車内にて、私は目前の人と

なずな

春芽吹く駅

「春が芽吹く音がする。」

その言葉は胸に刻み込まれている。

この電車が今回止まったのは春が芽吹く駅。

桜が踊り狂い、花が謳い、草木が楽しくお喋りする駅。

美しくて、心に刻み込まれる景色。

電車内はいつも通りがらんとしており、私以外誰も居ない。

縦向きの座席に黄ばんたプラスチックの吊り革。

広告類はおろか、路線図の一つも貼っていないこの電車は現し世のものではない。

どこの駅に出るか、どこの国に出るか、どこの世界に出るか、それは一切わからない。



非日常。それは、日常から離れた場所。

非日常が続けばそれは日常となり、また非日常を求める。

「故に。ですよ。」

そう、故に。

浪漫を感じるというものです。

「えっ…と。どういうことですか…?」

今日、眼の前に座った人はそう言う。

新品であろうスーツに身を包み、真面目な印象を受ける彼が今回の乗車客。

「あなたもまた、『非日常』を求めて電車に乗ったのでしょう?」

『非日常』。それは、人が求めてやまないもの。

刺激のない日々は人を狂わせ、殺す。

退屈は猫ではなく、人を殺す。

「…はい。」

彼は少しばつが悪そうに答える。

「そうでしょう、そうでしょう。ならばここはうってつけでは?あなたが求める『非日常』。お花見でもしてはどうですか?」

車窓から覗く景色。今は電車が停止しているのであまり多くは見ることができないが、桜は美しく、温かな空気が流れている。

「…。花見、ですか…。」

彼は俯いた。

後ろめたいことがあるのだろうか?

「えぇ…。苦手なんですか?お花見。まさか、花粉症とか。」

少しからかうように、だが、彼の意見を尊重するように。

「い、いえ!別にそんな事は無いんです。無いんですけど…。私はそんな事している場合じゃ…。」

やはり、というべきか。

現代に生きている人間は皆こうなのか。

「いいじゃないですか。こんなにも美しい桜があるのにお花見もしないなんて、桜への冒涜ですよ?」

『桜への冒涜』という言葉を発した瞬間、彼の顔に陰りが見えた。

彼は、桜に何か因縁を持つのだろうか?単なる働きすぎた現代人のものではない何かが…。

「…。」

だが、彼は沈黙を貫くばかり。

「ご存知ですか?桜って感情や性別、心を持つらしいですよ。」

今度の彼の反応は一言で表すと、『怯え』だった。

何かに怯えて、震える顔。

「おや。どうしましたか?桜の木の下に死体でも埋めましたか?」

あはは、と笑ってみる。ほんの冗談、そんなつもり。

だが、彼は笑わない。それどころか目線をそらし、明らかに普通ではない様子だった。

図星か、はたまたそれに類することか…。

「…安心してください。別にサツに突き出したりはしませんよ…。あなたとの秘密は誰にも話しません。だから、肩の力を抜いて話してみてください。」

この電車は権力には触れられない。

それどころか、簡単にたどり着けない。ならば、ここで話す罪は誰にも知られない。

「…。」

彼は口をつぐんだままだった。

そりゃぁ、そうだ。誰が初対面の相手に自分の罪を告白するのだろうか。

「…。では、あなたが桜の木の下に死体を埋めた、そう言う想定で話しますね。」

桜に近づきたくない様子ならば、こうすれば何かしら探れるだろう。

こんな話をするなんてやはり私は嫌な人間なのだな、と思う。

「桜っていうのは恋の象徴でもあり、皆恋人でもあるのです。虫に恋する桜も居れば、他の桜に恋をする桜もいます。勿論人間に恋する桜も。」

正直、これはデタラメ。言伝えやそういうものなんて知らない。

ただ、桜が愛を求めていることは紛れもない事実…。

「そして桜も植物ですから栄養を欲しています。…肥料、糞や、死体。」

『死体』。この言葉を聞いた瞬間彼の体はまたびくんと跳ねる。怯え、恐怖。

やはり、殺しか?

