第三部

第一章 少女アリのお話 291~293話

 ヒラタの町。そこは港町サカの近くの長閑な伯爵領。その下町にアリという小さな女の子がいた。

 アリは母親と2人暮らしだった。


 アリの母親は、朝市で生肉を売る仕事をしていた。市場でものを売るには商業ギルドの許可と、裏を束ねている組へのみかじめ料が必要。


 生肉の販売許可は、加工肉の販売許可の10分の1。金のない初心者がついつい飛びつくハイリスクなもの。


 朝市の売り上げは、天気ひとつで大きく変わる。加工品なら明日に持ち越せるが生肉は無理。利ザヤも大きいのだが、外すと明日の仕入れにも困る危険な商品。

 だから、何も分からない初心者が飛びつき失敗して破綻するか、儲けた金で早々と安定した商品の販売権を買って肉の販売権を返すか。そんな危険な商売が生肉販売。


 アリの母親は、その中で成功している珍しい生肉販売のスペシャリストだった。



 アリの母親は、夕方になる前にアリをつれて冒険者ギルドへ肉を仕入れに行く。きれいな独り身の母と小さいアリは、どこに行ってもみんなから優しくしてもらえた。母は子持ちとは思えないきれいな人だったので、下心を持つ者も少なくなかった。しかし、母はそんなことはお構いなしに商売とアリだけを大切にしていた。


「やあ、リア。きょうもいい肉が入ってるぜ」

「ありがとよ。う~ん。ボアか。ボアはいいんだがこいつは一昨日のだね。そこに転がってるヤツ今日はさばかないのかい?」


「これかあ。今から捌けってか? しゃあねえ。アリ様のご注文だ。お前ら捌くぞ」

「「え~」」

「どうせ夕方には買い付けに来る奴らが増える。こいつくらい半分は売り切れるだろう? 明日は天気もよさそうだから、加工所のやつらにも売り捌けばいいさ」

「「へーい」」


 ボアが捌かれる姿を見ながら、満足そうにする母。アリは捌かれているボアを楽しそうに見ている。母は、職員と話を始めた。話がうまくいったのか、機嫌よさげに職員に酒を手渡した。


「ありがとうな。ああ、これ仕事終わったら皆で飲んでくれ。いつも世話になっているし、礼だ」


 こうして誰よりも早く仕入れに行く母は、ギルドの中で一番いい肉の一番おいしい部位を仕入れた。その代わりではないが、母はたまに職員たちに酒を渡していた。

 男勝りの言葉遣いの母を、アリはカッコいいと思いながら見ていた。



 アリの母の肉が売れるのは、仕入れがいいだけじゃない。家に帰った母は、買って来た塊肉をそのまま焼く。表面に焼き色がつく程度に。


 素人は朝すぐに売りたい気持ちが強くなるから、夕方買ってきた肉を売り物用サイズに切って一晩置いておく。朝は慌ただしくなるから。しかしそれでは表面の色が悪くなるし、鮮度も落ちる。表面を焼いて雑菌を殺し、すぐに水に漬け冷やしておくと、肉の中は翌日でも新鮮なまま。


 アリの母は、焼けた表面を切り落とし、空気にさらされてない肉の断面を客に見えるように並べる。客の要望に合わせてその場で肉を切る技術と、的確な保存法で市場の客からの信頼が厚い。肉はリアの店でしか買わないという客も多い。そのおかげで、リスクの高い生肉販売を何年も続けることが出来ているのだ。



