第四部

序章 アリアの入寮 412話

 グレイ領は東の端、帝国領と国境になる山を挟んだ場所にある小さな村。その隣の王都寄りにはアッミー辺境伯の領地が広がっている。帝国と戦争になったら真っ先に戦場になるために維持されている村だ。


 もっとも戦争など100年以上もなく戦場になった記憶を持つ者など誰もいない。昔は陸路中心だったため、帝国と王国の貿易のための国境警備などが行われており、かなり栄えた街だったのだが、海路が中心となって以来わざわざ山を越える危険を冒す商人もいなくなりただのさびれた国境の村になってしまった。


 防衛線上なくしてはいけないため、王国からはそれなりの補助が与えられている。それで不自由なく領地経営はできている微妙な領だ。


 そのため、商人は辺境伯の領地までしか来ない。辺境伯に頼み込んで商人が来る日を教えてもらい買い出しと干し魚などの特産品を売りにいく。その時に商人と一緒に領主一族の誰かが辺境伯に挨拶に行くのが儀礼となっていた。



 アリアが王都の学園に行くには、アッミー辺境伯の領地から商人の馬車に乗せてもらわなければいけなかった。本来であれば男爵家の馬車で送りながら領主夫妻が学園主催のパーティーで娘のために社交を行うのだが、義母である領主夫人の反対により実行できない。アリアも「私はこれ以上迷惑かける気はない」と一人で旅立つことに合意。実の父である領主もしぶしぶ受け入れざるを得なくなっていた。そこで領主自身がアッミーまで出向き、最後の別れをすることにした。


 辺境伯に娘と二人挨拶に向かうと、男爵はアリアについて「実の娘で聖女の力があります。ゆくゆくはどちらかの貴族に仕えることになるので、戻ることはない娘ですが何かあった時お力添えをお願いします」と丁寧に頼み込んだ。

 アリアは、(そんなことしなくていいのに)と思いながらも、むず痒い思いがかすかに起こったのを感じた。


 その日は辺境伯から客間をあてがってもらい父と最後の夜を過ごした。とは言っても何を言えばいいのか分からない父と、話す事のない娘。物言いたげな父が緊張したのか酒で潰れ、仕方がないのでベッドに送り込むと続き間の隣の部屋で寝るしかなかった。結局、引き取られはしたが何も進展がない父と娘の関係で終わった。



 次の日、アリアは制服に着替えた。荷物は両手に持てるだけ。アタッシュケース二つの中は、制服と寝巻、少しの下着とタオル。ペンとインクと紙の束。あとは持てるだけの本。


「服より本が多くないか? ドレスとか本当にいらないのかい?」


 父が娘にたずねると、アリアは父を見て答えた。


「学園にいる間は制服があればなんとかなるのでしょう? 制服も二着あるから旅の間は着替えにも困らないし、向こうに着いたらもう一着買うつもり。三着あれば二~三年は大丈夫でしょ。体も大きくなるし、一回は買い換えないといけなくなるだろうからその時は支払いよろしくお願いします。それよりも本をこんなに頂いて。本当にありがとうございました」


「ああ。本なんかいくらでも持って行っていいんだ。それよりオシャレとか趣味はいいのか? 女の子なら化粧とかも」


「いいの。私は学園が終わったら平民に戻るから。それより孤児院の寄付をお願いします」


「ああ。あれは商業ギルドに頼んであるから定期的に行くようになっている」


「よかった」


「アリア。君は私とサリアの大事な娘だ。困ったことがあったらすぐに教えて欲しい。出来る限りのことはしたい」


「サリア? ああ、母さんの名前ね。私の母さんの名前はリアだったよ。多分あなたが思っているサリアさんと私の知っているリア母さんは、同じだけど違う人だと思う。私はリア母さんから生き方を教えてもらったわ。だから大丈夫。私は一人で生きていけるよ」


 そこで会話は終わった。アリアは商人たちに挨拶をして馬車に乗り込んだ。

 領主も商人たちに挨拶をし、「娘をよろしく頼む」としょう硬貨の詰まった袋を手渡しながら頼んだ。



 海沿いをゆっくりと馬車で移動している。小さな漁村で商売をしながら休み休み移動するため王都までは一週間もかかった。


「海路使えば早いんだが、村を放ってはおくわけにはいかないしな。俺たちが来なけりゃ住むに住めなくなるのさ。大した儲けは出なくても、人の役に立つ限りはこれも必要なのさ」


