第7話 良い人、いました。

 さてどうするか。夜になりマナが寝てしまった後に、ハヤテはむくりと起き上がった。マナの体の負担になるから、長時間の行動は無理だ。短時間でどうにか出来ること――あるだろうか?

 これは2人で話し合ったことでもある。昼の間はマナが普通に体を動かす。少し早めに就寝して、眠った後に、今度はハヤテが体を動かす。はんぶんこ、と言い募るマナにハヤテが提案した『お互いの時間』の配分だ。マナが昼間で、ハヤテが夜。何しろ元はマナの体はマナだけのものだったので、ハヤテが勝手にどうこうしていい時間については、最低限に抑えるべきだ――とハヤテは思うのだが、マナは違った。自分の体だというのに、自分とハヤテ2人のものだと言い張った。


「服、欲しいよな」


 あと食べ物も。美味しいもの、栄養のあるものを食べさせて上げたい。

 しかし残念ながら、どれもこれも、この離れにはないものだった。あるとするなら、ハヤテ――マナを殴りつけたヤツらがいるだろう、あの神殿の中だろう。

 ……どうやってあそこに行ったら良いだろうか。姿を消して行く、とか?

 そう言えば昔見た漫画や小説で、マントを羽織ると姿が透明に――みたいなのあったっけな。そうだ、このシーツ被ったら姿が透明になるようになったらいいんだよなー、まぁそんな都合良くどうにかなることはないだろうが。

 そう思いながらシーツを被ると、なんと自分の姿が透明になった。


 は?


 シーツを被った所――手が、透けて見える。は? ともう一度思ってから、シーツを被ったまま渡り廊下を走った。もちろんシーツは被ったままだ。渡りきった先にある鏡のようなそこにたどり着いてくるりと回った。

 透明だ。完全なる透明だった。何も見えない――いや、見えるな。くるっと回ってシーツが翻ったら、その隙間から足が見えた。あと、シーツ越しでも鏡には触れられたから、別に存在が透明になってるわけではなさそうだ。


 ……これ、イケるんじゃねーの?


 にまぁ、と口角が上がる。いける、これはイケる! 透明になって台所にでも行けたら、なにか食べ物ぱくってこれる! 台所じゃなくても、服とか、いろいろ!

 そうと決まれば、早速行くか!

 ぺたんぺたんと、足音を忍ばせて廊下を歩いた。履物がない分、若干だけど足音はたたない。履物は欲しいけど。足が冷たくてキツい。問題は、神殿の戸はどこもがっちりと鍵が掛かっていて、内部へ入れないことだろうか。……うん、ちょっと計算外だった。


 さてどうしようか……。迷いながら歩いて生け垣を越えた。神殿がダメならもうこの先しかないと思うんだよなぁ……。生け垣の向こうには建物があるのが見えていたし。

 少し歩くと、建物の扉が開くのが見えた。神殿からもちょっと離れた所にある、少し外れの、けれども大きな建物だ。ここからだと、もうマナがいたあの建屋はまったく見えない。神殿は見える。こうしてこっちからみると、あの生け垣はむしろあの離れを囲うように――隠すようになっているんだなということに気がつけた。

 こそこそと扉に近づけば、中からは賑やかな声が聞こえ、食べ物の匂いが漂ってきた。

 出てきたのは軽く武装をした男で、分厚いコートの前を合わせて寒そうに両手を擦り合わせていた。手には短い槍を持っていた。


「俺の分、とっといてくれよ?」

「はいよぉ、見張りご苦労さん! 良いからさっさと行っておいでよ」


 男が扉を閉めようとした隙に、その横をすり抜けて扉の中に飛び込んだ。

 中は薄暗かったけれど、外よりは幾分か明るい。壁にいくつか取り付けられた燭台とテーブルの上の燭台に照らされていた。テーブルの上には切り分けられたパンが置かれ、テーブルにつく男達の前には湯気の立つスープが置かれている。日頃目にすることもないような、具だくさんで濃厚そうなとろりとした白色のスープだった。シチューだ。ごくり、と喉がなった。パンの香りも香ばしくて分厚く切られていて、普通に美味しそうだった。


 え? どうしてこれが愛し子に出されないの? なんであんな最低な特別扱いされてんの??? 一緒で良くない……?


「それにしても最近寒いよねぇ。愛し子様は何をしていらっしゃるんだか」

「どうせ隠された神殿の離れで贅沢な暮らしをなさってるんだろうよ! 下々の目には入れられないってんで、私らはあそこには近づくことさえ許されないんだからさァ! お食事も何もかもぜーんぶ神殿の方々がお世話されてんだろ? それにしたってもうちょっと愛し子様もお仕事して欲しいってもんだけどね!」


 不満たらたらの口調でぼやいているのは飯炊き女と思しき女たちだった。口調こそきついものの、声は小さい。テーブルで食事をしている男達の耳には届くか届かないか、届いたとしてもはっきりと内容を伺うことは出来ないだろう大きさだ。

 ……いやいやいや、だがしかしだ! 仕事って、何それ。知らないんですけど。というか仕事させるならそれこそもうちょいまともなもの食わせて着せてくれよ。

 そう思いながらも、オレは女の1人がよそったスープ皿に目が釘付けになった。おしゃべりに夢中になってるからだろうか、満たしたばかりの皿を運ぶためのワゴンに乗せて、別のことをしだしたからだ。


 ――チャンス!