 週に一度、みかじめ料を払いに組の事務所に行く。もちろんアリを連れて。


「やあリア。相当儲けているようだな」

「おかげさまでね」

「もう少し多く売らねえのかい? いつも早じまいじゃないか」

「やめとくれよ。生肉が売れ残ったらどんだけひどいことになるか分かるだろ」

「お前の店の肉が売れ残るとは思わねえがな」

「他の肉屋潰して恨み買いたくないんでね。新人潰しちゃあんたらも困るだろう?」

「そうなんだがなあ」

「はい今週分だ。受け取れ」


渡された金額を確認し、満足そうにする組長。


「おお。相変わらず安定してるな」

「それから、これは差し入れ。酒とつまみだ」


 焼いて切り落とした売り物にならない肉の表面の切り落としで作ったつまみと酒を渡した。


「ああ、いつもすまんな。あんたらぐらいだよ、差し入れまでしてくれるのは」

「持ちつ持たれつだろ。あたしら女だけだ。何かあったら頼りにしてるんだからさ。よろしく頼むよ」

「ああ。売り上げトップクラスの美人母子。しっかり守らせてもらうさ」


 母は、いたるところに差し入れを欠かさない。それが身を守る最善の方法。母はアリにその姿を見せ、またアリをそう言った人に認識させるため、いつも連れ歩いては交渉の現場を見せていた。



 母は家では優しい言葉遣いになる。アリは外でのカッコいい母も、家での優しい母も好きだった。


 母はアリに絵本を読んでくれた。家には絵本や本が何冊か置いてあった。貧乏な家に本は似つかわしくないのが本などの贅沢品。それでも母は、小さいアリに字を教え、簡単な計算を教えた。丁寧な言葉遣いも、下町の粗雑な言葉遣いも。


「いいアリ。世の中にはねいろんな人、いろんな職業、いろんな立場の人がいるのよ。だから、人に合わせて言葉遣いと態度は変えなさい。それから、字を読めると働ける場所が増えるわ。計算できると良い所で働けるのよ。いつも清潔な服を着なさい。見た目と知力は磨けば磨くほど輝くわ」


 やがてアリは『語学基礎』という本や、『計算基礎』という本が読めるようになった。



 七歳になったアリは、母からプレゼントをもらった。母がいつも首から掛けていたネックレス。チェーンの先に円形のコインを何倍も大きくしたようなプレートがついている。そこに複雑な模様が描かれ、魔石が組み込まれていた。


「これは母さんが父さんから貰った大切なペンダントよ。無くさないようにいつも首から下げて服の中に隠しておきなさい。あなたの身を守るお守りになるわ」


 母が大事にしているペンダント! アリは飛び上がって喜んだ。大人になった気分だった。首から下げてじっと胸元を見つめると、クルクルと回った。スカートが舞い、ペンダントがふわりと浮いた。


「ねえ、似合ってる?」

「ええ、ステキよアリ」


 そう言われて照れながらクルクルクルクル回り続けた。


 毎朝目が覚めるとアリは、キラキラと光るプレートと魔石を丁寧に磨いては「これは大事な宝物。私のお守り」と言いながら首にかけるのが習慣になった。



 七歳になったアリはもう一人前の店番。包丁の扱いはまだまだだが、ギルドの仕入れやみかじめ料の払いは任されるようになった。


「おっちゃん、今週のみかじめ持ってきた」

「おう、いつも元気だなアリ」

「母さんから差し入れも預かって来たから」


「おう! いつもすまんな。そうだ。珍しい菓子を貰ったんだ。食うか?」

「ほんとに! 食べる食べる」


「はは! まだまだ子供だな」

「子供じゃない!」

「ははは。ほらよ、リアの分も入っている。持ってけ」


 笑いながら菓子を手渡す組長。こわもての組長もアリは孫のように扱った。


 裏稼業との付き合い方、客のあしらい方、肉の処理、包丁の扱い方、まだまだ覚えることは多いが、アリは小さい頃から母について回っていたのでそれなりにはこなせるようになっていた。


母の役に立つ! アリはその一心で今日も頑張って手伝いをした。



 それは、じめじめとした夏の朝の事だった。石造りの街は夏の日差しで照らされると、建物も道も一斉に熱をためる。夜中に少しだけ降った雨がすぐ石の熱で気化し、もやがかった蒸し風呂の中に放り込まれたような、うっとうしい朝だった。


