第15嘆き エッセイなのでオリンピックを語ろう

 エッセイなのでパリオリンピックについて触れてもいいと思ったんです。

 思ったんですが、何に対してであれ否定的な事を言って、個人を傷つけて許される身分ではないと思うので、嫌いな競技とか意味ないと思う競技とかは言いません。(でもワールドカップとかXゲームとか他にもっと盛り上がる大会があるやつはやらなくてよくない?)


 その競技自体ではなく試合の運営法についてだったらいちゃもんを付けても、まあ選手個人が悲しむことは無いと思うので言うんですが、団体戦って意味わからんよね。特に本来1対1で対決するような柔道とかフェンシングとかさ。

 実践性がないというか。多対多だけど一人ずつ戦って、勝ち数が多い方の団体が勝ちだ、ってどういう状況だとそういう能力・強さが問われるの? と思いません? 

 体重別階級制がある柔道はともかく、フェンシングなんか普通に複数対複数で同時に戦ったらいいじゃないですか。一斉に3人対3人で戦って、最後まで生き残った選手がいる方が勝ち。

 そういう状況なら全然あり得るし(『三銃士』とかではあった気がする。近世ヨーロッパに転生したらあり得る)、個々人の力量だけじゃなく、混とんとした戦況を知恵と工夫でいかに制するかっていう頭脳戦の面白さを楽しめるはずです。


 実践性って意味で言うとサバゲーとかもオリンピック競技にしたら面白いと思うんですよね。明らかに戦争を彷彿とさせてしまうから平和の祭典としてはふさわしくないか。でもなんとかならないでしょうか。

 昔テレビでみたような気がするけど、頭の上に水で溶けちゃう紙か何か付けて、それを狙って水鉄砲を撃つような感じなら不穏当な感じが薄れて競技っぽくできないだろうか。夏向きにもなっていいと思う。


 問題があるとすると、サバゲーは選手が遮蔽物に隠れつつプレイするのが基本なので、「観客がフィールドに赴き生で観戦する」という普遍的なスポーツ観戦のスタイルが成り立ちにくいという点がありますね。単純に見づらい。

 まあ現代なのでそこはもう、テレビなりネットなりで放送することを前提に考えて、選手の頭とか胸にカメラを付けて、なおかつ「今どのカメラの映像を放映したら盛り上がるのか」みたいなカメラワーク(?)をAIに任せるとか、発想の転換が要るでしょう。

 幼少期にプッシュ式のソフトエアガンを買い与えられ、それで延々遊んでた自分としてはぜひともサバゲー的競技をオリンピック種目にしてもらいたいです。


 あと、これも少しセンシティブというか、選手の人を傷つける可能性があるので言い方を考えたいんですが、水泳の平泳ぎってだいぶ厳しいですよね。

 NHKの番組で「水泳の歴史」みたいなのを見て覚えたんですが、そもそも昔の水泳って皆平泳ぎで泳いでたらしいんですよ。

 それが技術が進んだというかなんというか、「クロール」という泳ぎ方が出来たらその方が全然速いってことが分かって、それで平泳ぎという泳法が絶滅しそうになったらしいんですね。


 水泳業界の保守的な人が、歴史ある平泳ぎを守ろうとして「体が左右対称に動いていなければならない」というルールを付けた種目を分離独立して、それで平泳ぎを保護しようとしたんですが、バタフライが出てきてまた平泳ぎは絶滅の危機に。

 現在どういうルールでもって平泳ぎとバタフライを区分してるのか知りませんが、きっと苦しい言い訳をしてるんだと思います。


 ここではっきり言っておきますが私はではないのです。

 平泳ぎはぜひとも保護すべきです。なぜならば、平泳ぎには明らかに実践性が存在するからです。

 例えばあなたがスパイとして敵国に潜入していて、何かの都合で身一つで任地を脱出することとなり、国境の川を渡らなければならないとします。

 渡った先も別に友好国ではないので、びしょ濡れでうろつきまわるわけにはいかない。なので着ている衣服は濡らさずに渡河しなければならないとしたら、どうしますか?

 当然、脱いだ服を畳んで、頭の上にネクタイか靴ひもで縛りつけて、濡らさないように泳いで渡ることになります。その時クロールとかバタフライしかできなかったらどうしますか。服はびしょ濡れになります。

 渡った先でびしょ濡れで出歩いている不審者とし通報され、政治的なあれこれで敵国に移送されてスパイ罪になって死にます。だから平泳ぎは保護するべきなのです。


 現在の水泳競技では平泳ぎも普通に頭部を水中に沈みこませて泳ぐので、私の言ってることは変に思われるでしょう。でも、平泳ぎ本来の長所はやっぱり頭部を水に入れなくても泳げるという点にあると思うのです。

 いま平泳ぎを頑張っている人たちには苦渋の決断をしてほしい。頭部を水に入れないで泳ぐ、古来の平泳ぎを復活させるべきなのです。

 あらたなルールの平泳ぎという種目では、頭の上にヒヨコを括りつけて泳げばいいと思います。たとえ1位でゴールしてもヒヨコがおぼれていたらその選手は失格です。



 なんかもう落ちがついた気もするんですが、オリンピックについて書くのはこれで最後と思うのでもう一つ思いつきを書いてしまいます。


 歴史が証明していますが、射撃武器っていうのはもう銃のほうが弓より良い、強くて優秀だってわかり切ってるわけです。なのになぜアーチェリーをするのか。ライフル射撃じゃダメなのか。

 いやわかりますよ? 「どっちが強いとかじゃねえんだよバカ」「スポーツとして別物だろうがアホ」ってきっと皆さん言うと思います。

 でもやっぱり私は、戦闘行為に密接に関わる競技ではある程度実践性にこだわりたいという、そういう癖があるのです。


 火薬が手に入らない状況を考えればアーチェリーには普遍性、実践性があるという反論があるかと思うんですが、今アーチェリーに使われてる弓ってカーボンファイバーがどうとかこうとか、すごい最新技術の粋を集めて作られてるように見えるんですね。

 そういう装備で射撃することに慣れている、甘えた環境で育った弓手たちが中世風異世界に転生・転移した場合、はたしてちゃんと戦えるのか。普遍的な能力を持った弓の名手と言えるのでしょうか。


 現行のアーチェリーという種目をなくせとは言いませんが、他にもう一つ種目を新設してもらいたいのです。

 選手たちに24時間、天然の原生林で過ごしてもらって、そこで自分の使う弓を1から作ってもらうのです。そうして出来た弓を持って的当ての競技に挑み、成績を競う。

 そうやって培った能力なら、中世風異世界に転移したときでも十分な活躍が期待できます。それこそが実践的・普遍的な弓の能力だ。そうじゃないですか?

 国際オリンピック委員会には是非この「オーガニック・アーチェリー」という種目を新設してほしいです。アイデア料は格安でいいので。

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