「…。何が。何がしたいんですかあなたは…。」

そこで彼が口を開いた。

震える唇、焦った目、溢れ出る冷や汗、絞り出した声…。

「そうですねぇ…。強いて言えば、恋のキューピッド、ですかね?」

私がそう言うと彼は面食らった様子だった。

「き、キューピット…?」

「先程、言いましたよね?桜は皆恋をしていると。…あなたが死体を埋めたのならば、食べ物をもらった桜はあなたに恋をするのでは?」

普通ならば実らぬ恋で終わってしまう。

なぜなら桜は動くことができない。見ることができない。聞くことができない。

「それが…どうしたんです…。例え桜が私に恋をしていても私のもとには来られない…。あの桜はここから遠いところにありますから…。」

…。白状したようなものだった。やはり、死体を埋めたのだろうか?

「いえ?そうとも限りませんよ…。人の血を吸った桜…。あやかしにでも化けそうじゃありませんか?『人喰桜』みたいなあやかしに…。」

人の心があやかしを生み出す。そしてその心を保つのは人間の血。つまり血は心そのものと言えよう。

「っ…。あり得ない…。そんなオカルト…。」

彼は再び俯く。

逃げの俯きというより思考の俯き。何かを考えている。

「…。窓の外を見てみてはいかがですか?ほら、あなたの後ろの窓…。」

「窓…?」

彼は振り向いた。

振り向いた先の窓には桜の幹や枝、葉がびっしりと、この電車を覆いこむようにあった。

「ひっ…!」

たまらず彼は座席から転げ落ちる。そして私の下へと転がり込んでくる。

「大丈夫ですよ。…先程も言った通り彼女はあなたに恋をしています…。彼女の恋をあなたも受け入れてみては?」

車窓の外の幹は電車を叩く。

狙いは、彼だろう。

「そんな…!喰われろと言うんですか!?」

しかし彼は動こうとしない。恐怖、拒絶…。

まぁそんなもので桜の恋が折れるわけもないが。

「男は度胸…。」

私はそう言うと立ち上がり彼を引きずりながら扉へ向かう。

その間彼は泣き叫び、暴れていた。

「思いを無下にしてはいけませんよ…。」

扉を開くと桜の木は私を払い除け、彼を掴む。

幹で、枝で、葉で、まるでハンモックのような形になり、彼を抱え上げる。

彼の顔は恐怖で引き攣っていたが、やがて桜に敵意がないことがわかると段々と穏やかな顔になった。

これは彼の感情か、はたまた桜の妖力か…。

「春が…。春が芽吹く音がする…。」

彼はそう言うと糸の切れた人形のように力を失った。

単に眠っただけか、それとも…。

桜は彼を抱えたまま根を動かし何処かへ消えていく。器用な桜だ…。

彼女もまた恋する乙女というわけか。

桜と人間、およそ恋をする関係ではない生き物たち。

春とは出会いを運び、恋を実らせる。

色付く桜は人に色を教える。

芽吹く、女吹く。

そして、彼はどうなるのだろう?

桜の愛情表現とは如何なるものなのだろう?

私にはわからない。ただ、彼はもう人間の社会で生きていくことは難しいだろう。

そして、人間生きていく必要もない。桜とともに新たな人生を歩むだろう。

尤も、その生き方が彼にとって幸せかどうかはわからないし、人の『生きる』と桜の『生きる』は全く違うのだが。

車窓を眺めるとやはり桜が咲き乱れている。とめどなく桜が散る。美しく、力強く、そして、殺人的に。



「彼もまた、この電車には馴染みませんでしたか。」

この電車の乗客は私一人だけ。

皆、馴染まず、乗ってもすぐ降りていくだけ。

寂しい。だからこそ誰かと話すことは楽しい。

また、次の駅を目指そう。財布に余裕はなくても、キセル乗車でもいい。

ここが私の居場所で、帰るべき場所なのだから。

私は歩みを進め先頭まで向かう。

先頭には車掌がいる。

「車掌さん。次はどんな駅?」

「金色と金、守ることと稼ぐこと…さしずめ欲望の駅ですかね…。」

車掌さんは静かに答える。

「欲望の駅…!」

わくわくする。

新たな出会い、新たな世界。もしかしたらここに馴染む人だって居るかもしれない。

「ありがとう。」

私はそれだけ言って座席に戻る。

少し硬い椅子はお尻が少し痛くなる。だけれども、次の駅のことを考えると私はそんな事がどうでも良くなる。

やがてすべてのドアが閉まり、車掌さんの声が聞こえてきた。

『間もなく発車いたします…。』

そして、電車は動き出した。

線路の両脇に生えている桜がたまらなく綺麗で春という季節の素晴らしさを嫌と言うほど押し付けてくる。

しかしすぐ桜は見えなくなり、森のような場所へと入る。

次は、『欲望の駅』─────。

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