 薄暗い中、店を開くための準備を母とアリはしていた。朝の準備も早いため、同じように早くから準備を始める常連さんは数少ない。挨拶を交わしながらいつも通り作業をしていた。


「今日みたいな暑さの日は、あまり売れそうにもないわね。おまけを増やしてもいいから早く売り切って帰ろうか」


 常連のお客が買いに来ると、母リアは愛想よく肉を大きく切り分けサービスをした。お客さんは大喜びで「また来るよ」と帰っていった。そんなお客も少なくなってきた頃、売れ残った肉を同じように売れ残った野菜などと交換するため、少しの肉とアリを残しリアは店から離れた。売れ残りは皆で交換することで夕飯が潤うというもの。特に生肉は喜んで交換して貰えた。


 もしかして来るかもしれないお客を、アリは一人で待っていた。その時、


「「キャ――――」」


 という大声の叫びがいくつも聞こえた。


 あらゆる人が声の方に走った、アリも売り上げの袋を片手で持って店を飛び出した。

 人ごみをかき分け悲鳴の下に行くと、組長が大声を出しながらどこかのおばさんを殴り倒していた。

 その奥には、包丁で腹を刺された母さんが倒れていた。


「この泥棒猫が悪いんだよ! あたいの亭主に色目使って寝取ったんだよ」

 おばさんは大声で喚いていた。


 アリは母さんに駆け寄って、包丁を抜こうとした。


「やめな! 刃物に触るな! 血が噴き出す。衛兵と医者が来るまで動かすな!」

 組の若いのがアリの手を取り止めた。




「アリ。私のアリ……」

 母さんはアリの頬に手を伸ばした。


 アリは母さんに抱きついた。


「母さん。母さん!」


「アリ。大丈夫。こんなことじゃ母さん倒れないわ。安心しなさい」


 グスグスと泣くのをこらえてアリは母さんの顔を見た。


「あなたには生きるすべを教えたわ。大丈夫。アリ。あなたは大丈夫。だい……じょうぶ……よ。わたしの……ア……リ………………」


「母さん!」


 アリは母さんを抱きしめた。「ウゥゥゥ」とくぐもった音が喉を伝う。嗤うように見える、困ったような顔に表情が崩れていく。

 ポツリ、ポツリと、雨が落ちてきた。雨にうながされるように涙が頬を濡らした。


 そこで、アリの感情が動いた。


「うわぁぁぁぁぁぁ――――――!」


 ゲホゲホと息を詰まられながら喚いた。声は言葉にならない。ただ意味もない音だけが喚きとなって喉を潰す。

 母さんの体から力が抜け、ずっしりと重くなった体はアリの膝にうずもれた。


 急に強くなった雨が、アリと母さんの体を叩きつけるように降り注いだ。



 リアは人違いで刺された。刺したおばさんの亭主を組長がしばき上げた結果分かったのは、おっさんが浮気していたのは全くの別人で、嫉妬にとち狂ったおばはんが勝手に勘違いし起こした殺人だった。しかし、人の噂は勝手なもの。なまじリアが美しかったこともあり、真実をいくら流そうとしても勝手な陰口を止めることは出来なかった。


