第二章 アリアのミステイク 439話
聞いていたのと違う。
あたしは猫をかぶりながら授業を受けている。授業は多岐にわたる。読み書きの練習。足し算に引き算。これらは平民上がりの勉強をしたことのない生徒を中心に行われるため、私が貴族コースに行っている間に行われているようだ。法衣貴族のシルチェはその間は好きな本を読んでいるらしい。それなりに頭が良いからね。
他には貴族への対応のための作法。聖女として最低限のマナーは必要だし、高位の貴族と対応できる聖女は重宝されるって話しらしい。あたしには関係ないけど覚えていて損はなさそうだし、何かの役に立つかもしれないからちゃんとやっているよ。成績良くて困ることないしね。
それから魔法の訓練。一度騎士コースの魔法訓練を見学しにいったら魔法の威力の凄さに驚いた。聖女の魔法は光を出すだけ。それも訓練をして徐々に明るくしていくの。騎士の魔法は制御できないみたいだけど、聖女の光は強さを変えることができる。先生が言うには、「あの規模の明かりしか出せなかったら、目が潰れてしまうでしょう」ということらしい。何にせよ神の決めたことだ。あたしには分からないしどうでもいい。
世間での聖女の評価と、聖女の真の仕事を知っている者の評価は違うらしい。
一般的には王妃マリアーヌのイメージで、病気や怪我を直す心優しい神に仕える女性、なのだが今の聖女は違う。
明りを出す事しかできない聖女。貴族の夜会やパーティーで室内を明るくするのが聖女の役割。劇場で舞台を明るくしている聖女もいるそうだ。
しかしそれは一部の者たちの秘密として扱われている。教会が聖女の価値を下げたくないため。無関係な者にばらすと天罰が下ると言われたよ。
治療できないの? 本当に?
あたしは先輩や先生に聞いた。本も読みまくった。でも、誰もできる人はいなかった。
どうしたらいいんだろう。なんであのくそ神父はあたしが治療できること学園に報告していないのだろう。
孤児院出のあたしが治療魔法を使えると何か困るのか?
それともグレイ男爵家に知られたくないのか?
学園に知られたくないのか?
卒業してから接触されるのか?
単に忘れているのか? あるいは分かっていないのか?
……読めない。ただ、今は現状維持が得策だ。グレイ家に伝わると家を出られなくなるかもしれない。
治癒魔法が使えるとなるとどうなるかと調べた。大聖女として王家に身柄を確保されるか、教会に縛られるか。どちらにしてもヤバそうな事になるみたいだ。
先生に聞いても同じ答えだった。
だったら隠さないと。そう思った。
◇
光魔法は一年生でトップの成績だよ。魔力の動きを制御するコツをつかんだら、そこからどんどん伸びていけた。
それと共に、治癒魔法のやり方が頭の中でひらめき始めた。
かすり傷の直し方。切り傷の直し方。すり傷の直し方。実際に使っていなくてもどんどん知識が溜まっていく。病気もそう。熱の下げ方、痛みごとの軽減方法、コリの解消。怪我をした猫に試したら、時間はかかったが怪我を直すことができた。
やばい!
光魔法の上達と、治癒魔法がリンクしている。訓練で手を抜いても、どんどん上達してゆくのが分かる。
これは秘密だ。絶対に秘密だ!
「アリアさんには光魔法の才能がありますね。このまま成長すれば公爵家や王家でも務まるのではないでしょうか。期待していますよ」
やめて~! あたしは平民街でのびのび暮らしたいのよ~!
という本心は隠して、「ありがとうございます」と微笑んだ。
◇◇◇
6月に入って、やっと学園にも慣れたころ、夏休みの注意を寮母さんが話した。
「夏休みは7月15日から8月28日までです。ですので、この寮は7月22から8月21日まで閉館します。皆様たのしい夏休みを過ごすために今から準備を始めて下さい」
寮母から寮の閉館に関する説明をされた。え? 待って! 私どうすればいいの?
