出逢

 父ちゃんが亡くなって、俺は自由気ままに、俺の人生を生きていた。


 帝都の方の捜索も打ち切りになったらしいし、俺も帝都には近づかないようにしている。父ちゃんが、ああなってしまったことに、責任の一端を感じた俺は、不用意には動かないようにした。俺が目立つ事で、迷惑がかかる人、不夜城のお姉ちゃんたちが心配だからだ。


 好きな時に食事して、好きな時に寝て、空いた時に稽古をした。身体の鍛錬は欠かさない。父ちゃんほどではないが、俺も強くなったのではないか、と思っている。


 たまに不夜城から姉ちゃんたちが、お忍びで様子を見に来てくれる。姉ちゃんたちは、娼館で働かないか、と勧めてくれるのだが、帝都には戻りたくないし、俺は独りで気ままに暮らしている方が性に合っている。


 街外れの森の中にある父ちゃんの墓を守れるように、マグダラの街のボロ小屋に住み続けているのだ。


 毎晩、稽古の終わりに、父ちゃんの墓参りをして、湖で水浴びをする事で、一日を締めくくっている。


 この湖にはヌシと呼ばれる巨大魚がいるらしい。俺はそれを虎視眈々と狙っているのだ。何としても捕まえて食料にしたい、と考えている。

 湖の畔に大きな大聖堂があって、何故か、夜中に人が飛び降りることがある。それを狙ってヌシが動き出すのだそうだ。


「モレルウウウウウゥゥ……」


─バシャン!


 ほら、あのように人が飛び込むと、ヌシが現れて、ソレを喰らうのだとか。


 ……え? 今、飛び込んだ?


 俺は音がした大聖堂の方へ泳ぎ始めた。きっとヌシも同じように向かっていることだろう。喰われてどこかに行ってしまう前に、辿り着かなければ! 俺はこの為に、夜な夜な泳ぎの特訓もして来たんだ!!


「お、れ、の、晩飯いいいいいい!!」


 それにしても、こんな夜中に飛び降りとかどんな奴だ!? あれ? そう言えば落ちたは良いが、上がって来ねぇな? ヌシに先越されたか!?


 俺は落ちた音がした辺りに辿り着くと、一気に潜水した。


 水中は薄暗いが、満月の月明かりがある分、普段よりは幾分見通しが良い。

 俺は湖の底の方から上がって来る、キラキラと煌めく気泡を追いかけた。両手をピンと広げて沈んで行く少女が見える。

 円らな瞳に満月の光がきらきらと反射している。生きているようだ、しかし。


「何なんだ?」


 と、思いつつも、少女の手を取り、一気に浮上する。


 ぶはっ、と水面に飛び出し、少女を引き上げて、空気を吸うのを確認する。


「おい、意識はあるな?」

「ワカリマセン、モウシナセテクダサイ、オネガイシマス」

「ばか! そんなお願い聞けるか! 死にたいなら、俺のいねぇ時に死ね!」

「ケチンボ」

「おま──っ!?」


 俺は足元から迫る気配に、ひゅっ、と空気を吸った。


 マグダラ・タライロン。


 この湖のヌシだ。


 足元に真っ黒な影が広がる。とてつもないデカさだ。


「お前、ここで餌になれ!」

「え──っ!? 助けてくんないの──っ!?」

「死ぬんじゃなかったのか? まあ、助かりたきゃ、じっとしてろ?」

「あわ、あわ、わかった!」


 そんなやり取りをしている間にも足元の影は、凶悪なまでに大きく広がり、今にも飲み込まれようとしていた。


「あっ……、私、死んだっしょ」


 彼女は水面ごと下から押し上げられて、バクン、と一飲みにされた。


「おい、こっちだバケモン!」


 マグダラ・タライロン。少女を容易に丸のみに出来る巨大魚だ。水面に無防備にも突き出し、ギョロリ、とこちらを見る頭を。


 どごん、と横殴りにした。


 タライロンの大岩のような頭が大きくブレて、バシャン、と水面に叩きつけられ、反射的に口に入れた女性を吐き出した!


 でろん、ぱしゃん……。


 タライロンは水面にだらしなく横たわり、プカリ、と横っ腹を浮かべた。頭は大きく陥没している。


「……ヤッたか?」


 ……彼女の姿がない。


「あっ……!?」


 あいつ、泳げねぇの、忘れてた!!


 俺はもう一度潜水して、彼女を引っ張りあげた。水面に浮上すると、タライロンが動かないのを確認して、先に彼女を護岸へと運んだ。


 ざばぁ、と彼女を背負って足のつくところまで来た。そのまま岸まで歩こうとすると。


「お、お、おろせ! はやくうううう!」


 突然、彼女が騒ぎ始めた。


「陸はもうすぐそこだ、じっとしてろ」

「ばか! も〜もれっ……あっ……あぁ……うっ、ゔぅ゙……」


 俺の背中に何か温かいものが伝う。彼女の体温? いや、これは……。


「おい! おまっ!? きったねっ、早く止めろ!!」

「……モウムリ。トマリマセン、ゴメンナサイ」

「……」


 ザブン! と投げた。


「何すんのよ!?」

「それはこっちのセリフだろ!?」

「今のは不可抗力だかんね!?」

「汚ねぇもんは汚ね─っ!!」

「そんなあんただって汚いモンぶらさげ──えっ!?」

「あっ……」


 ザブン! 湖に浸かる。


「み、見た!?」

「……ミテナイデス、タブン」

「見たな!?」

「……チョットダケ?ソリャミエマスヨ?スッパダカナンデスモン、コレモフカコウリョクデスヨ。グエヘヘヘヘヘ……」

「ぺたんこなす」

「なによ! へにょへにょ」


 やっぱり見られてた。くそう。額の角もか?


