいな野蛮人と違ってゆっくり食べたいんだ!」

 千寿は拳を強く握りしめた。

 そんな男二人のことを馬鹿だなと尻目に思いながら、黙々と箸を進めているのは明音である。

「お、美味しい? 明音……ちゃん?」

 ふと、ちとせが心配そうな顔をして、明音の顔を覗き込んできた。

「まあ、美味しいんじゃない?」

 明音の返事はそっけない。

「はぁ、良かった〜」 

 しかし、そんな明音の返事を聞いてちとせは安心したような表情をした。

 今日初めて会ったというのもあるが、明音にはちとせのことが理解しづらかった。

「それより、馬鹿二人を止めなくていいの?」

 とりあえず話題を変えようと、明音は馬鹿二人の方を見た。

 ちとせは、少し懐かしそうな表情をした。

「うん。なんだか昔のここを見てるみたいだからいいんだ。それに……」

 ゴーンという音が響いたのは、その時だった。

「イッテー……」

「何すんだよババァ!」

「今日初めて会った人にババァかい? 喧嘩するなら外でやれ!」

 みずえは、軽く夏生と千寿に拳骨を食らわせたあと、キッチンに戻っていった。

 ちとせは、ぎこちなく笑いながら明音の方を向いた。

「ほ、ほらね?」

 明音は無言で自分の食事に戻った。

 ちなみにみずえにババァと言ったのは、千寿である。

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