「閉館、するんですか?」
「ええ。夏も冬も授業が終わってから一週間は、領に帰るための荷物の出し入れや順番があるから開けているけど、私達も休みを取らないといけないからね。寮は閉館になるの。同様に、戻るための準備期間として学園が再開される一週間前から寮を開くのよ。全ての寮がそうよ。王都に残って社交をしても領地に帰ってもいいわ。せっかくのお休みだから楽しく過ごしてね」
領地になんか帰れない。一ヶ月も宿に泊まる余裕なんてない。
◇
翌日、生徒会で仕事をしていたら、王子が全員を集めて話を始めた。
「全員の夏休みの予定を知りたい。生徒会の中で、夏休み自領に帰るものは手を上げてくれ」
三分の二ほどの生徒が手を上げた。一年生は二人とも帰るみたいだ。二年生の先輩も。
「では手を上げたものは右側へ。そうでないものは左側に分かれてくれ。そうだな、一年生と二年生は分からないから帰るよな。お、アリアは帰らないのか。それはありがたいな」
嫌な感じがする。なんだ? 帰らないけど宿なしだよ。
「一年生、よく聞け。夏休みの最後の三日間は学園祭がある。知っているよな。各種ゼミの発表や、様々なサークルの発表があるんだ。生徒会はその実行委員をしている。正式な準備期間は10日前からだが、我々にはその前から下準備や調整をしなければならない。可能ならば二週間前には帰ってくるように調整してくれ」
はあ? 聞いていない。学園祭? なにそれ。
「では、残っている者は夏休みの間の担当を決めようか。上級生と下級生が組んで仕事を覚えられるようにしよう。一年生はアリアだけか。ではアリアは俺につけ。学園祭でどんな準備があるか、全体を俯瞰して見てもらおう。学園側との折衝役はチャーリー、お前にまかせよう。最近頑張っているからな。期待しているぞ。いいか、あくまで腰は低くだ。場合によっては頭を下げることも覚えてくれ。チャーリーにつけるのはディーンだ。何かあったらすぐに俺に報告するように。それから……」
勝手に決められた~! あたしの休みは⁈ どこで寝泊まりすれば⁈ 王子の秘書役⁈ 無理! 生きていくのに精一杯なのに!
でも、今ここで猫を引きはがすわけにはいかない。目立たないように話を聞いた。
◇
宿なし、生徒会の手伝い、どうしろっていうんだよ~!
お茶会も開かなくちゃいけないのに。
ぐちゃぐちゃする頭を整理し、あたしは目の前のお茶会のことだけをこなすことにした。言ってみれば先送り。現実逃避だ。
◇
お茶会は王子のおかげで何とかなったよ。まさか王子がゲストで出てくるとは思わなかったけど、そのおかげで会話も弾んだし、王子には感謝するしかなかった。
お茶会が終わった後食事に誘われた。おごってくれるようだったので断るのも悪いと思い付いていった。
……えっ。高そうなお店。
そうだよね。王子御用達だもんね。いつも来るのか? うん、セレブだよね。王子だし。
「ここは姉から聞いた店で、割とカジュアルなお店らしい。緊張しなくていいよ」
カジュアルですか! ここがっ⁉
「ではお嬢様、お手を」
エスコートですか⁈ 王子自ら! あたしに⁉
ええい! 女は愛嬌、下町育ちは度胸! なんでもやってやらあ!
あたしは王子の手に指を乗せ、にっこりと微笑んで見せた。
驚いたように目を見開いても、すぐに微笑みを返す王子。
そのまま個室に案内された。
◇
「今日は本当にありがとうございました」
話す事もないから、とりあえずお礼を言った。
「ああ。お役に立てて何よりだよ。いつも生徒会で頑張ってくれているからね。いつでも頼ってくれ」
そうは言われても頼るわけいかないじゃない。
「料理はまかせてもらってもいいかい?」
メニュー見ても分かんないから任せましょう。
「はい。お願いします」
猫よ猫。かぶっている猫は逃がすな。がっついちゃだめよ。
料理が出てきた。給仕さんが一口ずつ口にした。ああ、毒見ってやつね。
「アリア。今日はお疲れ様。学園で何か困ったことはないかい?」
今めちゃくちゃ困っているんですけど! でも住む所がないとか言ったらヤバいよね。この王子、『じゃあ僕の所に泊まればいい』とか言いそうだし。お人よしだから下心も無しに言いそう。うわぁ~。ヤバいよそんなの!
「おかげさまで。先輩たちも優しくして下さっていますし」
いいよね、こう言っておけば。
「そうか。では夏休みの生徒会の事だが、平日の2時から5時まで俺は生徒会室で仕事をする予定だ。できるだけこの時間に来て欲しい」
2時から5時までか。お昼ご飯はありつけないね。夕飯は当たり前にないね。
じゃあ、午前中に稼がないと。仕事探そう。
「ところで最近は……」
王子、話が長い! どうでもいい事次から次へと! せっかくのお料理が冷めてしまう。ほら、目の前のチーズが固まり始めているよ!」
「あの、アルフレッド様」
「なんだい、アリア」
「食事はなさらないのですか?」
あなたが手を付けないと、あたしが食べられないじゃない。
「え、ああ、まだ時間にならないからな」
「はあ?」
「毒見の時間さ。遅効性の毒がないか確かめるには時間をおかないといけないだろう」
はあ? 冷めきるまで待つの? こんなにおいしそうな料理を?