 オレは皿に手を伸ばした。だって、ほんとに、美味しそうで。口の中が涎でいっぱいになりそうで――

 けれど、オレの手はその皿を取り落としてしまった。皿があんまり熱くて、重くて、持ちきれなかったのだ。


 ガチャン! と音を立てて床に落ちた皿に、女が振り向いた。皿を取り落として吃驚して動揺して、シーツにかけたまじないは解けてしまった。枯れ木のような腕が露わになって、薄汚いシーツを被ったオレの姿が、女の前に露わになった。


「……あ、あんた……」


 ああ、叩かれる。どうしよう。怒られる。女の声に体がびくりと強張った。

 強い力で腕を掴まれ、引き寄せられた。


「ちょっと! あんた、なんなんだい! この細っこい腕!? どこの子だい!?」

「……どしたのさ、アンナそんな大声出して――あらあら、何よその子。なんだってそんな格好してんのォ? ちょっとあんた、親はどうしたの? どこから来たのよ?」


 女2人の声は大きかったけれど、怖くはなかった。怖くなかったことに驚いて、声が出なくなった。代わりに涙がボロボロ零れた。


「えー!!! なんで泣いてんのよ、ちょっとォ、やめてよ! 私が泣かしたみたいじゃないかァ!」

「腹減ってんじゃないの? ほら、これでも食べて泣きやみな!」


 女が無造作に柔らかなパンをオレの口の中に突っ込んだ。反射的にもぐもぐした。柔らかくて温かくてほんのり甘くてめちゃくちゃ美味しいパンだった。


「……ぅぐ、んぐ。お、いし……」

「おや、あんたちゃんと口きけるんだね。そうだろそうだろ、こいつは私が今夜焼いたばっかりのパンだからね! そりゃあもう、ほっぺた落ちるくらい美味いのもしょーがないってもんだ! 腹は減ってるのかい? スープは食べる?」

「ん、うん! た、食べたい!」

「そうかい、じゃあ、ちょっと待ってな」

「あ、あの! ご、ごめんなさい! すーぷ、これ、割っちゃって」


 慌ててしゃがみ込んで割れた皿を拾おうとしたら、その手をがしっと掴まれた。――今度こそ、叱られる。体を竦めて叩かれるのを身構えると、女の手がふわりとオレの頭を撫でた。


「危ないからそういうのはお姉さんに任せな! どーせあんた、孤児院の新入りちゃんだろ? まだ服も支給されてないみたいだけど――だいじょうぶだよ、ここの孤児院の院長先生はそりゃぁ情けが深い良いお方だから、ちゃーんと食べさせて貰えるし、服だってみんなとお揃いのものを頂けるんだよ。余所がどんだけひどいとこかって聞いたことありゃ逃げ出したくなる気持ちも分かるけど、ここに預けられたのはほんっとうに運が良いことなんだから、怖がらずにちゃんと言うこと聞いて良い子にしてな」


 まぁそれはそれとして、今日はここで私らと一緒に食ってくと良いよ! と言って笑った顔は気持ちの良い笑顔で、心がほっこり温かくなった。マナがいうあったかいってこういうのかなぁ、と思いながら、「ありがとう」とだけ言って、泣きそうになるのを堪えて、新しくよそって貰ったスープと一緒にテーブルへ運ばれた。あんたにゃ重いみたいだしね、と言って運んでくれたのだった。……良い人だ!


「……っ! お、おいしぃ……! こ、こんなおいしいの、たべたことない……!」

「おー、そうかいそうかい、そりゃ良かった。ほぉら、あんたたちもさぁ、この子みたいに少しは素直に私らの作る飯を褒め称えたって良いんだよ!?」


 がっはっは、こんなに態度で示してんのにまだ足りないのかよ! 美味いよ美味いよ! もうちょっとバリエーション増やしてくれたらもっと最高だがな! 俺はピクルス抜いてくれたらもっと美味い! 黙って食べな栄養あんだよ!

 賑やかな応酬の交わされる下で、オレはもくもくとスープを口に運んでいた。

 みんな笑顔で、仲よさそうで、生け垣1つで隔てられただけのこちら側はこんなにも世界が違うことに目眩がしそうだった。


 夢中で食べて、皿をすっかり空にすると、腹いっぱいになったせいか、急に眠くなってきた。

 ……――ああ、不味い、そりゃそうだ、いつもならこの身体はとっくの昔に寝ている時間だ……。


「なんだい、寝ちまったかい? しょうがないねぇ、あんた名前は?」

「……ん……と、……マナ……」

「マナか。よしよし、大丈夫だよマナ。私がちゃーんと、院長先生に話しといてやるからね」


 抱き上げられて、ぽんぽん、とあやすように背を叩かれるともうダメだった。意識が泥のように溶け出して沈んでいく。


「こんなに痩せて、辛い暮らしだったんだろうなぁ。どこから来たんだろ。……やっぱり、北の方かね」

「叩かれるのに慣れてる感じだったよねェ。……かわいそうに」

「まぁ、院長先生におまかせしたらきっと大丈夫! あそこ出身の私が保証するよ」

「ああ、そうか。ってことはアンナの新しい妹分ってことだねェ」

「そういやそうか。……それじゃ、私がちゃーんと院まで運んで上げるかね」


 ゆったりと聞こえてくる女たちの声は、腕の中の子供を労るように優しくて、さっきとは随分違って聞こえた。まるで子守歌みたいだなぁと、内容は頭を素通りしていくのに、その響きばかりが体に沁みた。


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