忌み子と忌子 〜呪われた十三日間〜

かごのぼっち

逃亡

       【忌み子】



 望まれずに生まれて来る子なんて、いてはならない!


 少なくとも私は、この子の生を望んでいるのだから。


 世界がこの子を忌避したとしても、私だけはこの子を愛している。


──『ルカ』


 どれくらい逃げただろうか、まさかこんな貧民窟スラムまで追手が来るとは思っていなかった。

 靴も履かずに、朽ちたテントを出て来たものだから、足の皮が、ずるずるに剥けて、小さな石片が突き刺さっている。痛い。

 しかし、私はその足を止めるわけにはいかない。追手はすぐそこに、来ているかも知れないのだから。


 

──聖剣


 手に持つものを勝利へと導き、無敗の栄光と、絶対的権力を、その手に収めることができるという。


 帝国の天敵が聖剣を手中に収めてからというもの、破竹の勢いで周辺諸国に進軍している。

 その反面、捕虜や亡命者などの難民が帝国へと流れ込み、ここ貧民窟スラムは拡大し続けている。

 政府は戦争に人手と予算を割いており、ここ貧民窟スラムまで統治出来るわけもなく、今や無法地帯となっている。

 

 ならず者が徘徊し、賭博、窃盗、強姦、殺人などは日常的に行われており、衛生面は行き届いておらず、性病や疫病なども蔓延している。

 人の死骸がごみ山の様に、いや、訂正しよう、人の生死を問わず、中には産まれたての赤子まで棄てられている。無作為に出産しても、自らの生活に手一杯で、育児に手が回らないのだ。

 その屍山血河しざんけつがは強烈な腐敗臭を漂わせており、その匂いを嗅ぎつけて動物や虫、魔物などの餌場となっている。また、それらを媒体として、様々な感染症を引き起こしている。


 私は追手を逃れる為に、その蠢く死骸の山へと身を隠した。


 身体はローブで覆っているが、この強烈な腐敗臭からは逃れられようもない。身体を覆っているローブにも何かしらの液体が染み込んでくる。うぞうぞと蠢く虫が、ローブの中に入り込み、私の血肉を貪ろうとする。皮の剥けた足にはぬるりとした何かがずっと纏わりついている。が、動くわけにはいかない。声を上げるわけにはいかない。


 見つかるわけにはいかないのだ!


「ルカ、少し、あと少しの辛抱だから……お願い、声をあげないでちょうだい……。お願いだから……」


 ザッザッザッ、と複数人の足音。


「おい、本当にこっちに逃げたのか!?」

「間違いねぇ!」

「うえっ! それにしても臭ぇな! 息も出来ねぇ!」

「忌み子だっけか? とっととって戻ろうぜ!」

「ああ、まとまった金が入るのは久しぶりだ。今夜は酒池肉林だな!」

「じゃあ、早く片付けねえとな?」

「ああ、行こう!」


 追手は三人。


 貧民窟スラムは有象無象に人がいる。私がここに隠れていることも、誰かが見ていたかも知れない。そういった情報は売れるのだ。現に私の情報が売られて、彼らがやって来たのだから。

 私だけなら別にいい、この世界に未練はない。しかしこの子は別だ。何としても生きて欲しい。何としても……。


 そうだ、だ!


