第9話 てんぺんちーなんて起こりません。
「そんなことがあったのか」
『うん。ねえ、ハヤテ。いとしごさま? って私だよね。私、あそこにいなくてだいじょうぶ? てんぺんちー? おこっちゃう?』
「ないない。ぜーったいない。あのクソ女神、お前が生きてさえいりゃあとはどうでもいいって言い切ったんだぞ。つまり! 生きて元気ならどこにいたっていいってことだ! ここがいいならここもいいかもしれないけど……どうだろうな。ここはあそことちょっとばかり近すぎるからなぁ……できることなら、もうちょい距離があるところが良いんだが……」
『……でてくの?』
「大丈夫、出て行かない。そんな悲しそうな声出すなよ。行くにしたってもうちょいお前の身体が元気になって、丈夫になって、おっきく育ってからだって。今みたいな棒きれ手足じゃちょっとひどい転び方したらそのまんま折れちまいそうだ」
院長を名乗っていたロシュアも、マナの姉におさまったスィールも、おかしな感じはなかったからな。
バレないならば、しばらくはここで、マナに体力を付けさせたい。
今のマナっていったい幾つなんだろうな。栄養失調っぽかったから、多分年相応には育ってねーんだろうけど。
魔力で周りの――あいつらの様子を探るって出来ねぇかな。
たとえば……そう、レーダーみたいな? 周波数だっけ? 魔力で似たような感じになんねぇかな……えーっと、……あ。できた。
マナが寝静まってから、試して出来た索敵を開始した。
マナの中の力? をうすくうすーくのばして広げてやると、そこに引っかかったものが見える。神殿の方は割とたくさんの人間がいて、それが忙しなく動き回ってた。マナがいたあの離れも、中に何人もいてばたばたと動いているのが見えた。……これは結構な捜索がされてんな……大丈夫か……?
大丈夫じゃなかった。当然だけど、孤児院にも捜索の手が入った。
あの時マナを殴ったヤロウも含めた十数人が孤児院に踏みこみ、片っ端から部屋の扉を勝手に開けて、中にいた子たちを部屋の外へと追い立てた。
止めてください、と叫びながらロシュアが男達の前に立ち塞がるが、あっという間に突き飛ばされ、部屋の隅へと追いやられた。壁際におかれた棚に頭をぶつけそうだったから、こっそりガードしておいた。
オレ? あいつらの後ろをシーツを被って追いかけながら、あいつらが暴き終わった部屋にひょいと入り込んで隠れたよ? シーツは最初に使った透明シーツになる魔法? だ。自分でもどうやったのかよく分からんのだけど、透明になーれ、と念じたら透明になった。
「隠し立てするとタメにならんぞ! さっさと出せ!」
「出せ、とは!? 子供たちに乱暴をして、何を探し回っておいでか!?」
「そのような誤魔化しがきくと思うなよ!? ここに逃げ込んだのでなければ、どこへ行ったというのだ!」
「だから、何をお探しかとおたずねしております!」
問答は平行線を辿っていた。絶対に何を探しているかを言いたくない神殿のおっちゃんおばちゃんらと、何を探してるのかさっぱりわからん孤児院サイドとで完全なる食い違いを起こしている。
いやー、そりゃ、愛し子が失踪しましたなんて言えないよな。わかるわかるー。ぜってー帰さねぇけどな。
そして孤児院側だって、マナが愛し子だなんて思わないだろう。だって愛し子は神殿で大切にされていると思ってるんだから。
その子がこんな骨と皮だけみたいなボロボロの姿だなんて思うわけねーんだよ。そして神殿でえらそうにふんぞりかえってるこいつらが、そんなボロボロの子供を探してるなんて思いもしないだろうよ。
「この院に来て1ヶ月以内の子供を全部出せと言っている!」
なるほど、新入り。根こそぎチェック! ……え、これはちょっと、ヤバいのでは。
しかし院長先生は骨太な人だった。真っ正面から堂々と「お断り致します!」と啖呵を切った。すごい。
「この院の子らは皆、女神ラーシュカ様の子です! そのような無体を、女神様は決してお許しにはなりません!」
「巫山戯たことを……親が死んだか捨てられたかした底辺のガキ共だろうが! 施されて生かされてる身で偉そうに!」
ただ、残念ながらおっさんたちはその上を行くどうしようもなさと傍若無人だった。院長室らしき部屋へと入り込むと、院長が止めるのも聞かず部屋を荒らし回った。
子供達は悲鳴を上げることさえ出来ずに、部屋の隅に固まって互いに身体を抱きしめ合って震えていた。大きな子が外側に、小さな子を内側に。こんな時でもお互いを助け合い、かばい合おうと――
その時、スィールが見えた。不安そうな目で周囲を見回し、何かを必死で探していた。
……ああ、そうか。マナを探しているんだ。どこにも姿が見えないから、心配して……――
「スィール! 下がっていなさい!」
「でも! 院長先生! 妹が! マナが!」
「……マナ?」