 人々のアリを見る目は冷たくなった。


 おばさんは死罪。旦那は罪はなし。リアは死に、アリは独りぼっちになった。

 元々リアとアリ二人の親子を気に入っていた組長が男気を出し「俺が引き取る」と交渉したが、所詮はならず者。子供のためにならないと引き離された。

 組長は、「困った時はいつでも俺を、組を頼れ」とアリに言い残すのが精一杯だった。


 そうして、アリは孤児として孤児院に連れていかれた。



 孤児院についたアリは、丸まると太った教会の神父から狭い部屋に連れていかれた。

 神父はアリに服を脱ぐように命じ、アリが拒否すると無理やり服をはぎ取られた。

 抵抗しながらも服をぬがされるアリ。首に下げていたネックレスがチャリンと床に落ちた。


「これは?」

「返せ! 母さんから貰った形見だ!」


 神父はネックレスをしげしげと見ると、「チッ、貴族案件か」とつぶやき、小汚い服をアリに放った。


「お前はこれから孤児として扱われる。その服を着るんだ」


 アリは素早く服を着て、神父に「ネックレスを返せ、泥棒」と、わめいた。


「ああ。これはしばらく調べさせてもらう。お前の父親が分かるかもしれない。しばらくしたらちゃんと返そう。教会に問題が起こらないためにだ。いいな」


 それでも返せと近づくアリを神父は思い切り蹴った。


「お前は孤児だ。我らの言う事を聞くように。どうされようが文句など言ってはならん。それが孤児の在り方だ」


 床でうずくまりながらゲホゲホとうごめくアリに向かって、神父は嫌なわらい顔をしていた。



 アリを引きずり、神父はアリを別の部屋に連れていった。ドアが開くとすえた匂いがアリの鼻を襲った。


 中を見ると、そこには十数人の孤児が固まるように身を寄せ合い、3つの固まりが出来ていた。


 孤児たちは、うつろな目でアリを見つめた。

 アリは神父に背中を押され、部屋の中に投げ飛ばされるように入れられると、ドアが閉まりガチャリとカギを掛けられた。


「新入りか? ようこそ地獄へ」


 孤児のリーダーがアリに声をかけた。


「これから俺の言う事を聞いてもらう。いいな」


 虚ろな目をしたリーダーがアリを突き飛ばして言った。


「何でよ! なんであんたの言う事を聞かなきゃなんないのよ」

「生意気だな。そら、引ん剝け」


 リーダーが声をかけると、孤児たちが一斉にアリに襲い掛かった。

 しかしアリは下町の朝市育ち。ならず者の組長とも仲のいいアリは喧嘩の仕方から泥棒、スリの相手の仕方も小さい頃から教えられていた。ケンカなど日常茶飯事。普段からロクなものを食べさせて貰えない孤児などすぐに叩きのめした。


「こちとりゃ、ゴーン組で世話んなってる肉屋のアリだ! 文句あんなら、いつでも相手してやらあ」


 仲間が次々とやられ、リーダー1人が残った。


「何だよ、痛めつけてなかったのかよ神父め」


 いつもは神父に肉体も精神もボロボロにされてからここに押し込められる新人。そこに止めを刺して心を折る役のリーダー。それが役割のはずだった。


 アリはペンダントのおかげで、守られた。


 リーダーをボコボコにし、アリは孤児の裏のリーダーになった。



 孤児院に入れられて一ヶ月後、アリにペンダントが戻ってきた。神父はアリに言った。


「お前の親父が見つかったよ。残念だが迎えに来ることは出来ないらしい」


 嘲笑あざわらいながら告げた神父はアリを見下すと、さらに続けた。


「だがな、毎月寄付をしてくれるそうだ。よかったな、お前はまだましな扱いのままだ。親に感謝するんだな。ほら、こいつがお前とお前の親父を繋ぐただ一つの証拠だ。持ってろ」


 そう言うとアリにペンダントを放った。

 アリは、飛びつくようにペンダントを拾い上げ、服の裾で拭くと傷が無いか調べ首にかけては服の下に隠した。


「忌々しい。生意気なアリ。早くおとしめてやりたいのに」


 アリに聞こえるように言い捨て、神父はアリを部屋から出した。



 その夜から、食事が少しだけ改善された。寄付の一部は孤児のために使わないといけないから。ほとんどは神父たちの懐に入っていったのだが。


 夜になると、何人かの女の子が神父に呼ばれる。服を脱がされたり触られたりしているらしい。聖職者は清らかでなければいけないが、孤児は人扱いではないそうだ。「アリは貴族の子供扱いだから呼ばれないって言っていたわ」と帰って来た少女が言った。「寄付がなくなったら分からないけどね」とも言っていたそうだ。


