第9話 暴発する承認欲求

 放課後。帰宅部勢がはけるのを見計らって、俺は下駄箱へと急いだ。運動部の連中の移動も終わっている。つまり今こそぼっち帰宅にふさわしいタイミングということだ。


 だがそんなとき、豪快すぎるピアノの音が聞こえてきた。


「……千波か」


 こんな弾き方をするのは千波に違いない。百歩譲って千波じゃないとしても、高校生でこの曲を弾ける奴なんて、この学校では千波くらいだ。


「ショパンの『ピアノ協奏曲第1番』か」


 プロでも尻込みする難曲だったはずだが、完璧超人な千波は弾きこなせている。


「ん? なんかおかしいな」


 さっきから同じところを何回もループしている。これじゃいつまで経っても曲が終わらない。

 

 反復練習だとしても、もう完璧な部分をさらい続けても無意味だと思うのだが。


「まさか、聞いてほしいアピールなのか?」


 千波は昔からそういうところがある。人を集めて演奏会でも開けばいいのに、こういうまわりくどい自慢をしてくるから困る。


 仕方ない。


 千波の承認欲求が暴発する前に、止めに行くしかないな。このままではピアノがもたない。


 音楽室に立ち入ると、耳をつんざくような爆音でピアノがかき鳴らされていた。これがいわゆる「コンチェルト弾き」というやつか。恐ろしい。


「おーい、もうその辺にしとけよ」


「うるさいな、だったらオケパート弾いてよ。一人じゃ満たされない」


「吹部の連中にでも頼めばいいじゃないか。千波がソリストなら、大歓迎だろ」


「オーケストラとの共演がいいの! 仕方ない。今回は主旋律だけで我慢するから、真一がヴァイオリン弾きなさい?」


「もうだいぶ昔に止めたんだが」


「いいでしょ!」


 俺は仕方なく近くのヴァイオリンを取り出し、記憶を頼りにオケパートを演奏した。すると、ようやく第一楽章が終わった。


「ふぅ、満足した! っていうか、手が痛い!」


「腱鞘炎には気を付けろよ? 全く。音楽でストレス発散はいいことだが、やりすぎだ」


「そんなこと言ってー、真一も久々に楽しかったんじゃないの?」


「……まぁ、ヴァイオリンもたまに弾くなら悪くない」


 今でもプロを目指し続けていたら地獄だっただろうな。少なくとも、俺はそんな生活に耐えられない。


「音楽選択にすればよかったのに。真一くらいの腕前なら、即人気者だよ?」


「いやそうはならないだろ。せいぜい、『意外と楽器は上手いぼっち』にランクアップするだけだ」


「アップするならいいじゃん!」


「そうなると平穏な日常が壊れるから、俺は書道選択でいいよ」


 下手な文字を量産しているが、音楽よりは気楽にできる。


 そう。


 何事もエンジョイするくらいがちょうどいい。必死になるのは、ここぞという時だけでいい。

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