院長先生の机を漁り書類をまくっていた男の眉がピクリと動いた。手元の書類をぱらぱらとめくり、「スィール……」と小さく呟く。視線が書類の上を走り、「その子が一番下ではなかったのか?」と院長に尋ねた。スィールがハッとした様に自分の口を塞ぐけれどもう遅い。男が視線で指示を出すと、周囲にいた男達がスィールを捕らえた。「止めなさい!」と叫ぶ院長の声などそよ風ほどにも感じていないようだった。
「妹がいるのか? そんな記載はどこにもないが」
「……い、いな……」
「いまいると言ったな。嘘はいけない、女神様もさぞやお怒りだ」
「……ひっ、……ッ! い、痛い! 放してぇ!」
「良いだろう。お前が良い子で、私達に本当のことを話してくれたらすぐに放してやろう」
ねっとりとした響きの声の男が、スィールの頭を無造作に掴んで床に押しつけた。床に額をこすりつけ、痛いと泣く声に「話せ」と囁く。
「この院では確か、後から入ってきた子供と先の子とが姉妹になるんだった……な? 妹がいるのか?」
「いない! いないよ! そんな子いない!」
「……嘘はいけないなぁ。嘘を吐く悪い子には、お仕置きが必要だ」
「そんなもん、必要ねーよ」
バサリと羽織っていたシーツを脱ぎ捨てた。
現れたオレに男達の顔が歪んだ。……まぁこいつらに与えられた服、着てないしな。ガリガリな四肢は一朝一夕で変わりゃしないけど、少なくとも顔色はぐっと良いはずだ。
「お前等が探してるのはオレだろ」
「マナ! ダメだよ! 隠れてて!」
「大丈夫だよ、スィール。今助けるからな」
「助ける。随分と大仰な。私達はただこの子にあなたの居場所を尋ねていただけでしょうに」
「だったらさっさと解放しろ。そんな小さな女の子を痛めつける必要がどこにあるんだ」
「ならばあなたこそ、大人しく元いた場所へお戻り頂こうか」
「そっちが手を離すのが先だろ」
ふん、と鼻で笑ってやると、男の形相が変わった。おーおー、短気で嫌だねぇ。
男がこちらに迫ってくるのに、オレは手を前に突き出してパチンと指を鳴らして見せた。
音を合図に、魔力が空中へと溶けていく。濃密な愛し子の魔力が部屋を満たした。男の足が、ゆっくりになった。
「な、んだ、これは……!?」
「空中の魔力濃度を変えただけだよ。粘膜みたいに粘ついて、お前等を絡め取るように」
オレの指先が宙を掴んで引っ張った。それに引かれるように、スィールを押さえつけていた男達の身体が空中へと浮かび上がった。手足をじたばたと動かしてもがくけれど、そんなのはただの悪あがきだ。そのまま纏めてぺいっと窓の外へと放り捨てた。
「き、さま……!? なにを……!!」
「あのさぁ、甘く見すぎなんじゃねーの? オレ、愛し子、なんだろ?」
にっこりと可愛らしく笑ってやる。残念ながらまだ上手に笑えないから、多分引きつった笑い顔だろうし、骸骨みたいな顔だから不気味の方が先立つかもしんねーけどな。
「お前等があんまりこの子を虐めるから、女神さまが怒ってオレをこの子の中に入れたんだよなぁ。自分で自分を助けられないようにお前等がこの子を洗脳したから。あんな寒いところにあんな薄着で放っておいて、ろくに飯も食わせないで。自分たちが何をやってたか、ちゃんと、自分たちが一番良く、分かってんだろ? ……許されるなんて思ってねぇよな?」
魔力過多にした空気でグルグル巻きにして、ついでに口元も軽く覆う。悲鳴と、苦しげな呼吸音が少しだけ続いてあっさり静かになった。殺してはいないよ、酸欠で失神しただけ。チョロいなぁ……こんな弱っちーのに、この子はあんな虐待、されてたんだ。
……もうちょいいじめても許されるんでは?
「大丈夫、スィール? 院長先生?」
「マナ! 無事で良かった!」
「……マナ、あなたは、一体……」
こちらの無事を喜んですぐに抱きしめてくれたスィールは良い子だ。……ああ、おでこがすりむけて血が滲んでる。治し治し。関節も変な風に押さえつけられてたから痛んでるな……治しとこう。――よし。
「ごめんな、院長先生。オレ、……っていうか『マナ』はさ、愛し子? とかいうヤツなんだよ」
「愛し子? あなたが?」
「オレはハヤテ。マナの中にいる、マナの……えーっとなんだろうな? マナを守る、マナの兄ちゃんみたいなもの?」
「……守護精霊様、でしょうか……?」
「たぶん違うけど、たぶんそんな感じだと思うよ。マナがあいつらに虐待されてから、あいつらのとこから助け出して、今ここ、みたいな感じなんだよ。逃げ出してきたんだ。あいつら、マナにご飯もくれなきゃ着るもんもろくなのくれないし、くれっつったら殴ってくるしさ」
「殴る!? 愛し子様を!?」
「殴られた後はさっさと直したから今はないけどさ。この顔見てよ、身体も。ガリガリじゃん? 食わせて貰ってなかったからなんだよな」
……あ。院長先生が滅茶苦茶怒った。無言だけど、修羅みたいな顔になってる。なんという厚顔無恥な、とか地響きみたいな低い声が聞こえた。
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