 商人はアリアに対して気さくに話をできるようになっていた。最初は男爵とは言え領主からの預かりもの、かなり気を使っていたのだが、アリアが下町でつちかった商売上の気さくさで会話を始めたら気に入ってもらえたようだ。


「素晴らしいね。私の母さんも似たようなこといっていたわ」

「母さんって領主夫人かい?」

「いいえ、私の本当の母さん」

「そうか。何か分からんが聞かなかったことにするよ。いいお母さんだったんだな」


 商人はそう言うと馬に手綱を当てた。長い旅の中アリアは商人から王都や学園の情報を引き出していった。


「お嬢さん聞き上手だね。商人だったらやり手になれるよ」

「ありがとう。商人目指すのもいいかもね」


 潮風が頬をなでる。このまま学園に行かずに商人に雇ってもらってもいいかな、そう言うと商人は「やめてくれ。お嬢ちゃんを学園の寮まで連れて行くように頼まれたんだ」と苦笑いをされた。



 寮に着いた。玄関を開け寮母さんに名を告げると首を傾げられた。


「アリア・グレイさん? 名前がないわ。ここは聖女専門の寮なのです」

「私は聖女として学園に来ました」

「そう? ちょっと待ってね」


 寮母は奥に戻り、書類の束を持ってきた。


「ああ、あなたはグレイ男爵の息女ですね。この寮は基本的に平民と一部の法衣貴族のための寮なのよ。あなたみたいな土地持ちの貴族の方は貴族のための女子寮に振り分けられるの。聖女の資格を持っていてもね。そうじゃないと平民の聖女候補がすごしにくくなるから。それに高位貴族の女子は社交が大切なのよ。馬車は? え? もう帰った? 荷物は? それだけ? 分かったわ、後から荷物が届くのね。そうね、じゃあ貴族寮まで案内するからついてきて。少し歩くけど大丈夫かしら」


 アリアは頷いた。


「歩くのは大丈夫です。でも、私は貴族寮よりここの寮がいいです」

「そうなの? でも貴族と平民は生活習慣が違うのよ。卒業した後の生き方もね」

「知っています」

「だったら、貴族同士のコミュニティに入らなきゃいけないじゃない。分かるでしょ」


 寮母は諭すように話して歩き始めた。



 貴族の女子寮は法衣貴族用の部屋と土地持ちの高位貴族用の部屋では明らかな差があった。


「ここの寮にはあなたみたいな男爵や子爵の生徒と法衣貴族の生徒がいるの。伯爵家以上は王都にも屋敷を構えているからここに住むことがないの。メイドは二人までは常駐させていいわ。え? メイドがいないの? ドレス着られないじゃない。そうね、必要なら声をかけて。法衣貴族でメイドコースを履修した寮生紹介するから。上級生でも立場はあなたの方が上だから、良かったら雇ってあげて。ドレス着るにもメイドは必要でしょ。臨時のバイト扱いで頼むのも出来るから。ここの子たち苦労している子多いのよ」


 寮母はまだ若い24歳の優しそうな人だった。元寮生でそのまま就職したらしい。後から分かったのだが、寮母は6人、様々な人がいた。常時交代で最低でも4人はいるようなシフトを組んでいる様だった。


 寮では先輩後輩の関係だけでなく、土地持ちの高位貴族と法衣貴族、子爵と男爵の間でも扱いが違っていた。法衣貴族の子はなんとか土地持ちの貴族と縁を繋げようと必死だし、土地持ちの貴族の子は派閥を強固にしようと、新入生を観察していた。


 アリアはその中でハズレ扱いだった。メイドも連れず、ドレスもなく、制服だけで過ごすアリアは陰口を叩かれ仲間外れになった。あからさまな嫌がらせは寮内では寮母の監視によって止められたが、異物を見るような視線までは止めることができない。


 入学前から、アリアは学園の貴族社会からはじかれることになったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る