 俺は魚を引き上げようと、先程の場所に目を遣ると、既にタライロンの姿は無かった。脳震盪で気絶していただけだったのか? しくった……完全にしくった! 俺の晩飯が……。くそう、旨そうだったのに……。


「うっ……」

「え? なに、泣いてるの?」

「わりぃかよ……」

「私だって泣きたいよ?」

「お前に俺の何がわかる……」

「何にも? あんたに私の何がわかるの?」

「わかんねぇよ……」

「塔に幽閉されたり、気持ち悪いおっさんに裸で追い詰められて、襲われかけたり、塔から飛び降りて、大きな魚に食べられて、あんたに裸見られて、おしっこ漏らして……それに……」

「ひ、ひでえな、……それに?」

「この首輪……外さなきゃ忌子だってバレるのに、外したら死の呪いをかけられるって、もう人生詰んでると思わない?」


 バキッ!


「……」

「……」

「……何ともなくない?」

「……あ、あんた、それ……」

「うん、呪いの首輪?」

「いや、うしろ、うしろ……」

「へ?」


 ふぅぅぅ……、と冷たい吐息が俺の頬を掠めた。ピキピキと空気が凍る音がする。


「十三日後」


 その声は、突然俺の耳元で発せられた。


 身体が動かない。


 が、気配で解る、抗いようもない、凶悪なまでの力が、俺の運命の糸を死とかさねた。


「お前の名前は、この生死の書に記した。十三日後、お前はこの書から名前が消え、その存在をも消えることになる」


 邪悪な気配しか感じないその書物には、確かに俺の名、ルカ・シグルズ・ベオウルフの名が記されている。

 

「我が名はアズラエル。十三日後、私の姿を見た時が、お前の最期の時だと思うがいい」


 俺の喉元に冷たくて、金属質の、とても鋭利な刃物が当てられた。とんでもなく大きな大鎌だ。

 刃を当てられた箇所から滲み出た血液が、首をぐるりと一周して、何かの模様を成してゆく。


 何の気配もなく突然現れたアズラエル。

 背中には月明かりに黒光りした大きな翼。骨張った右手に禍々しい目玉のついた大釜、左手に何かの皮を縫い合わせて製本された書物。頭上には血がついた荊冠けいかんが浮遊している。こいつは天使か死神か、どっちなんだ?


 彼女がグイグイと、俺とアズラエルの間に、その薄っぺらい裸体をねじ込んで来た。


「ちょっとあんた! 殺すなら私にしてくんない!? どう考えたっておかしいでしょ!? 私の方が死にたがってて、なんなら首輪だって私に付いてたじゃない!? どうして私じゃなくて、そいつなのよ!?」

「おい!?」

「私の書にお前の名前が無いからだ」

「書いてやるわよ! 寄越しなさいよ、ほら!!」

「断固として拒否する」

「なんでよ!?」

「首輪を壊したのはこの男だ」


 バキッバキッバキッ!

 彼女は、壊れた首輪を踏みつけている。


「何やってん?」

「粉々に壊してんのよ。ねえ、おっちゃん、私の名前載った?」

「……もう茶番はこの辺で良かろう? 十三日だ、せいぜい楽しむがよい」


 ふっ、とアズラエルは音も無く消えた。俺の首にはトライバル様の刻印マーキングが残された。


「うがああああああ!!」


 頭のおかしい女がめっちゃ地団駄踏んでやがる。 


「……お前、どうしてそんなに死にてんだ?」

「……ダッテ、ヒトリデイキラレナインダモン。モウジンセイツミヨツミ!」


 彼女は木の根元に三角座りしてブツブツ言い始めた。


 俺は自分の服を着て、荷物をまとめた。


 ちらり、彼女に目を遣る。


 じっ、とこちらを見ている。


「……」

「……」


 ざっざっ……俺は構わず歩き始めた。


「あの!」


 ……くそ。


「あの……」

「なんだ?」


 俺は止まって、軽く振り返り、ぶっきらぼうに返事をした。


 彼女は、すっくと立ち上がってこちらを見ている。


「用がないなら──」

「──私を!」

「……」

「私を拾って下さい、お願いします!」

「……」


 俺は返事を保留して、向き直る。


 彼女、は下げた頭を少しだけ上げて言う。何でこいつ!?


「顔が笑ってるからムリ」

「そんな〜!?」

「そもそもお前、俺に助けられて、お礼も言ってねえだろ!?」

「……」

 

 ちゅ♡


「おまっ!? 何すんだ!!」

「お礼……だよ?」

「お前のパーソナルスペース、イカれてんじゃねえのか!?」

「……グスン」

「お、おい!?」

「ハジメテノキスダッタノニ……ヒドイ……」

「あーもー!! わーった! 拾ってやるから文句言うなよ!?」


 ちゅ♡


「んっ、おまっ!?」

「お嫁さんにしてください!」

「てめっ! からかってやがんな!? こちとら、あと十三日の命なんだぞ!?」

「その時は一緒に連れてって? 心中、心中♡」

「ばかっ! あほっ! お前と心中なんざ……」

「イヤ?」

「俺は死なねえかんな?」

「……ねえ?」

「んだよ!?」

「あと十三日間、ナニする?」

「言い方!?」


 どうやら俺は、死神と疫病神を拾ってしまったらしい。


 十三日間、ナニするよ!?



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挿絵:ルカ&アズラエル

https://kakuyomu.jp/users/dark-unknown/news/16818093080771784380


挿絵ルカ&アズラエル②

https://kakuyomu.jp/users/dark-unknown/news/16818093080775875327

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