 アリは気持ちの悪さが胸の中一杯に広がるのを感じた。


 ロクな飯も与えられず、こき使われ、罵声を浴びせられ、暴力を振るわれ、慰み者にされる。それが孤児の日常。まだましな扱いを受けているアリは、神父たちの食べ残した残飯をこっそり取って来ては分け合って食べたりした。なんとか孤児のみんなと生きのびるために頑張った。



 1年ほど孤児として過ごすと、もはや気持ちも表情もなくなったかのようにすさんでいった。


 前のリーダーは、奴隷として石切り場に売られ、女の子の何人かは花街に売られた。小さな子供は、何人も亡くなった。孤児に葬儀は必要ない。神父は孤児に穴を掘らせ埋めさせた。みんなは土をかけながら、「地獄から離れられてよかったね」と泣きながら言った。


 生きているのが幸せなのか。死んだ方が幸せなのか。孤児たちは答えが分からないまま日々生きていた。


 ある日、機嫌の悪い神父に暴行を受け、それが元で高熱を出した男の子がうめいていた。アリはいつものように看病をしながら母にして貰ったように「痛いの飛んでけ。熱よ飛んでけ」と男の子の傷を触れるか触れないかの間隔で撫でる振りをした。いつものおまじない。気がまぎれるだけでも儲けもの。そう思っていた。


 ほのかにアリの手が光った。暗い孤児院の中では、それは奇跡の光景。かざした手の下の傷が少しだけ小さくなった気がした。


「痛いの飛んでけ」「痛いの飛んでけ」


 何度も何度も手をかざし、おまじないをかけると、傷が少しづつ薄くなった。ほんのりとした赤い線に変わった頃、アリは倒れるように眠った。


 アリは、光魔法を取得した。

 母さんが死んだ夢を見るたび、思い出すたび、直せる力があったらと祈り続けた結果だった。心のそこからの叫びが、神に通じたのだった。



 神父はあせった。光魔法が顕現けんげんした少女は学園に入れなければならない決まりだ。父親の所在も分かっている。なにより、教会本部と領主と国に報告しなければならない。


 今のままのアリを、貴族の父親が見たらどうなる? 国の役人が見たら。教会の人間なら事情は汲んでくれるだろう。しかし他は……。


 神父はアリを呼び出した。


「アリ。お前は光魔法を授かった。神に祝福された者になった。敬虔なる神の使徒になるように」


「けっ! 今まで人扱いしなかったのに何言ってやがる」


 アリは知っていた。光魔法が使える者に酷いことが出来ないことを。


「そんで、あたしにどうしろって言うんだぃ」


 アリはわざとならず者の言葉で答えていた。交渉する時は強気に出ろ、という組長の教えだ。


「アリ、お前には半年でレディとしてのマナーを覚えてもらう」

「なんでさ」


「お前は貴族の通う学園に入らなければならない。これは決定事項だ。国から正式に勅命が来る。光魔法を使える者の使命だ。だが、そんな言葉遣いや態度では、儂の沽券にかかわる。半年後、お前の力を各所に報告する。それまで礼儀を覚えるように」


 神父は決定事項だと言うようにアリに命じた。


「なんであたしが従わないといけないのさ。孤児院での出来事、洗いざらい言ってやればいいんだろう。その各所とやらにさ」


 神父は苦々しく言った。


「ちっ、頭のいいガキはこれだから……。いいか、死んだことにして孤児と同じ扱いにしてもいいんだぞ」


「できるのかい。神罰が下るぞ」


 魔法は神の与えた力。それをないがしろにするのは神への裏切り。神罰が下った例はいくつも記録されている。


「何を要求したいんだ?」


 かかった、とアリは思った。


「孤児院の食事の改善。どうせお父様とやらからたんまり貰ってんだろ。それから孤児に暴力を振るうな。夜に女の子を連れ去るな。後は新品の毛布を人数分寄越せ」


 少し間が空き、神父は嫌そうな声を吐いた


「クソッ! 分かった。その代わり孤児院のことは誰にも言うな」

「ああ。あいつらが無事ならそれでいいよ」


 これ以上は無理なことはアリにも分かっていた。毛布までは無理かと思っていたのだが、それも聞いてもらえた。よほど貰っているんだな、と思ったのだが、口には出さずにいた。