もういい。頭の中の猫がニャーニャー騒いで、どっかに行ってしまった。
あたしは目の前の料理を思いっきり食べた。
「アリア?」
いいよもう。耐え切れないよ! あたしは口に入った料理を無言で
「アルフレッド様」
「お、おう」
「あたしの本性知っていますよね。この間見られましたし」
「ああ、あれか? いじめていた令嬢相手に啖呵切っていた。それがどうした?」
「あたしは育ちが悪いんです。ずっと下町で暮らしていたんです。だから本当は口が悪いし、マナーはなっていないし、料理は熱いうちに食べたいんです。毒を怖がって冷めた料理を食べるくらいなら、おいしいものを食べて死んだ方が本望なんです。食べるのも困るような生活をしていたんだから!」
言っちゃった。もういいわ。むしろ距離取ってもらった方がありがたいよ。生徒会で稼げなくなっても仕方ないね。
「そうか。そう思うか。 確かに料理は熱いうちに食べた方がおいしいよな」
え? 王子さま? 毒見時間は? いきなり食べ始めたよ。
「俺もな、料理は温かいうちに食べた方がいいと常々思っているんだ。予定外に来た店で毒を盛られるなんてあるわけないよな。何を怖がっていたんだ俺は。常識にとらわれ過ぎていた。ありがとうアリア。やはり温かいまま食べる食事は最高だな」
は? あれ? おかしいでしょ? そこは呆れるとか、軽蔑の目を向けるとか、怒りだすとか。
「アリア、やはり君は素敵だ」
「えっ? 王子? 頭おかしくなったの?」
「聞こえてるよアリア。ひどい言いようだな」
え? 声に出していた? やばい! 不敬罪じゃない!
「え、あの……。もういいわ! あたしはこれが素なのよ。口は悪いし態度も悪いの。生徒会なんて絶対に会わないのがあたし。だからもう気にかけないで! 生徒会も首にして! 学園で目立たないようにひっそりと生きていくから。卒業したら平民に戻るから! 放っておいてよ!」
いいよね。別に。どうせ最初から関係ない人だと思えば。
あれ?
「なんだ。この間も言ったけど君の発言くらいどうってことはないさ。下町言葉なんて聞きなれているし。アリアの話し方なんて大人しい方じゃん」
えっ? 本当に? そんなわけあるはずないよ。
「騎士コースの訓練でさ、メイド服を着た同期の子が『うおりゃー、てめえら舐めてんじゃねーぞ! 死にてーのかボケがぁ』とか言いながらボコボコにしている姿を普通に見ているからな。って言うか俺もやられているし。そいつに比べたらかわいいものだよ」
は? メイド服って女性だよね。なにそのヤサグレ感。どこの組の者よ!
「君の言葉ぐらいじゃ驚かないよ。殺気もこもっていないし。かわいいものだよ」
かわいい!……って、それ誉め言葉なの? 高位の貴族って何? 私がおかしいの?
「ほら、難しく考えなくてもいいから食べよう。温かいものは温かいうちにね」
本気で分からなくなったあたしは、とにかく腹を満たすために食べることに集中することにした。
食事が終わって寮の近くまで送ってもらった。夜に女の子を一人で歩かせるのは誘った方のマナー違反だと言われたら仕方がない。それでも王子に寮の前まで送ってもらうのは何かに面倒なことになりそうだったので、通り一つ分早めに降ろしてもらうことにした。
王子が先に降り手を差しだしてくれた。乗合馬車や荷馬車しか乗ったことのないあたしはその手を取るしかなかった。
「ありがとう。いろいろお世話になって」
お礼を言うと、王子は笑顔になった。
「こちらこそ、遅くまで付き合わせてしまったね。さっきも言った通り、これからも生徒会の活動に協力してくれ。アリアには期待しているんだ。困った事があったら何でも相談して欲しい」
「あ、ありがとうございます」
っていっても夏休み住む所ないなんて相談はできないよね。
「なにか心配ごとでもあるのか、アリア」
「え? 何もないです」
言えない! 思わず目線を外し俯いた。
「どうしたんだ、俯いたりして。俺はアリアを気に入っているんだ。俺は君のためにどんなことでもしてあげたい。どうか俺だけを頼って欲しい」
ああ。余裕がある人っていいよね。簡単に人を助けようとか言えるし。親切って余裕がないと出来ないのよね。
そんなことを思いながらも、断る理由もない。頼まなければいいだけの話だ。
あたしは社交辞令として「ありがとうございます」と答えた。
まさか、「どうか俺だけを頼って欲しい」って言葉が、付き合ってくださいって意味だとは思っていなかったのよ! 恋愛の言い回しなんてあたしが知っているわけないじゃない! それ以降も王子は必要以上に迫ってこなかったし! まあ、よく話しかけられるなとは思っていたけど、生徒会の仕事が多かったからだと思っていたのよ!
あたしがその事を知るのは二年生になってから。知っていたら断ったよ~! ちきしょう!
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