「ああうっ……うぎゃあ! おぎゃあ!」

「あっ、だめ! お願い、泣かないで!」

「赤子の泣き声だ!」

「おい、こっちだ!」

「いたぞ!!」


 私はすべなくて、男三人にとり囲まれた。手には襤褸ぼろ切れでくるんだ赤子を抱いている。


 もう逃げ場はない。


 男たちは眉間を上げ、口角を左右に大きく引っ張ると、そのまま頬へと持ち上げた。


「殺すには惜しい上玉だが、とにかく汚ぇな」

「変な病気も持ってるだろうし、諦めろぃ」

「だなっ!」

「どうか! どうか、この子の命だ、けあっ──!?」


 グシュッ、と刺される。


 一突きだった。たった一突きで赤子は絶命した。


 そして


 グシュグシュグシュッ……。


 私は三本の槍に胸を突かれた。そのまま力なく項垂れる。


「ぐふっ……あっ……ああ……」

「殺ったか?」

「槍が汚れるからあまり突きたかねぇが……」


 ザシュザシュザシュ……。


「どうだ?」

「ああ、息はしてねぇ」

「よし! 撤収だ!」

「それにしても臭え! こんなところ早く出ようぜ! ペッ!」

「忌み子は持って帰らなくても良いのか?」

「はあっ? 見てみろよ、糞尿まみれで病原体そのものだぜ?」

「うっ……それもそうか」


 男たちは不快な顔で、槍に付着した血液を振り払いながら、貧民窟スラムを去ってゆく。


 手の中の襤褸ぼろ切れから、生暖かい血液が染み出してきた。

 私は中の赤子の頭をひと撫ですると、額にキスをしてそばに置いた。


「……ようやく、ようやく逢えた。私のルカ……」


 私はローブをめくって、自分の股の間から、我が子を拾い上げると、へその緒を切って、懐に隠しておいた比較的綺麗な布で身体を拭いた。

 しかし、私の生命いのちも、もう……。


「忌み子……と言いましたかな」

「──誰っ!?」


 失血で朦朧とする視界の中で私は、声の主を仰ぎ見た。追手、ではない。


 見れば長い白髪を後ろで束ねた、どこか見覚えのある老人が立っている。

 彼は鋭い眼光を持ってはいるが、私を見る目は敵意のあるものではない。

 私は、意識を保ちながら声を絞り出す。


「あな、たは……?」

「堕ちた剣士、と言えばお分かりでしょうか、ヘレン様」

「……ぐっ……ま、さか……アル?」

「その名前、お懐かしゅうございますね」

「アルマンド……あなた……ごふっ!」

「ヘレン様、あなたの声を聞いて、急ぎ、足を運びましたが、間に合いませんでした。申し訳ありません。貴方様には返しきれない恩義がございますれば、非常に残念にございます……」

「アル、お願い、が、ありま……」


 失血により、意識を保つのがやっとで、声が出ない。


「はい。その子、ですね? 私に育てられるのかどうか……」


 私はアルマンドのローブの裾を掴んだ。口からドバドバと血が溢れてくるが、それらを全て吐き出して、


「かはっ、か、まいません! ルカ、を! お願い、出来ますか!?」


 私は、最後の力を振り絞って声にした。


「……はい、かしこまりました」


 男は目を細めて首を大きく縦に振った。


 女はそれを見届けたのかどうか、血の涙を流しながら、その言葉を最期に絶命したようだ。


 アルマンドはヘレンへと近づいて、その力強く見開いた目を、そっと閉じた。


 そして、ヘレンの腕に優しく包みこまれた赤子を丁寧に抱き上げると、アルマンドは驚いた。


「この子は……」


 赤子は、じっとアルマンドを見つめている。

 瞳は血に染まったように紅く、その瞳孔は縦に割れていた。そこから覗く網膜は、銀河のように煌めいている。

 アルマンドは赤子の額の上、髪の生え際に、ちょこんとに触れた。


「鬼子……。鬼子にして忌み子……か、生まれながらにして呪われた人生よの? されど」


 死体の山から生まれたその生命いのち。決して望まれて生まれたとは言えない忌み子。額に生えた鬼の角は通常半魔であることを意味している。


 しかし、眼前の女性はその生命を賭して、この子を愛し、守った。この私に、未来に、繋いだのだ!


 赤子に添えられた一振りの短剣。その刀身に彫られた竜十字ドラゴンクロスの紋章。


 アルマンドは帝国の王城へと、極めて鋭利な視線で一閃する。


「されど、あるいは!」




─────────────────

挿絵:ヘレン・ルカ・アルマンド

https://kakuyomu.jp/users/dark-unknown/news/16818093079127531069

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