 それからアリは、孤児院から放され神父の宿舎で暮らした。日々言葉遣いやマナーを仕込まれるために。


 元々、母さんからいろいろ教えられて素養はあったアリ。猫のかぶり方はマスター出来た。



 半年後、孤児院から光魔法を使う子供が発見されたと領主に報告が上がった。同時にアリの父親にも連絡をした。


 アリの父親はグレイ男爵。若い頃学園で好きになった法衣貴族の娘サリアと結ばれようとしたが、家の都合で子爵家の娘と結婚する事になった。泣く泣く別れた2人だが、後にサリアが妊娠していることが判明した。家族とこじれ家を逃げ出したサリアは、リアと名を変え下町で暮らした。


 男爵は、アリの事を聞かされた時、引き取ろうと思った。だが奥様に反対された。奥様との子供も娘が1人。同い年の子供だった。


 男爵は、とにかくアリを孤児扱いさせないために、毎月寄付をすることにした。


 しかし、今回光魔法を使えることが発覚した。教会に登録した瞬間から聖女として扱われる。国の保護も入る。引き取らないわけには行かなかった。 


 男爵は喜んだが、奥様は複雑。奥様にすれば浮気相手の娘。しかも生まれた月は向こうが早い。けれど引き取らないわけには行かない。露骨ないじめもしてはいけない。

 奥様は顔を合わせないようにしようと決めた。



 領主と父親に会うため、美しいドレスを着せられたアリ。神殿で神父と二人きり最後の打ち合わせをした。


「じゃあな、クソ神父。お父様とかやらからはこっちへ寄付を続けるように言っとくよ。あたしがいなくなっても孤児たちの扱い変えるんじゃねーぞ」


「全く口の悪いガキめ。とっとと猫をかぶれ。お前が金を送っている間はそうしてやる。神に違うさ。だからさっさと猫をかぶれ」


 アリは背筋を伸ばし、にっこり笑った。


「これでよろしいかしら? 神父様」


「ああ。背中の猫を大切にな」


「神父様も、孤児にやさしくあたって下さいよ。私はいつでも追放されて下町に戻ってもよいのですが、神父様は追放なんてお嫌ですよね」


「くっ! 約束は守ろう。お互いにな」


 神の前で正式な契約を交わした。誓約書がまぶしく光って契約は完了。アリは教会を出ていった。


「二度と来るか。バーカ」


 優雅に馬車に向かってあるき始めたアリ。


 アリは、グレイ男爵に引き取られる時、貴族として名を3文字に変えるように言われた。


 アリは、母さんのリアを名前に混ぜアリアと名乗ることにした。


(聖女、アリア・グレイ男爵令嬢として私は生きる。

 大丈夫、あたしは、どこでだって生きていける。母さんが生きる術を仕込んでくれた。

 大丈夫だよね母さん。あたしはどこでだって生きていくよ)


 父親以外は、全てがアリアを受け入れられない男爵家。それでもアリアは孤児院よりましな生活だと思っていた。


(学園に入ればこの家も出られる。後は一人で生きる道を見つけるだけだ。そう思えば嫌われていてもなんてことない。母さんを嫌な目で見ていた下町のヤツらよりぬるい。孤児院のクソみたいな生活に比べたら天国にいるよりも幸せだ。大丈夫。私は一人で行けぬいてやる)


 そう決めたアリアは、書斎を使う許可を貰うと、毎日一人で勉強を始めた。




 それが、少女アリのお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る